設定オタクの大ペテン師サルマナザールの奇書

文=藤ふくろう

  • フォルモサ 台湾と日本の地理歴史: 台湾と日本の地理歴史 (913) (平凡社ライブラリー さ 24-1)
  • 『フォルモサ 台湾と日本の地理歴史: 台湾と日本の地理歴史 (913) (平凡社ライブラリー さ 24-1)』
    ジョージ・サルマナザール,原田 範行
    平凡社
    1,980円(税込)
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  • 丸い地球のどこかの曲がり角で
  • 『丸い地球のどこかの曲がり角で』
    ローレン・グロフ,光野多惠子
    河出書房新社
    3,300円(税込)
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  • 消失の惑星【ほし】
  • 『消失の惑星【ほし】』
    ジュリア フィリップス,井上 里
    早川書房
    2,420円(税込)
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  • ゼーノの意識 ((上)) (岩波文庫 赤 N 706-1)
  • 『ゼーノの意識 ((上)) (岩波文庫 赤 N 706-1)』
    ズヴェーヴォ,堤 康徳
    岩波書店
    1,067円(税込)
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  • ゼーノの意識 ((下)) (岩波文庫 赤 N 706-2)
  • 『ゼーノの意識 ((下)) (岩波文庫 赤 N 706-2)』
    ズヴェーヴォ,堤 康徳
    岩波書店
    1,067円(税込)
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 かつてヨーロッパに、台湾と日本について大ボラを吹きまくったペテン師がいた。ジョージ・サルマナザール『フォルモサ 台湾と日本の地理歴史』(原田範行訳/平凡社ライブラリー)は、18世紀ヨーロッパのアジア観に影響を与えた、稀代の「偽書」である。自称・台湾(フォルモサ)人のサルマナザールが、台湾と日本について、地理、歴史、政治、経済、宗教、文字、学問、衣食住と幅広いトピックを説明する。だが、ほとんどは事実にかすりもしない想像の産物だ。「革命により成り上がった日本皇帝メリヤンダノーが、台湾を支配下に置いた」「チョーク=マケジンという日本人の宗教家が、太陽神に生贄を捧げるよう台湾人に求めた」(日本語で、チョークは創造主、マケジンは宣告の意味だという)「二万人の男子を生贄として捧げるため、台湾では男子が不足して一夫多妻制になった」といった調子で、空想の国フォルモサ&ジャパンの風習が語られる。サルマナザールはかなりの設定オタクで、細かいところまで作りこんでいるので、台湾や日本だと言われなければうっかり信じてしまいそうな迫力がある。一方で、花の悪魔みたいな花嫁衣装、架空フォルモサ文字の図版(どう見てもアルファベットである)といった、突っ込みどころが満載の笑いポイントもある。また、サルマナザールの鉄面皮ぶりは目を見張るものがある。『フォルモサ』に対する批判や指摘は、18世紀当時にもさんざんあったが、著者は序文を大幅に加筆して「私は真実を語っている、批判する人間は無知だ」と堂々と反論している。自信満々に嘘をつきとおす人間がそれなりに信用されてしまう構造は、現代のフェイクニュースや陰謀論を彷彿とさせる。笑えるけれど笑えない面もあるあたり、奇書と呼ぶにふさわしい。

 ローレン・グロフ『丸い地球のどこかの曲がり角で』(光野多惠子訳/河出書房新社)は、フロリダ在住の作家が描くフロリダ短編集だ。フロリダ州といえば、陽光があふれるビーチ、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート、ユニバーサル・スタジオといったアトラクション、ケネディ宇宙センターなど、「明るく暖かい人気の観光地」といったイメージが強い。そんな明るく光に満ちたサンシャイン・ステート・フロリダのイメージをこの小説は覆す。グロフが描くフロリダは、ワニとヘビがうごめき、大型ハリケーンと亡霊が跋扈する沼地、闇と湿度と耐えがたい暑さに満ちた土地である。表題作は、フロリダの光と闇をぞんぶんに味わえる作品だ。語り手は幼い頃から、爬虫類学者の父が購入した広大な沼地の一軒家に暮らしている。家にはヘビのホルマリン漬けが並び、浴槽にはたまに父が捕獲したワニがいる。周囲が都市開発されて沼地が消えていく中、語り手と家族は時代に取り残された亡霊のように、変わらず沼地の家で生活するが、やがて転機が訪れる。廃屋に飾られた肖像画を思わせるこの短編には、太古から栄えた湿原地帯の生態、急激な都市開発とその弊害というフロリダの史実をもとに、フロリダの光と影、フロリダへの愛憎が、陰影深く描かれている。巨大ハリケーンをモチーフにした亡霊小説「ハリケーンの目」など、フロリダの土地に根差した作品がすばらしい。フロリダの見方が変わる、ゴシック・フロリダ小説。

 続いて、フロリダとは真逆の風土を持つ、極寒ツンドラ地帯の小説を紹介する。ジュリア・フィリップス『消失の惑星』(井上里訳/早川書房)は、喪失と消失にまつわる小説だ。舞台となるロシアのカムチャツカ半島は、地理的にも政治的にも深く閉ざされている。東西南を海に囲まれ、本土につながる北部はツンドラが人々の往来を阻む。ソ連政府は半島を軍事地帯として利用し、外国人はソ連崩壊まで半島に入れなかった。人が出るのも入るのも難しいこの過酷な土地で、幼い姉妹の誘拐事件が起きる。フィリップスは、誘拐事件そのものではなく、事件をきっかけに、女性たちの心と生活に広がっていく波紋を描く。出身も生活環境も違う女性たちは、それぞれ生きづらさや苦しみを孤独に抱えこんでいる。だがその痛みは、女性たちの間でゆるやかにつながっていることが明らかになっていく。中盤までは、カムチャツカ半島に生きる女性たちの連作短編集といった趣だが、終盤で一気に消失の震源地に向かう展開はドラマティックだ。消失や喪失は個人的な出来事だが、社会的な出来事でもある。女性たちとカムチャツカ半島の過酷な現実を描きつつも、親愛がにじむ作品。

 ジェイムズ・ジョイスが称賛した、20世紀イタリアが誇る「自意識×禁煙文学」、イタロ・ズヴェーヴォ『ゼーノの意識』(堤康徳訳/岩波文庫)が新訳で登場した。この小説は、語り手ゼーノが「禁煙できない理由」を分析するために精神科医の勧めによって書いた手記、という体裁をとる。ゼーノは、禁煙チャレンジの度重なる挫折、生い立ち、恋愛、仕事について赤裸々に告白する。この語りが、じつに隙だらけですごい。ゼーノは身勝手で衝動的で自己顕示欲が強く、商才のない金持ちで、行動も内省もツッコミどころだらけだ。うまい話に乗せられてカモられ、性欲のままに行動し、「妻を尊敬しているんだ」と言いながら不倫を繰り返すなど、内面ヘドロを開陳して、読む者の心をざわめかせる。もしゼーノがインターネット上で手記を公開していたとしたら、まちがいなく炎上するだろう。自意識を解体する語りは、イライラさせられるが実になめらかだ。饒舌な自意識に乗せられてあっというまに読み切った。

(本の雑誌 2021年5月号掲載)

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●書評担当者● 藤ふくろう

海外文学の感想ブログ「ボヘミアの海岸線」を書いている。IT系メディアの編集者、外資マーケティングと、いろいろ越境しながら仕事している。たまに、分厚い海外文学を読む「ガイブン読書会 鈍器部」を主催。夢は、灯台かハウスボート(水上の家)に住むこと。

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