縁の下の力持ち校正・校閲の現場ルポ
文=東えりか
私たち物書きにとって校正・校閲は命綱である。プロに読んでもらい、誤字脱字、ファクトなどのチェックを受けることで初めて自分以外の人に読んでもらえると安心する。
昨今、こんな大事な仕事が蔑ろにされていないか。政治家や官僚の発言をマスコミが文字に起こした記事を読むと、驚くほど意味が伝わらない時が多いのだ。後の世に記録として残して恥ずかしくない文章になっていると胸を張れるのだろうか。
髙橋秀実『ことばの番人』(集英社インターナショナル)は、文章を校正するプロフェッショナルと、その作業工程がどんなものかという疑問に真正面からぶつかったルポルタージュである。
世に流布する文章は、校正を経て読まれるべきだと私は思う。日本人は生真面目だから『古事記』でさえ太安万侶という校正者がいた歴史があるくらいだ。
校正・校閲とは具体的にどんな作業なのか。著者はベテラン校正者に弟子入りし、あらためて辞書の引き方から学び直した。過去の優秀な校正・校閲者の足跡を辿り、漢字、ひらがな、カタカナの形の深淵をさぐり、ChatGPTで行う最先端の校正技術の問題点を浮き彫りにする。
日記や個人的な手紙以外、文章は誰かに読まれることに意義がある。縁の下の力持ち、校正者のありがたさが身に染みる。
本書でも触れられているが、校正・校閲では新潮社校閲部が緻密な仕事で有名だ。
昨年末に上梓されたイラストエッセイ、こいしゆうか『くらべて、けみして 校閲部の九重さん』(新潮社)を読むと更に具体的なイメージがわくと思う。校正・校閲はただ文章を修正することが仕事ではない。著者の言わんとすることを読者が理解できるよう吟味する職人たちなのだ。文字が好きな人、この仕事を志す人に併せてオススメしたい。
日本語には同音異義語も同義語も多い。例えば「はかる」という言葉一つとっても、私は毎回どの漢字を使ったらいいのか迷う。同じ意味の言葉を選ぶときは(本と書物とか)前後の文章や字面で印象が変わってしまうことを恐れ、何度も熟考する。
世の東西、言語の種類を問わず文法や正しい言語学は堅苦しくなりがちだ。それをブチ破ったのが言語学者、川添愛『言語学バーリ・トゥードRound1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』だった。堅苦しい版元のイメージを覆し、大評判になったのを良いことに続編『言語学バーリ・トゥードRound2 言語版SASUKEに挑む』(東京大学出版会)が上梓された。
隙さえあれば、話を格闘技とお笑いにこじつけて持っていこうとする著者だが、堅苦しい言語学の法則を「格闘技のルール」や「お笑いにおけるお約束のオチ」に例えることで、あら不思議、理解しやすくなり、言葉の使い方の面白さに気づかされる。
さらに言語学を楽しむため著者が考えたのはSASUKEのようなバトル形式によるエンターテインメント。クイズの勝者に課せられる最終戦は、正しい日本語を使ったフリースタイルラップの一対一勝負だ。勝者は言語学絶対王者と称えられる。
言語学エンターテインメントという新ジャンルを作った著者の快進撃は止まらない。
初めて言葉を覚えた子どもが語彙を少しずつ増やす過程で、いいまちがいや突飛な表現をすると、親たちが「この子は天才?」と思い込むことは多々ある。
水野太貴『きょう、ゴリラをうえたよ』(吉本ユータヌキ イラスト、今井むつみ監修・解説/KADOKAWA)の著者は「ゆる言語学ラジオ」というPodcast番組で人気を博すパーソナリティ。子どものいいまちがいにはことばの本質が詰まっていると確信を持った。募集をかけたところ膨大な数の投稿が寄せられた。
そのなかで1歳から7歳までの秀逸な発言を集めたのが本書である。謎のタイトルの意味も、理由を知ってしまうと「なるほど~」と腑に落ちるので確認してほしい。
言葉が出始めた1歳児。親たちの言うことに敏感だ。
―(車を指して)「ぶーぶー」(スマホを指して)「ぺいぺい」
言葉の進化を実感する。
3歳くらいになると、それなりに会話になり、さらに面白い。
―ママは海にいくんだね
これなど、先に紹介した同音異義語のマジックだ。この子の脳裏にはお母さんが海で遊んでいる姿があるのかもしれないが、本当は「産みに行く」。1週間ほど経つと海から妹か弟が拾われてくるんだよ。
自分たちもそうであったはずなのに、何だか表現が貧しくなってしまったと哀しくなった。
さて最後は言葉のプロ、小説家の爆笑奮闘記を紹介したい。
宮辺尚『遠藤周作と劇団樹座の三十年』(河出書房新社)。新潮社で遠藤周作の担当編集者だった1976年のある日、著者は遠藤から「君、芝居に出ないか」と誘われた。樹座はこの時すでに8年のキャリアがあり、公演を重ねていた。団員は作家や編集者、主婦やサラリーマンなど素人ばかり。著者はこの日から終焉まで団員として伴走することになる。
最初は身内だけで愉しんでいたのが、徐々にエスカレートし、アメリカやロンドンなど海外公演をこなすほど成長していく。
素人たちは一度スポットライトを浴びたら、もう沼に嵌り抜け出せない。誰もが良い役を求めるから舞台上では役がどんどん入れ替わる。役者は素人でも人脈で集めたスタッフは超一流。遠藤周作という作家のおおらかさと、時代の優しさがこの劇団を30年も支えたのだろう。
この秋、関西在住作家が66年ぶりに劇団「なにげに文士劇」を旗揚げし、初公演を行う。すでにチケットは売り切れているようだが、楽しいだろうなあ。
(本の雑誌 2024年11月号)
- ●書評担当者● 東えりか
1958年、千葉県生まれ。 信州大学農学部卒。1985年より北方謙三氏の秘書を務め 2008年に書評家として独立。連載は「週刊新潮」「日本経済新聞」「婦人公論」など。小説をはじめ、 学術書から時事もの、サブカルチャー、タレント本まで何でも読む。現在「エンター テインメント・ノンフィクション(エンタメ・ノンフ)」の面白さを布教中。 新刊ノンフィクション紹介サイト「HONZ」副代表(2024年7月15日クローズ)。
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