ディープな家族小説『サワー・ハート』に溺れる

文=藤ふくろう

  • サワー・ハート
  • 『サワー・ハート』
    ジェニー・ザン,小澤身和子
    河出書房新社
    3,245円(税込)
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  • 地上で僕らはつかの間きらめく (新潮クレスト・ブックス)
  • 『地上で僕らはつかの間きらめく (新潮クレスト・ブックス)』
    オーシャン・ヴオン,木原 善彦
    新潮社
    2,420円(税込)
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  • 骨を引き上げろ
  • 『骨を引き上げろ』
    ジェスミン・ウォード,石川由美子
    作品社
    2,860円(税込)
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  • アフター・クロード (ドーキー・アーカイヴ) (DALKEY ARCHIVE)
  • 『アフター・クロード (ドーキー・アーカイヴ) (DALKEY ARCHIVE)』
    アイリス・オーウェンス,渡辺佐智江
    国書刊行会
    2,640円(税込)
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  • 記憶の図書館: ボルヘス対話集成
  • 『記憶の図書館: ボルヘス対話集成』
    ホルヘ・ルイス・ボルヘス,オスバルド・フェラーリ,垂野創一郎
    国書刊行会
    7,480円(税込)
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 2021年ノーベル文学賞を受賞したアブドゥルラザク・グルナは、タンザニアの政治混乱を逃れて英国に渡り、英語で執筆する作家だ。海外文学の新刊でも、移住先の言語で書く作家たちの作品が目にとまった。

 ジェニー・ザン『サワー・ハート』(小澤身和子訳/河出書房新社)は、中国からアメリカに移民した一家の連作短編集だ。ゴキブリがゼロ距離射程で飛び回り、ゴミ箱から食べ物を漁り、足がかゆすぎて眠れない壮絶な極貧生活が、くだけた口調で語られる。家族間の物理的・精神的な距離がとても近く、家族は互いに溶け合ってひとつの巨大な生物のように生きている。"パパとママと私はハンバーガーのような関係"と語る幼少時のシーン、孫に異常な執着を見せる祖母のトランポリンシーンは、このすさまじい関係をよく表している。一体感だけでなく、世代間のギャップも描かれる。祖父母世代は孫世代に重い期待をかけ、両親世代は子に教育を与えるために死に物狂いで働く。子供世代は、最も英語が堪能になり、アメリカで居場所を得ていく。"家族の絆"といったキレイな言葉ではとうてい表現しつくせない、時に息苦しくなるほどの濃密な関係と感情を描いた、ディープな小説だ。

 中国からの移民小説に続いて、ベトナムからの移民小説を。オーシャン・ヴオン『地上で僕らはつかの間きらめく』(木原善彦訳/新潮社)は、ベトナム出身でアメリカに移住した詩人による自伝的小説だ。英語が読み書きできない母への手紙という形式で、若き日の苦悩、大切な人を失う喪失の痛み、英語で書く詩人になるまでの物語が語られる。『サワー・ハート』と同様、移民一族は世代ごとに異なる苦しみを抱えている。ベトナム戦争と暴力的な夫から逃げた母は、新天地で重労働と言葉の壁に苦しむ。息子は、母からの暴力、いじめ、どの言語圏にも属しきれないアイデンティティの揺らぎに苦しむ。英語が読めない母に向けた英語の手紙は、つまりは届かないメッセージなのだが、こういう形式でしか語られえない、切実な言葉がある。痛みと喪失に満ちつつ、解放感を感じられる筆致もよい。暴力と搾取の象徴として登場した、猿のモチーフと猿の脳を食べるエピソードが、終盤で一転するくだりは特に印象的。人生は喪失と痛みにまみれているが、それでもつかの間きらめくのだ、という声が聞こえるかのような読後感だった。

 ジェスミン・ウォード『骨を引き上げろ』(石川由美子訳/作品社)は、超大型ハリケーン・カトリーナが襲来するまでの日々を描いた、アメリカ南部の家族小説だ。貧困層の黒人一家にうまれた少女エシュは、家族とともにハリケーンに備えている時、自身の妊娠に気づく。南部といえばウィリアム・フォークナーを思い出さずにはいられないが、ウォードが描く南部の地平線は、フォークナーの地平線につながっている気がする。自分は21世紀の小説を読んでいるのだろうか、と時代感覚をふっと失う感覚があるのだ。必要物資を盗むために、白人の農場へ少年少女が疾走するシーンは、とりわけその印象が強い。一方、この小説は確かに21世紀の小説だとも感じる。夫の裏切りに激怒して子を殺したギリシャ神話の魔女メディア、すべてをなぎ倒すハリケーン・カトリーナ。"吹き荒れる激情の母"のモチーフが、繰り返し姿を変えて現れる。彼女たちの激しさが、未婚の若き母エシュを動かす。南部の人にとってハリケーンは慣れた現実でもあり、驚異的な伝説でもあることがわかる、21世紀の南部小説。

 女性の激情といえば「捨ててやった、クロードを。あのフランス人のドブネズミ」という衝撃的な書き出しから始まる、アイリス・オーウェンス『アフター・クロード』(渡辺佐智江訳/国書刊行会)もすごかった。語り手の女性ハリエットが、恋人クロードを筆頭に、全世界に言葉の銃撃を浴びせまくる。機知と毒に満ちた言葉は、近づく者を容赦なく蹴散らしていく。現実に徹底抗戦をしかける彼女に対抗して、現実もまた容赦なく地獄の釜の蓋を開け、物語は想像しない方向へ転がっていく。ハリエットの舌鋒と、ひどい現実が全面衝突して殴り合い、観客の読者も巻き添えでダメージを食らう小説で、「どうなるんだこれは」と読み始め、「どうなってるんだこれは」と読み終えた。

 次は、ナイスな鈍器本を紹介したい。ホルヘ・ルイス・ボルヘス/オスバルド・フェラーリ『記憶の図書館 ボルヘス対話集成』(垂野創一郎訳/国書刊行会)は、ボルヘスがラジオ番組で語った対談を集めた対話集だ。この対話集の魅力は、ボルヘスの語りだけでなく、対話相手フェラーリの対ボルヘス力が極めて高いところにある。フェラーリは文学の知識と理解が深く、ボルヘスの記憶違いを訂正するほど、ボルヘス作品を読みこんでいる。達人2人の対話は、とてつもなく面白い。さらにこの本は、面白いだけではなく、唯一無二でもある。フェラーリがボルヘスの詩を朗読し、ボルヘスが初めて聞いたかのように感想を述べる光景は、対話でしか成立しえない。この面白さは、対談イベントや読書会と似ている。一人で本を読んでテクストと対話する面白さと、他者と本について語る面白さは、ぜんぜん別のものだ。対話からしか得られない読書体験は、確かにある。その世界観と語りのスタイルから、なにかと人外メカ扱いされがちなボルヘスだが、対話によって、ボルヘスの世界と人間らしさを堪能できるのもよい。21世紀に転生したメカボルヘスが、ポッドキャストで「ボルヘス★チャンネル」を開設して、ずっとこういう対話を続けてくれればいいのに。

(本の雑誌 2021年12月号掲載)

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●書評担当者● 藤ふくろう

海外文学の感想ブログ「ボヘミアの海岸線」を書いている。IT系メディアの編集者、外資マーケティングと、いろいろ越境しながら仕事している。たまに、分厚い海外文学を読む「ガイブン読書会 鈍器部」を主催。夢は、灯台かハウスボート(水上の家)に住むこと。

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