血と情念が燃え上がるヨクナパトーファ・サーガの原点

文=藤ふくろう

  • 土にまみれた旗
  • 『土にまみれた旗』
    ウィリアム・フォークナー,諏訪部浩一
    河出書房新社
    5,390円(税込)
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  • マホガニー (フィクションの楽しみ)
  • 『マホガニー (フィクションの楽しみ)』
    E・グリッサン
    水声社
    2,750円(税込)
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  • 英雄たちの夢 (フィクションのエル・ドラード)
  • 『英雄たちの夢 (フィクションのエル・ドラード)』
    アドルフォ・ビオイ・カサーレス,大西 亮
    水声社
    3,080円(税込)
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  • ファットガールをめぐる13の物語
  • 『ファットガールをめぐる13の物語』
    モナ・アワド,加藤有佳織,日野原慶
    書肆侃侃房
    1,980円(税込)
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  • ニルス・リューネ (ルリユール叢書)
  • 『ニルス・リューネ (ルリユール叢書)』
    イェンス・ピータ・ヤコブセン,奥山裕介
    幻戯書房
    3,960円(税込)
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 われらが立つこの小さな場所こそが、世界そのもの、宇宙そのものだ、と語る小説家たちがいる。ウィリアム・フォークナーは、アメリカ南部の町ヨクナパトーファを舞台に、宇宙を構築した。ウィリアム・フォークナー『土にまみれた旗』(諏訪部浩一訳/河出書房新社)は、血と情念が燃え上がる連作小説群、ヨクナパトーファ・サーガの記念すべき第一作。大幅に削られた版『サートリス』は既訳があるものの、完全版の翻訳は初で、サーガの震源地がついに刊行されたと思うと感無量だ。土地と一族の宿命を語るサーガには、複数の一族と人物が繰り返し登場する。『土にまみれた旗』で焦点が当たるのは、名家サートリス一族だ。サートリスの男は、危険な場所や行動に突っこんで派手に死ぬ宿命を背負っている。戦争で向う見ずに死んでいった男、戦争から帰還したものの死へと滑落していきそうな男と、サートリスの宿命を諦めきった女の人生が、つかのま交わり、死によって分かたれていく。傑作と名高い『アブサロム、アブサロム!』や、8月になると皆が読む『八月の光』に比べると、やや冗長で、苛烈さも胃痛度も低めだが、同じ名前と気質を持つ人間が火花のように生まれて死んでいく世界観は、まさにヨクナパトーファ・サーガだ。サーガは読めば読むほどどっぷりひたれるので、夏のフォークナー祭りで盛り上がりたい。

 フォークナーのビジョンを受け継いだマルティニークの作家も、小さな島が世界となる小説を描く。エドゥアール・グリッサン『マホガニー』(塚本昌則訳/水声社)は、数世紀を生きてきたマホガニーの木を軸に、マルティニークの歴史=世界を語る小説だ。マホガニーの木は、マルティニークの歴史を見つめる観測者である。森の奥深くにたたずむ老木が観測するのは、追っ手を逃れてきた逃亡奴隷だ。奴隷制度があったこの地では、逃亡奴隷は英雄で、熱狂の対象だった。3人の逃亡奴隷にまつわる伝説と証言が、逃亡奴隷たちが身を寄せたマホガニーの記憶とともに語られる。マホガニーという世界の中心の周りを、時系列と事実虚構が入り乱れて脱線する語りがぐるぐる旋回する。語りの技法としてマルティニークの口承文化を取り入れており、歴史の闇に葬り去られてしまいそうな記憶を語り継ごうとする意思を感じる。グリッサンが掲げる〈全=世界〉ビジョンに満ちた小説で、フォークナー好きやサーガ愛好家に勧めたい。

 アドルフォ・ビオイ・カサーレス『英雄たちの夢』(大西亮訳/水声社)は、すばらしい夢のような記憶を追い求める青春幻想小説だ。主人公の青年が偶然に大金を得て、仲間とともにカーニバルで大金を使い果たすことにする。熱狂的な祭りの終盤に、青年はなにか劇的ですばらしい一瞬を経験する。だが酒のせいで記憶が抜け落ちて、なにがあったのかはわからない。それから青年は、すばらしい夢を再現しようと狂気じみた執着にとりつかれる。一般的には、夢は夢であり、過去の再現は不可能だ。だが世界を揺るがす幻想をしかける魔術師カサーレスにかかれば、不可能は現実となる。友情と恋に忙しい若者の青春小説かと思いきや、最後はしっかりカサーレス・マジックが炸裂。「母に自分が怠惰でないことを見せたくて長編を書いた」「ボルヘスが褒めてくれた」など、ぶっちゃけトークが炸裂する序文も見どころ。

 モナ・アワド『ファットガールをめぐる13の物語』(加藤有佳織・日野原慶訳/書肆侃侃房)は、体重と体にコンプレックスを抱える女性の人生を描いた、"ミザリーサーガ"である。主人公エリザベスは、XXLサイズの体を愛せない。食事、ファッションはもちろん、友人や恋人などの人間関係、住居まで、すべてが体の太さによって決まる世界に彼女は生きている。女友達も家族も恋人も「そのままでいい」と言ってくれるものの、ぜんぜんそう思えない彼女との断絶は深い。愛せない体をまとって生きる苦しみが、ポップでユーモアのある口調で語られる。体への視線の描写、視線で引き起こされる心情と言動の揺れ動きがうまく、ノーと言いたいのにイエスと言ってしまうシーンから、体と心が一致せずに引き裂かれる状態が浮かび上がる。また悪口が冴えていて、嫌いな人間について語る短編には笑った(悪口が面白い小説は、だいたい面白いものである)。「自己肯定感 高め方」と調べた経験がある人の心をえぐりながらも寄り添ってくる。自分の体は、生まれてから死ぬまで離れられない、最も身近な他者なのだ。

 コアな海外文学ファンから根強い支持を集めるルリユール叢書の新刊、イェンス・ピータ・ヤコブセン『ニルス・リューネ』(奥山裕介訳/幻戯書房)は、渋い19世紀ヨーロッパ文学の古典かと思いきや、想定外の驚きに満ちた小説だった。大いなる人生を夢見る夢想的なデンマーク人男性、ニルス・リューネの人生を描くこの小説は、読み始めてすぐに、絢爛で詩的な言葉に圧倒される。なんと美しい色彩とイメージ、ニルスの人生もさぞ華やかなのだろう......との予想は激しく裏切られる。美しい言葉で語られるのは、何者にもなれない男の人生、失望に次ぐ失望だ。ニルスは美しい人生を思い描く夢想力はあれど実現する力がなく、信念は揺れ、輝かしい飛翔をするように見えて飛翔しない。語りの過剰なまでの美しさと、語られるものの陰鬱ぶりの落差がすごく、小説ならではの耽美な混乱を味わえる。また『ニルス・リューネ』は、訳はもちろん、解題、年表、装丁まで丁寧に作られている点も見どころで、細部を彫りこんだ端正な象牙細工を思わせる。万華鏡のような幻滅を描く、驚くべき小説。

(本の雑誌 2021年9月号掲載)

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●書評担当者● 藤ふくろう

海外文学の感想ブログ「ボヘミアの海岸線」を書いている。IT系メディアの編集者、外資マーケティングと、いろいろ越境しながら仕事している。たまに、分厚い海外文学を読む「ガイブン読書会 鈍器部」を主催。夢は、灯台かハウスボート(水上の家)に住むこと。

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