ハーヴィー『オービタル』が描くかけがえのない瞬間の連なり

文=橋本輝幸

  • オービタル: ある一日の16回の夜明け (ハヤカワ・プラス)
  • 『オービタル: ある一日の16回の夜明け (ハヤカワ・プラス)』
    サマンサ・ハーヴィー,小澤 身和子
    早川書房
    2,970円(税込)
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  • こんなにも多くの人が、マリアナ
  • 『こんなにも多くの人が、マリアナ』
    マリア・ジュディッテ・デ・カルヴァーリョ,木下 眞穂
    集英社
    2,750円(税込)
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  • ダーク・ダーク (エクス・リブリス)
  • 『ダーク・ダーク (エクス・リブリス)』
    サマンサ・ハント,壁谷 さくら
    白水社
    2,970円(税込)
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  • 私の女の実 (ハン・ガン コレクション)
  • 『私の女の実 (ハン・ガン コレクション)』
    ハン・ガン,斎藤 真理子
    白水社
    2,640円(税込)
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  • サタンタンゴ
  • 『サタンタンゴ』
    クラスナホルカイ・ラースロー,早稲田みか
    国書刊行会
    2,970円(税込)
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 今月まず紹介するのはサマンサ・ハーヴィー『オービタル ある一日の16回の夜明け』(小澤身和子訳/ハヤカワ・プラス)だ。本書の舞台は国際宇宙ステーションで一日に十六回地球を周回している。著者は一九七五年生まれのイギリス人で、二〇〇〇年代後半に作家デビュー。写実的で自然へのまなざしとおだやかな礼賛にあふれる本書で二〇二四年にブッカー賞を受賞している。

 本作ではさまざまな国出身の六人の宇宙飛行士たちがそれぞれに自らの家族や友人との思い出や関係性を回想する。地上とはまったく異なる宇宙船の中からの眺めと抑制された生活を丹念に描いていく。ここにあるのはかけがえのない瞬間の連なりばかりで、宇宙スケールの大きな意義や事件は用意されてはいない。むしろ修道院での隠者暮らしによく似ている。実在しない登場人物たちの人生のディテールや感受性の積み重ね、寄せては返す海の波のように規則正しい日々の繰り返しで成り立つ小説なのだ。アメリカ人、イギリス人、イタリア人、ロシア人の男性たちと日本人女性のチエによる共同生活の様子は地上の政治や争いとは無縁でユートピア小説のようにも読める。

 マリア・ジュディッテ・デ・カルヴァーリョ『こんなにも多くの人が、マリアナ』(木下眞穂訳/集英社)は一九二一年から一九九八年まで生きたポルトガルの作家の短編集。二十世紀のポルトガル文学を代表する作家の一人でありながら、しばらくは忘れられた存在だったというが、出版社が二〇一八年に全集を刊行したことをきっかけに新たな読者を獲得しているそうである。主なテーマを端的に言い表すなら他人の信用ならなさや冷淡さだ。本書の半分を占めるのは中編「空の戸棚」だ。主人公のドラは若くして夫ドゥアルテを亡くすが、働く意欲の低かった夫の死去には彼女を解放する面もあった。それでも娘を育て上げるためには義母との関わりを断つことができない。だが年頃の娘から年齢の割に老けこんでいると指摘されたのをきっかけに変わっていく。かつてのポルトガルでは女性は結婚と職のどちらか一方しか選べず、敬虔なカトリックの国柄ゆえに離婚もままならなかったそうだ。そうした時代ゆえの選択の余地のなさは収録作のテーマとして度々変奏される。表題作は夫が別の女性に惹かれて去っていった女性が孤独に流産や妊娠に対処せざるを得ない話だ。社会の規範から外れた者への不寛容が重く横たわる。

 サマンサ・ハント『ダーク・ダーク』(壁谷さくら訳/白水社)は二〇〇〇年代から活動する作家の日本初の著書となる短編集。シャーリイ・ジャクスン賞にノミネートされたと聞けばぴんとくる読者もいるかもしれないが、少し不思議で不穏な作品も収録されている。本書で描かれる恐怖は、夫との間に生まれた溝や、既婚者と付き合っていてしかも捨てられた女性、不妊治療中に夫の浮気に気づいた女性などパートナーとの間の溝に苦しむ女性の視点で書かれたものが中心だ。そのなかで例外的な一編「愛の機械」はヘンでおかしく少し哀しい。冷戦時代、核ミサイルのあるサイロでひたすら待機し、いざというときに発射ボタンを押す権利を担っていた男がのちにFBIに入り、爆弾犯(実在の犯罪者通称ユナボマーと思われる)のアジトに完璧なロボットの女性を差し向ける任務を負う。だがロボットの美女に誘惑されながらも男の答えは予想とは異なるものだった。それがFBIの男に大きな衝撃を与える。著者は一九七一年生まれのアメリカの作家で、第一長編はマジックリアリズム要素のある自らを人魚と信じる少女の話だという。

 ハン・ガン『私の女の実』(斎藤真理子訳/白水社)は斎藤真理子氏の翻訳による叢書《ハン・ガン コレクション》の第一巻。一九九五年から二〇〇〇年にかけて書かれた初期短編を集めた作品集である。すべて本邦初訳だ。長編『菜食主義者』のベータ版と呼べそうな表題作は、妻が徐々に植物に変容していく様子をつづっている。すれ違う夫婦の様子もやけに生々しい肉体の変化も印象的だ。続く「日暮れどきに犬たちはどんな気持ちだろう」では両親の関係が、「赤ちゃん仏」では夫との関係がそれぞれ壊れてしまった家庭が描かれるが、どちらも主人公の記憶に焼きついた題名の情景がみごと。いずれの作品でもからみあってときほぐせないような個人の重い苦悩が克明に表現されている。作家としての資質と姿勢は、すでにこの時点で揺るぎないものとなっていた。重みがある短編ぞろいで今後の刊行も楽しみである。

 クラスナホルカイ・ラースロー『サタンタンゴ』(早稲田みか訳/国書刊行会)はハンガリーの作家が一九八五年に発表したデビュー作である。上映時間が約七時間半の大長編として知られる映画版『サタンタンゴ』(一九九四)や、二〇一〇年代に作品の英訳が進んだこと、そして二〇二五年のノーベル文学賞受賞で広く知られるようになった著者だ。

 本書は一文が長く、かつ段落がない特徴的な文体で書かれ、文章に余白やつなぎ目がほとんど存在しない。時系列も順番どおり語られるわけではなく、読書体験は自然と暗中模索のありさまになる。途切れない長雨と湿度、希望のない村の雰囲気にふさわしい。一応のあらすじはフタキという男が同じ寒村に住むシュミット夫人と密会し、ふとシュミット氏が村を出る計画を立てていると知り、一枚噛もうとするが......というもの。ソ連の影響下にある社会主義国家として言論の自由がなかった時代に出版されたという文脈はあるが、個性と普遍の両者を兼ね備えた閉塞と虚無そのものの物語と言えよう。

(本の雑誌 2026年10月号)

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●書評担当者● 橋本輝幸

1984年生まれ。書評家。アンソロジストとして『2000年代海外SF傑作選』『2010年代海外SF傑作選』、共編書『走る赤 中国女性SF作家アンソロジー』、自主制作『Rikka Zine vol.1』を編集。
現在、道玄坂上ミステリ監視塔(Real Sound)や「ミステリマガジン」新刊SF欄に寄稿中。

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