地獄だらけの心理サスペンス『僕が死んだあの森』を読むべし!

文=吉野仁

  • 僕が死んだあの森
  • 『僕が死んだあの森』
    ピエール・ルメートル,橘 明美
    文藝春秋
    2,090円(税込)
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  • 夜 (ハーパーBOOKS)
  • 『夜 (ハーパーBOOKS)』
    ベルナール ミニエ,伊藤 直子
    ハーパーコリンズ・ジャパン
    1,440円(税込)
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  • 狼たちの城 (海外文庫)
  • 『狼たちの城 (海外文庫)』
    アレックス・ベール,小津 薫
    扶桑社
    1,320円(税込)
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  • 誘拐: P分署捜査班 (創元推理文庫 M テ 19-2 P分署捜査班)
  • 『誘拐: P分署捜査班 (創元推理文庫 M テ 19-2 P分署捜査班)』
    マウリツィオ・デ・ジョバンニ,直良和美
    東京創元社
    1,100円(税込)
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  • 死人街道
  • 『死人街道』
    ジョー・R・ランズデール,牧原勝志(『幻想と怪奇』編集室),植草 昌実
    新紀元社
    2,200円(税込)
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 先月号特集「笑って許して誤植ザ・ワールド」を愉しんで読んでいたら、あろうことか自分の原稿でやらかし、『第八の探偵』を『第八の殺人』と記していた。深くおわびいたします。今年最大の話題作『第八の探偵』をよろしく。と、自責の念を抱えながら今月の紹介へ。

『その女アレックス』で強烈な印象を残したピエール・ルメートルの新作、『僕が死んだあの森』(橘明美訳/文藝春秋)は、いなかの小さな村で起こった少年の悲劇をめぐる心理サスペンスだ。母とともに村で暮らす十二歳のアントワーヌは、ふとした激情から隣家の男の子レミを枝で殴り殺してしまった。森のなかにある巨木の穴に死体を隠して家に戻ったものの、まもなく村は子どもの失踪で大騒ぎとなる。やがて大規模な捜索が行われようとしていた。はたして彼の犯行は暴露されてしまうのか。

 周到で小賢しい大人の犯罪者が完全犯罪を目論んだものの、自らのささいな過失により破滅する、という話ならば、いわゆる倒叙ものでさんざん書かれてきただろう。だが本作は、もとより殺意のなかった少年の過ちから生じた悪夢が連続していく展開だ。思春期にさしかかった主人公が追いつめられていく過程のみならず、彼をとりまく村の人々の関係や秘密が暴き出されることで、どこまでも緊張は高まり、暗黒に染まっていく。殺人がバレても地獄、バレなくてもなお地獄。さらに皮肉で残酷な運命のめぐりあわせをラストで知る。もう読むしかない。

 同じくフランスのミステリながら、ベルナール・ミニエによるセルヴァズ警部シリーズの第四弾『夜』(伊藤直子訳/ハーパーBOOKS)は、例によってケレン味満載だ。ノルウェーの教会で女性の惨殺体が発見され、その遺体にはオスロ警察の女性刑事の名が記されたメモが残されていた。その刑事シュステンは、被害者が勤めていた北海の石油プラットフォームへ向かい、意外な事実をつきとめる。殺人鬼ハルトマンの痕跡が残されていたのだ。そして、トゥールーズ署の警部セルヴァズを隠し撮りした大量の写真を発見したことで、シュステンはフランスへと飛んだ。まずは、荒れた天候の北海にそびえたつ石油基地へと乗り込み、怪しげな人物を追跡する場面が圧巻である。一方のセルヴァズ警部は臨死状態からどうにか復帰し、日常に戻ろうとしたものの、事件に関わったことでふたたび追いつめられていく。全編まるでハリウッド大作映画のごとき見せ場の連続で、アルプスの雪山、オーストリアの美しい湖畔の町などへ舞台を移しつつ、さらに驚くツイストが待ち構えているのだから、文句のつけようもない。

 アレックス・ベール『狼たちの城』(小津薫訳/扶桑社ミステリー)は、第二次大戦末期、ナチスドイツに接収された城内で映画女優の惨殺体が発見される場面から幕を開ける。ユダヤ人古書店主のイザークは家族とともにポーランドへ移送されようとしていた。そんなとき、恋人が用意したゲシュタポ特別犯罪捜査官としての偽の身分証を受け取った。捜査官になりすました彼は、行きがかり上、殺人事件の捜査に挑んでいく。ナチスドイツを舞台に、一種の潜入スパイものとして展開するサスペンスが大きな読みどころだが、それで終わらないエピローグが強烈である。

 フランス、ドイツときて、次はイタリアだ。マウリツィオ・デ・ジョバンニ『P分署捜査班 誘拐』(直良和美訳/創元推理文庫)は、ナポリのP分署を舞台にしたシリーズ第二弾。美術館に来ていた十歳の男子生徒が行方不明となった。少年はナポリでも屈指の資産家の孫だと判明したことから、誘拐の可能性が浮かびあがる。一方、スポーツジム経営者夫婦の家に空き巣が入りながら金品は盗まれなかったという奇妙な事件が起きた。ロヤコーノ警部を筆頭に、P分署の捜査官たちが同時進行する不可解な事件に取り組んでいく。マクベイン〈87分署〉シリーズのスタイルを取り入れた本作は、はみ出し刑事たちの私生活を含めたエピソードが加わることで、事件捜査模様にとどまらず、警察官群像劇としての面白さが発揮されている。しかも次作を読まずにおれなくなるラストが用意されており、なかなかのものだ。

 今月もっとも興奮させられたのは、ジョー・R・ランズデール『死人街道』(植草昌実訳/新紀元社)に尽きる。主人公は流浪のガンマン牧師ジェビダイアで、その舞台となるのは怪物たちが跳梁跋扈する魔界西部。なんとウェスタンとSF怪奇ファンタジーの融合なのだ。迫りくるゾンビとの戦いがラストで派手に繰りひろげられる中編「死屍の町」をはじめ、五つの物語が収録されている。もっとも「死屍の町」は、ジェビダイアが訪れた町で福音を伝える集会を開こうとするなど、静かなトーンではじまっていく。南北戦争の記憶、射撃の教えを乞う少年、教会の部屋に積みあがった銃器と弾薬の箱の山など、西部劇らしい舞台やエピソードが並ぶ一方、聖書の黙示録、生ける屍、インディアンの呪いといった要素が加わり、じわじわと盛りあがるのだ。クライマックスでは、恐怖と活劇が渾然一体となって生まれる強いエネルギーが炸裂し、圧倒された。そのほか、囚人を護送する保安官とともに死人街道をゆく話や廃墟となったホテルで怪物と戦う話など趣向の異なる四つの短編がつづく。作者は、ただホラーとウェスタンを合体させ、ハイカロリーなB級活劇に仕立てただけでなく、随所にスパイスを効かせ、素材そのものの良さを引き出し、旨みたっぷりの物語をこしらえた。ああ邪悪な敵との死闘はなぜこうも血湧き肉躍るのか。あらゆる娯楽小説ファンに勧めたい面白さだ。

(本の雑誌 2021年8月号掲載)

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●書評担当者● 吉野仁

1958年東京生まれ。書評家。おもにミステリを中心とした小説や本の書評、文庫解説などを執筆。

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