ヤバイやつらが跋扈するピンチョン世界へようこそ!
文=藤ふくろう
ついにきた。トマス・ピンチョン全小説の最終巻、唯一の未邦訳作品、トマス・ピンチョン『ブリーディング・エッジ』(佐藤良明・栩木玲子訳/新潮社)がついに刊行された。76歳の作家が描くのは「インターネット×9・11」。2001年ニューヨークで、元公認不正検査士のワーキングマザーが、妙な依頼を受ける。ドット・コムバブルがはじけた後に急成長している、あるITベンチャー企業の資金繰りが怪しく、外国へ大金を流しているという。企業と創業者を調べるうち、不穏な陰謀とテロの影が見えてくる。ピンチョン十八番のパラノイアと陰謀論が渦巻く世界で、ギーク、ハッカー、マフィア、政治組織といったファンキーでヤバイやつらが、いきいきとニューヨークとネット空間を跋扈する。急展開に次ぐ急展開とオタクの早口会話が、700ページにわたってノーブレーキで進む。ドタバタ陰謀エンタメ小説のようでいて、9・11当時に噂されていた陰謀論や事実(インサイダー取引らしい株価の動き、政治家の関係)をきっちり組みこんでいるあたりは、さすが。またIT業界の雰囲気やカルチャーを的確に描いていて、細かい書き込み技には唸る(ラクダ本、リーナス・トーバルズをピンチョンの小説で読めるとは!)。企業や政治組織といった強者による侵入と、それらへの抵抗といった、『重力の虹』を思わせるテーマもあり、まさにピンチョンの大盤振る舞い。世界が陰謀と大量の情報に飲みこまれる中、世界はピンチョンに近づいていると言える。陰謀あり、パラノイアあり、オタク的早口ありと、ピンチョン指数がド安定しているので、ピンチョン愛読者にも未読者にもおすすめ。やはりピンチョンは最高に楽しい。
ピンチョンが蛍光のネオンなら、タヴァレスは奈落の闇である。「王国」シリーズのひとつ、ゴンサロ・M・タヴァレス『エルサレム』(木下眞穂訳/河出書房新社)は、深夜と精神の暗黒に沈んでいくような小説だ。誰もが寝静まる真夜中、激しい体の痛みと病を引きずって教会に向かう女、自殺を試みる男、銃を向ける相手を待ち望む男、娼婦を求める精神科医、父の帰りを待つ少年、5人の不眠者たちが、それぞれが孤独に真夜中の通りを彷徨している。彼らは、誰もが狂気交じりの切実さでなにかを探し求めているが、原因や背景は曖昧で、底が見えない深淵をのぞいているような気持ちになる。作家の筆致は、安易な共感や理解を拒むが、それでも、登場人物の心に大穴がぽっかりとあいていることは伝わってくる。暗黒と悪がうごめくこの小説には、「悪」にまつわる叙述が何度も登場する。悪について連作で描く作家といえば、チリの作家ロベルト・ボラーニョを思い出すが、タヴァレスが描く悪はボラーニョよりも奈落に近い。闇は闇でも、ウェットな闇ではなく、鋭利で底なしの闇である。殺気に近い凄みが満ちた、忘れがたい小説。「王国」シリーズの全訳を望む。
続いて、現代の民族紛争とテロリズムにまつわる小説を2冊、紹介する。1冊目のフェルナンド・アラムブル『祖国』(木村裕美訳/河出書房新社)は、スペイン・バスク地方の独立運動・愛国・テロリズムを描いた小説だ。バスク地方は独自の歴史と文化を持つ土地で、20世紀には過激派組織「バスク祖国と自由」(ETA)が発足し、スペインからの独立を建前に、テロや脅迫、殺人を繰り返した。『祖国』は、愛国とテロリズムに翻弄された、2つの家族とその歴史を描く。あるバスクの村に、仲の良い2つの家族がいた。独立運動の中、ひとつの家からはETA構成員が、もうひとつの家からはテロで殺された犠牲者が出てしまう。家同士の交流は断絶し、一族の人生も激変する。両一族の立場は対照的だが、アラムブルは「犠牲者家族/加害者家族」と単純に二分せず、各家族の父母と子供をすべて書き分ける。同じ惨劇を経験しても、反応と心情は全員異なる。テロの記憶とともに生きる人、痛みから遠ざかりたい人、愛国心でテロを正当化する人、家族の罪に懊悩する人がいる。それゆえ彼らは、家族の誰とも心をわかちあえないと苦悩するのだが、思わぬところから理解者が現れもする。人生を根こそぎ壊滅させる惨劇と傷にたいして、人がどう反応し、どう回復を目指すかを、バスクの緊迫した空気とともに描いた、力強い家族小説だ。
2冊目は、激しい空爆が続くパレスチナ・イスラエル問題をテーマにした、ネイサン・イングランダー『地中のディナー』(小竹由美子訳/東京創元社)だ。秘密軍事基地に収監されている囚人Zと看守、イスラエル最高権力者と世話役、ドイツで友情を育む2人の男、パリで恋に落ちたスパイとウェイトレスと、何組もの「2人組」のストーリーが同時並行しながら物語は進む。この小説で印象的なのは、まったくスパイらしくないスパイ青年だ。彼は見た目が弱々しく、精神もナイーブで、理想を夢見ながら、選択に迷う。彼の揺らぎとロマンティックさが立場にそぐわないので、どうなるのだろうと読み進めていくと、物語は予想外の方向に転換する。国としてのパレスチナ・イスラエルの対立と、パレスチナ人・イスラエル人の対立は必ずしもイコールではないと、『地中のディナー』は訴えてくる。イングランダーが示した世界は希望があるが、イスラエル軍によるガザ自治区への熾烈な空爆を鑑みるに、現実は遠いところにあると悲観的にもなる。だが、過酷な現実を追認して理想を放棄したら、未来は潰えるばかりだ。さまざまな2人組の対話によって、個人間の対話を続けていこうとする、作家の意思を感じた。
(本の雑誌 2021年8月号掲載)
- ●書評担当者● 藤ふくろう
海外文学の感想ブログ「ボヘミアの海岸線」を書いている。IT系メディアの編集者、外資マーケティングと、いろいろ越境しながら仕事している。たまに、分厚い海外文学を読む「ガイブン読書会 鈍器部」を主催。夢は、灯台かハウスボート(水上の家)に住むこと。
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