"反逆者"外交官の生涯を描くとてつもなく濃密な小説

文=藤ふくろう

  • ケルト人の夢
  • 『ケルト人の夢』
    マリオ・バルガス=リョサ,野谷 文昭
    岩波書店
    3,960円(税込)
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  • 小鳥たち マトゥーテ短篇選 (はじめて出逢う世界のおはなし)
  • 『小鳥たち マトゥーテ短篇選 (はじめて出逢う世界のおはなし)』
    アナ・マリア・マトゥーテ,宇野和美
    東宣出版
    2,420円(税込)
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  • まだまだという言葉
  • 『まだまだという言葉』
    クォン・ヨソン,斎藤真理子
    河出書房新社
    2,475円(税込)
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  • 十六の夢の物語: M・パヴィッチ幻想短編集
  • 『十六の夢の物語: M・パヴィッチ幻想短編集』
    ミロラド・パヴィッチ,三谷 惠子
    松籟社
    3,882円(税込)
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  • 冬 (新潮クレスト・ブックス)
  • 『冬 (新潮クレスト・ブックス)』
    アリ・スミス
    新潮社
    2,530円(税込)
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 とてつもなく濃密な小説を読んでしまった。ペルーのノーベル文学賞受賞作家、マリオ・バルガス=リョサによる『ケルト人の夢』(野谷文昭訳/岩波書店)は、"人権活動家"であり"反逆者"でもあった実在の英国外交官、ロジャー・ケイスメントの驚くべき人生を描いた長編小説である。植民地主義が世界を覆っていた19世紀末、アイルランドうまれの若者ロジャーは、植民地のキリスト教化と文明化の大志を抱いて、アフリカ・コンゴに外交官として駐在する。だが現地で目の当たりにしたのは、植民地主義のおぞましい暴力と搾取だった。彼は植民地主義の邪悪を告発する活動家となり、祖国アイルランドも英国の被害者であると考えてアイルランド独立を目指すが、英国から反逆者と見なされてしまう。植民地主義の理想を信じ、その嘘と罪を知り、告発に至るロジャーは、植民地主義の世界史を体現したような存在だ。彼の強固な意志と行動力、苦悩と挫折が、時空を横断しながら、芳醇な語りで活写される。ぐいぐいと引きこまれる語りと構成は、さすがストーリーテラー・リョサだ。史実を知っていても、先へ先へと読み進めたくなる。人類は、他者を救うために戦える存在であり、他者を搾取してすりつぶせる存在でもあることを、陰影深く描き切った大作。

 アナ・マリア・マトゥーテ『小鳥たち マトゥーテ短篇選』(宇野和美訳/東宣出版)は、スペインの地域社会を舞台に、美しいガラス細工のような空想の世界と、厳しい現実が衝突する瞬間を描く短編集だ。登場人物たちは、クリスマス、村祭り、恋の予感といった、心躍る出来事に期待をふくらませて夢想する。しかし現実は容赦なく、夢心地の人々に忍び寄る。穏やかな色彩の静物画にナイフを突き立てるような、空想と現実のコントラストが鮮烈だ。夢見られる世界が美しいほど、痛みと悲しみも深くなる。痛ましい話が多いが、風景や光の描写が繊細で静かであるためか、不思議と読後感は重くない。「小鳥たち」「島」の情景が、目の裏に今も残っている。

 生きることの痛みを語る小説といえば、クォン・ヨソンの短編集『まだまだという言葉』(斎藤真理子訳/河出書房新社)も突き刺さった。韓国の厳しい社会構造を背景に、家族との不和やすれ違い、厳しい境遇が、切実な痛みの独白とともに描かれる。彼らの痛みは、心の痛みだけにとどまらず、しばしば身体的な痛み、経済的な痛みを伴う。「まだまだという言葉」という一節が登場する「爪」は、爪の怪我、家族の裏切り、借金まみれの貧困生活と、すべての痛みが集結している。高額の補償金を必要とする韓国独特の賃貸システムや、賃金格差など、韓国の社会構造が若者を追い詰めている描写は、先行きが見えない分、つらさを加速させる。だがヨソンは、つらい状況を描くだけで終わらず、最後にかすかな希望を垣間見せる。つらさ92%希望8%、ぐらいの絶妙な配分だ。痛みに苦しみながらも、現実逃避せず、対峙していこうとする語りが魅力。

 ミロラド・パヴィッチ『十六の夢の物語 M・パヴィッチ幻想短編集』(三谷惠子訳/松籟社)は、「世界の秘密に触れる」ような感覚を覚える、幻想文学の短編集だ。収録された16作品はいずれも"夢"にまつわる物語で、夢と東欧の歴史が縦横無尽に交錯して、目がくらむような世界を構築する。パヴィッチは、セルビア文学史研究家としての知見をいかして、東欧の史実や伝説をふんだんに取り入れている。歴代王の秘密を守る扉と鍵と番人、未来に起きるだろう罪のために処刑された中世の修道士とその罪、王妃が隠した財宝伝説、といった東欧の古い伝説が、昔話として語られるだけでなく、現実や読み手とふいにリンクして、時空を越えて迫ってくる。かつ、しばしば、世界や物語の見方がぐるりと変わる。幻想文学の王道をふまえつつ、パヴィッチならではのモチーフと語りの手法がすばらしい。幻想文学ファン、東欧ファンには強くおすすめしたい小説だ。

 寒いので、最後は冬の小説を。アリ・スミス『冬』(木原善彦訳/新潮社)は、既訳『秋』に続く「四季四部作」の2作目。イギリスのEU離脱を背景にした、奇妙なクリスマス・ホームドラマである。時は2016年、国民投票でEU離脱が決まった年のクリスマス。元経営者の老女の家に、疎遠気味だった息子が恋人を連れて、クリスマスを祝いに久しぶりに実家にやってくる。ところが息子はクリスマス直前に恋人と別れており、金で雇った移民女性を代理彼女として連れてきていた。さらに、長いこと絶縁状態だった老女の妹(叔母)が登場。裕福で保守志向の母親、リベラルで活動家の叔母、政治の話を嫌う息子、出稼ぎにきた移民女性と、政治志向がまるで異なる人たちが集まって、混沌のクリスマスが始まる。『冬』は、「言葉」を駆使し、「言葉」の力を問う小説だ。同音異義語を多用した言語遊戯、とめどなく流れ出る長いセリフと、過剰なまでの語りが展開されるにもかかわらず、その中身は、嘘と否定とすれ違いに満ちている。だが、言葉によるすれ違いと分断を正すのもまた、言葉である。移民女性の率直な語りが、対話できない家族たちの態度と関係性を変えていく。現在進行形の政治トピックを題材にして、登場人物たちも政治の話題を語り合う小説は、現代小説ではなかなかめずらしい。さらに独特の言語遊戯と組み合わさることで、アリ・スミスしか描けない小説世界を構築している。

(本の雑誌 2022年2月号掲載)

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●書評担当者● 藤ふくろう

海外文学の感想ブログ「ボヘミアの海岸線」を書いている。IT系メディアの編集者、外資マーケティングと、いろいろ越境しながら仕事している。たまに、分厚い海外文学を読む「ガイブン読書会 鈍器部」を主催。夢は、灯台かハウスボート(水上の家)に住むこと。

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