終末世界を旅する二冊のパンデミック文学

文=藤ふくろう

  • 断絶 (エクス・リブリス)
  • 『断絶 (エクス・リブリス)』
    リン・マー,藤井 光
    白水社
    3,740円(税込)
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  • シルクロード
  • 『シルクロード』
    キャスリーン・デイヴィス,久保 美代子
    早川書房
    3,080円(税込)
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  • 語りなおしシェイクスピア 2 リア王 ダンバー メディア王の悲劇
  • 『語りなおしシェイクスピア 2 リア王 ダンバー メディア王の悲劇』
    エドワード・セント・オービン,小川 高義
    集英社
    2,970円(税込)
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  • クララとお日さま
  • 『クララとお日さま』
    カズオ・イシグロ,土屋 政雄
    早川書房
    2,750円(税込)
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  • メッセージ トーベ・ヤンソン自選短篇集
  • 『メッセージ トーベ・ヤンソン自選短篇集』
    トーベ・ヤンソン,久山葉子
    フィルムアート社
    3,080円(税込)
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  • 理不尽ゲーム
  • 『理不尽ゲーム』
    サーシャ・フィリペンコ,奈倉 有里
    集英社
    2,310円(税込)
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 疫病が広がる終末世界で、生存者が旅するパンデミック文学が2冊、刊行された。1冊は、中国系アメリカ人リン・マーの『断絶』(藤井光訳/白水社)。中国深圳で発生した未知の病気「シェン熱」が世界を襲う。ニューヨーク最後の生き残り、中国系移民二世のキャンディスが生存者グループに出会い、「施設」へ向かい旅するところから物語は始まる。中国深圳発の病といえばCOVID-19を連想するが、雰囲気はだいぶ違う。シェン熱の感染者は、意識をなくしたまま、最も慣れ親しんだ行動を黙々と繰り返すゾンビとなる。"ゾンビ×パンデミック"の組み合わせならパニックアクション展開になりそうなものだが、『断絶』は終始、サイレント映画のような静かさを保っている。物語は、施設へ向かう旅程と、キャンディスの過去を往復しながら進む。その語りから、キャンディスがなぜニューヨークに最後まで1人で残ったのかが明らかになる。彼女がニューヨークに残った理由と行動が、シェン熱の構造とリンクする展開がよい。移民一世の親世代、故郷に暮らす親族との断絶を感じる、移民二世ならではの心情が描かれている点で、『断絶』は移民文学とも言える。パニック行動や経済封鎖のリアルさと、ループゾンビの浮遊感が混ざり、独特の世界観を構築している。結末も巧みで、これからどうなるかを想像したくなる1冊。

 2冊目は、キャスリーン・デイヴィス『シルクロード』(久保美代子訳/早川書房)。疫病が蔓延する世界で、天文学者、守護者、位相幾何学者、氷屋といった職業名で呼ばれる人々が、ヨガ・マスターのジー・ムーンとともに永久凍土を旅している。『シルクロード』の世界は曖昧で、ぼわんぼわんしている。人類がかなり死んだらしい、殺人があったらしい......と、謎と仄めかしがあるものの答えはなく、伏線は回収されない。人格の境界も曖昧だ。登場人物は、外見や職業は違うのに、共通の親を持ち、共通の記憶を持ち、ふらりと現れたり消えたりする。境界が溶けた世界に、タロットカード、星座、トークン、害虫や謎生物といった不吉な象徴が、現れては消えていく。これほど焦点が定まらず、ぼんやりと拡散し続けていく小説は珍しい。小説というよりは「読む瞑想」と言ったほうが近い。丹念に練られた謎の瞑想小説。

 次に紹介するのは、シェイクスピア四大悲劇のひとつ『リア王』のオマージュ小説、エドワード・セント・オービン『ダンバー メディア王の悲劇』(小川高義訳/集英社)だ。現代作家がシェイクスピア作品を独自解釈で語る「語りなおしシェイクスピア」シリーズの2冊目だ。大筋は『リア王』と同じ。強大な権力と資産を持つ老メディア王が、3人の娘に権力と資産を分け与えようとする。強欲な長女次女は、父王におもねって権力を掌握するが、「家族で静かに暮らしたい」と望んだ三女は、父王の機嫌を損ねてしまう。荒野と城の代わりに高級ホテルや高層ビルが舞台となり、自家用ジェット機や株といった現代グローバル資本主義のモチーフで語られる現代版『リア王』は、想像以上にしっくりくる。元祖に忠実な語りをしているように見えて、独自の人物造形と展開もある。『リア王』を知っていても知らなくても楽しめるし、詳細な解説を読んで再読してさらに楽しめる。一冊で三度おいしく、おすすめだ。

 5月号で大森望氏も紹介していた、カズオ・イシグロ『クララとお日さま』(土屋政雄訳/早川書房)は、人工知能(AI)をテーマにしたイギリス小説だ。語り手は、子供向け人型ロボットAF(人工親友)のクララ。クララは、体が弱い女の子ジョジーの家に買われて一緒に住み始める。この小説は、クララの語りそのものが魅力的だ。人間に近い感覚の描写だけでなく、人間が知覚できない動きを観察する描写、事前知識がないためにぎこちない描写、構造物をボックス単位で見るロボット的描写と、異質な世界認識の描写が混在している。さらに、これらの主観情報から"世界の法則"を見出して独自の世界観を構築していく展開はスリリングだ。イアン・マキューアン『恋するアダム』など最近のAI小説はいくつかあるものの、「人工知能×信仰」をテーマにした『クララ』は想定外の面白さがある。不穏な世界設定をチラ見せするカズオ節も健在。不穏ながらも明るさがある良作。

 トーベ・ヤンソン『メッセージ トーベ・ヤンソン自選短篇集』(久山葉子訳/フィルムアート社)は、ヤンソンが自選した最後の短編集だ。ヤンソンの小説には、北欧の厳しい自然の美しさと、世間に縛られずに生きたいように生きる生命力が満ちている。夏至や冬至、芸術、海、孤島暮らしなど、ムーミン世界にも登場したモチーフが愛を持って描かれる。未邦訳の短編7編を含んでいるので、新規ファンにも古参ファンにとってもうれしい1冊だ。

 サーシャ・フィリペンコ『理不尽ゲーム』(奈倉有里訳/集英社)は、"ヨーロッパ最後の独裁者"ルカシェンコが君臨する現代ベラルーシの「理不尽」を描く小説だ。1990年代ベラルーシで、主人公の少年が事故で10年の昏睡状態に陥る。目覚めた少年が目の当たりにしたのは、独裁者に支配されて病んだベラルーシ、理不尽な状況に慣れて無気力になった人たちだった。人間は、急激な変化には反発を覚えるものだが、緩やかな変化には気づきにくい。そのため独裁者はわずかな変化を積み重ねて、民衆を支配に慣らしていく。昏睡した少年が「ベラルーシ浦島太郎」として観測者の役割を果たし、異様な現実を指摘する。目を覚ませ、とのメッセージがストレートに響く。

(本の雑誌 2021年6月号掲載)

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●書評担当者● 藤ふくろう

海外文学の感想ブログ「ボヘミアの海岸線」を書いている。IT系メディアの編集者、外資マーケティングと、いろいろ越境しながら仕事している。たまに、分厚い海外文学を読む「ガイブン読書会 鈍器部」を主催。夢は、灯台かハウスボート(水上の家)に住むこと。

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