比類なき円錐小説ベルンハルト『推敲』に大満足!

文=藤ふくろう

  • 推敲
  • 『推敲』
    トーマス・ベルンハルト,飯島雄太郎
    河出書房新社
    3,960円(税込)
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  • 廃墟の形 (フィクションのエル・ドラード)
  • 『廃墟の形 (フィクションのエル・ドラード)』
    J・G・バスケス
    水声社
    3,850円(税込)
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  • 行く、行った、行ってしまった (エクス・リブリス)
  • 『行く、行った、行ってしまった (エクス・リブリス)』
    ジェニー・エルペンベック,浅井 晶子
    白水社
    3,630円(税込)
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  • 永遠の家
  • 『永遠の家』
    エンリーケ・ビラ=マタス,木村榮一,野村竜仁
    書肆侃侃房
    1,980円(税込)
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  • 赤い魚の夫婦
  • 『赤い魚の夫婦』
    グアダルーペ・ネッテル,宇野和美
    現代書館
    2,200円(税込)
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  • 魂の不滅なる白い砂漠: 詩と詩論 (ルリユール叢書)
  • 『魂の不滅なる白い砂漠: 詩と詩論 (ルリユール叢書)』
    ピエール・ルヴェルディ,平林通洋,山口孝行
    幻戯書房
    3,520円(税込)
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 比類なき円錐小説、比類なき最高円錐小説、比類なき最高ベルンハルト円錐小説、トーマス・ベルンハルト『推敲』(飯島雄太郎訳/河出書房新社)が忘れられない。この円錐小説には、狂気をはらんだ二人の男が登場する。ひとりは、巨額の資産を投じて愛する姉のために、居住可能な巨大円錐を建造して自殺した男。もうひとりは、自殺した男の友人かつ心酔者である、語り手の男。語り手は、自殺した友人を回想しながら、遺稿を読む。死んだ男と残された男の声が混じり合い、言葉と感情の濁流となり、うねりながら読者を飲みこんでいく。田舎と家族への嫌悪、愛する者への執着と偏愛、真顔でやばいことを言い続ける振り切れた真顔ユーモア、同じフレーズを変奏しながら繰り返す音楽的な罵倒、罵倒の陰に見え隠れするエモーショナルな惑いと、愛すべきベルンハルト芸は健在だ。さらに『推敲』では、遺稿の語り手とその読み手、二者の声が交錯する構造が特徴だ。円錐男も語り手もどこまでもベルンハルトで、ベルンハルト1号がベルンハルト2号について語るようなものではあるが、この二重構造が『推敲』を『推敲』たらしめている。傑作『消去』と並んでお気に入りになった、最高ベルンハルト小説。

 フアン・ガブリエル・バスケス『廃墟の形』(寺尾隆吉訳/水声社)もすごかった。20世紀コロンビアの歴史的な暗殺事件とその"廃墟"をめぐり、陰謀論の狂信者とアンチ陰謀論者の作家が攻防を繰り広げる長編である。"廃墟"とは、死んだ人間が残した遺物のことだ。コロンビア史に残された廃墟──暗殺された政治家の脊髄に偶然に触れた作家は、暗殺事件の真実を追い求める狂信的な男に追い回されて、ある本を書くように迫られる。男は暗殺事件の何を知っているのか? なぜ男は作家に本を書けと迫るのか? なぜ男は暗殺事件に執着するのか? 実際のところ、"あの時、本当は何が起きたのか"? 陰謀論者とアンチ陰謀論者の歴史解釈バトルを通じて、1世紀にわたる苦悩と激動のコロンビア史が見えてくる展開はスリリングで、最終章の手さばきは圧巻だ。なぜ人は陰謀論を信じるのか、との問いに、作家は複数の答えを提示している。過去の歴史は、廃墟をつうじて現実に到達し、未来をも予見するのだ。

 政治の揺れ動きが個人の生に深い影響を与えるのは、コロンビアもドイツも変わらない。ジェニー・エルペンベック『行く、行った、行ってしまった』(浅井晶子訳/白水社)は、EUの難民問題をテーマにした、内省と思索の小説だ。ドイツ人の退官教授リヒャルトは、政治が不安定なアフリカから逃れてきた難民に興味を抱く。ただ興味を抱くだけで終わらず、彼は難民たちの話を聞きに難民施設を訪れる。対話を通して教授は、難民の抱える問題、苦しみ、過去への理解を深め、同時にその理解しがたさを知る。この小説には、他者の理解しがたさ、他者との溝を対話で埋めて近づこうとする試みが描かれている。深い湖に何度も潜っては水面に顔を出し、また潜るような思索が繰り返される。対話が深まるにつれ、恵まれた立場の安心と無知からくる傲慢、妻や愛人への不誠実な対応など、教授のダメさもまた浮き彫りになるが、それでも対話と思索を続ける姿勢と語りに引きこまれる。己と他者との"境界"、国と国との"境界"は悲しいほどに深いが、それでも接近をやめない意志が光る。

 自分と他者の対話は難しいが、自分と自分の対話も難しい。スペインの小説家、エンリーケ・ビラ=マタス『永遠の家』(木村榮一・野村竜仁訳/書肆侃侃房)は、"腹話術師の男"でゆるくつながっている、連作短編集である。腹話術師の男は、人生に苦悩している。名声は得たものの、自分と人形の境界がわからなくなり、自分の声はどこにあるのかと自問しているのだ。不安定な腹話術師をめぐる物語が、多様なスタイルで語られる。腹話術師は、己の中に他者の声を抱えて語る仕事だ。他者の声をまねて他者の人生を語り、「自分としての自分」と「他者としての自分」で対話する。それゆえ、腹話術師は己の声に惑う業を抱えている。この業は、作家にも当てはまる。作家もまた、自己の中に他者を抱えて語る職業だからだ。腹話術師の物語は、語りの声が定まらない不安定さを語っているように思える。書く行為そのものへの問いを書いてきた作家の問いがにじむ短編集。

 自己と他者の境界が曖昧になるのなら、自己と生物の境界も曖昧になる。グアダルーペ・ネッテル『赤い魚の夫婦』(宇野和美訳/現代書館)は、生物と人間の運命が溶け合った日常を描く、不思議日常の短編集だ。すべての短編には、魚、菌類、虫、蛇、といった生物が登場する。登場人物が生物とともに暮らしているうちに、生物と人間の境界が曖昧になり、こねあわされて、ひとつの生命体としてともに運命を共有する。子育てクライシス、夫婦の不仲、不倫といった、不穏に揺れる人間関係が、生物の侵食によってさらに揺れる、独特な世界観が味わえる。

 最後に紹介するのは、ピエール・ルヴェルディ『魂の不滅なる白い砂漠 詩と詩論』(平林通洋・山口孝行訳/幻戯書房)。シュルレアリスムの先駆的存在である詩人による、詩と詩論とルヴェルディをまとめた、贅沢なつくりの作品集だ。ルヴェルディが提唱した「イマージュ」が、理論と実践、両方を味わえる。ルヴェルディの詩は、言葉からイメージの断片が立ち上り、それらのイメージが折り重なって新しい景色がさらに立ち上る。とても静かな書物なので、人が寝静まった早朝や真夜中に、ひとりでじっくり味わい、向き合うのがおすすめ。

(本の雑誌 2021年11月号掲載)

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●書評担当者● 藤ふくろう

海外文学の感想ブログ「ボヘミアの海岸線」を書いている。IT系メディアの編集者、外資マーケティングと、いろいろ越境しながら仕事している。たまに、分厚い海外文学を読む「ガイブン読書会 鈍器部」を主催。夢は、灯台かハウスボート(水上の家)に住むこと。

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