人間の感情ヘドロをえぐり出す『壁の向こうへ続く道』

文=藤ふくろう

  • 蛇口 オカンポ短篇選 (はじめて出逢う世界のおはなし)
  • 『蛇口 オカンポ短篇選 (はじめて出逢う世界のおはなし)』
    シルビナ・オカンポ,松本健二
    東宣出版
    2,530円(税込)
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  • 復讐の女/招かれた女たち (ルリユール叢書)
  • 『復讐の女/招かれた女たち (ルリユール叢書)』
    シルビナ・オカンポ,寺尾隆吉
    幻戯書房
    5,280円(税込)
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  • 壁の向こうへ続く道
  • 『壁の向こうへ続く道』
    シャーリイ・ジャクスン,渡辺庸子
    文遊社
    2,750円(税込)
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  • ハムネット (新潮クレスト・ブックス)
  • 『ハムネット (新潮クレスト・ブックス)』
    マギー・オファーレル
    新潮社
    2,750円(税込)
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  • 囚われて (Artes MUNDI 叢書)
  • 『囚われて (Artes MUNDI 叢書)』
    沼野 充義,藤井 省三
    名古屋外国語大学出版会
    2,420円(税込)
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  • 台湾文学ブックカフェ1 女性作家集 蝶のしるし (台湾文学ブックカフェ 1 女性作家集)
  • 『台湾文学ブックカフェ1 女性作家集 蝶のしるし (台湾文学ブックカフェ 1 女性作家集)』
    江鵝,章緣,ラムル・パカウヤン,盧慧心,平路,柯裕棻,張亦絢,陳雪,白水紀子,呉佩珍,山口守,白水紀子
    作品社
    2,640円(税込)
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  • カリブ海アンティル諸島の民話と伝説
  • 『カリブ海アンティル諸島の民話と伝説』
    テレーズ・ジョルジェル,松井裕史
    作品社
    2,860円(税込)
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 日常に溶けこむ幻想を描くアルゼンチンの作家、シルビナ・オカンポの短編集が2冊、ほぼ同時に刊行された。『蛇口 オカンポ短篇選』(松本健二訳/東宣出版)は、オカンポ全作品の中から訳者が選んだオリジナル短編集(36作品収録)で、『復讐の女/招かれた女たち』(寺尾隆吉訳/幻戯書房)は、短編集『復讐の女』『招かれた女たち』の全訳(78作品収録)である。日常の中に亀裂が入り、異界が流れこんでくるような世界観が、色彩豊かな静物画を思わせる筆致で描かれる。ボルヘス、ビオイ・カサーレスとともに語られながらも彼らに比べて翻訳が少なく、これまでアンソロジーで数作品が読めるだけだったので、オカンポ翻訳の充実は喜ばしい。アルゼンチンが誇る、鮮やかな幻想を楽しめる短編集。

 シャーリイ・ジャクスン『壁の向こうへ続く道』(渡辺庸子訳/文遊社)は、日常に潜む狂気と悪意を圧倒的筆致で描く作家、ジャクスンの長編デビュー作だ。サンフランシスコ郊外のペッパー通りで繰り広げられる、"普通の人たち"の群像劇である。誰もが顔見知りの小さな共同体ならではの、濃密な関係と感情の交錯が、各家の詳細な位置関係や家族構成(地図と家族図までついてくる)とともに、密度の高い描写で迫ってくる。表向きは平和に見えるが、家庭ごとにそれぞれ苦悩や野望を抱えていて、ふとした折に、差別、嫉妬、悪意、優越感といった感情ヘドロがどろりと漏れ出てくる。大人社会の表面的な平和(裏はヘドロ)と、子供社会のストレートな残酷さの対比など、度しがたい人間社会をさまざまな視点からえぐり出す筆致は、さすがジャクスンだ。『くじ』『ずっとお城で暮らしてる』など、後の代表作を予感させる、作家の観察眼が光る小説だ。

 マギー・オファーレル『ハムネット』(小竹由美子訳/新潮社)は、シェイクスピアとその家族にまつわる物語を語りなおす、「語り直し歴史小説」である。ハムネットは、幼くして死んでしまった、シェイクスピア長男の名だ。ハムネットが死んだ後、シェイクスピアは、息子の名を冠した悲劇を残した。いったいなぜか。記録が残っていない「空白の時期」の謎を、オファーレルは、豊かな想像力で満たす。『ハムネット』は、いろいろな意味で意外性がある。まず、シェイクスピアは名前が一切出てこず影の役割に徹し、物語の中心は妻アグネスと子供たちだ。そして悪妻と評価されてきた妻アグネスは、鷹匠の経験を持ち、薬草の知識や不思議な能力がある、力強く魅力的な女性として描かれる。悪妻アグネスも、オファーレルのアグネスも、どちらも仮説ではあるが、私はオファーレルが語る、生命力と個性と愛情にあふれるアグネスのほうがずっと好きだ。有名すぎる歴史の空白を語りなおす視点と語り口からは、小説しかたどりつけない境地を感じた。

『囚われて 世界文学の小宇宙2』(沼野充義・藤井省三編/名古屋外国語大学出版会)は「世界文学の小宇宙」シリーズ2冊目で、アメリカ、イギリス、ロシア、中国、台湾、ブラジル、エジプトと、幅広い国の作品を収録する海外文学アンソロジーだ。青春、恋愛、暴力、家族関係といった人類共通のテーマを、各国の文化や歴史で編み上げた作品がそろっている。このシリーズは、収録作品はもちろんのこと、解説が充実している点がすばらしい。作品ごと、作家の紹介、国や時代の背景、おすすめ本、訳者の感慨や思い出と、フォーマットを統一して、訳者全員が同じ項目を書いている。時代や文化の背景解説は読書の助けになるし、訳者の思い出話からは熱意と愛情を感じる。作品と解説、両方を贅沢に味わえる。

 台湾文学を長年にわたって紹介してきた研究者が企画した、台湾文学のアンソロジー「台湾文学ブックカフェ」シリーズ。呉佩珍・白水紀子・山口守編『台湾文学ブックカフェ1 女性作家集 蝶のしるし』(白水紀子訳/作品社)は、全3巻予定のうちの第1作で、女性作家の短編8編を収録している。コロナ時代でカップルが対峙する、ささいだが決定的な破綻を描いたコロナ恋愛小説のほか、子供を持たないキャリアウーマンへの社会的圧力と当事者の迷い、同性愛者でありながら良妻賢母になろうとした女性のままならぬ恋愛など、台湾社会における女性の生きづらさを描きつつ、それに抗おうとする女性の物語が印象に残る。先住民族の血を引く語り手による"多民族・多言語国家としての台湾"を描いた作品もあり、台湾文化の多様さを味わえる。おいしそうな台湾料理の豊富さも、魅力のひとつ。訳者解説が充実していて、文化的・歴史的背景を知る手助けになる。今後の刊行が楽しみなシリーズ。

 テレーズ・ジョルジェル『カリブ海アンティル諸島の民話と伝説』(松井裕史訳/作品社)は、古くからカリブ海で語り継がれてきた民話を収録した、カリブン(カリブ文学)だ。カリブ海は、ヨーロッパの入植者、アフリカから連れてこられた奴隷、混血の子孫、船乗りたちなどの文化が混ざりあった、"クレオール"の土地だ。ヨーロッパ、アジア、アフリカにルーツを持つ多様な民話が集まり、口承で語り継がれてきた歴史を持つ。そのためか、収録作品は、どこかで聞いたような、でも違うような、不思議な懐かしさをおぼえるものが多い。「青ひげ」やグリム童話のローカライズ版といった、はっきりと由来がわかる物語もある。人づてに広がり、土地の歴史をみずから編み込んで、物語が発展してきた歴史を感じられる。カリブ海の独特な歴史への理解も深まる1冊。

(本の雑誌 2022年3月号掲載)

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●書評担当者● 藤ふくろう

海外文学の感想ブログ「ボヘミアの海岸線」を書いている。IT系メディアの編集者、外資マーケティングと、いろいろ越境しながら仕事している。たまに、分厚い海外文学を読む「ガイブン読書会 鈍器部」を主催。夢は、灯台かハウスボート(水上の家)に住むこと。

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