落ちぶれ男のロードノヴェル『クライ・マッチョ』が痛快だ!
文=吉野仁
ケン・フォレットは、『針の眼』で世界的なベストセラー作家になって以来、主に戦争冒険スパイ小説を手がけてきたが、近年はむしろ歴史もの『大聖堂』シリーズが代表作だろう。ところが最新作『ネヴァー』(戸田裕之訳/扶桑社ミステリー)は、現代の国際政治や軍事をあつかったポリティカル・スリラーだ。
物語の中盤まで、中央アフリカのチャド共和国を舞台に、CIA女性局員タマラ、CIA潜入捜査官のアブドゥル、チャド人女性キアという三人の視点を中心に展開していく。アブドゥルの使命は、ドラッグ密輸ルートと砂漠に隠されたテロリストの隠れ家を見つけだすこと。キアは息子とともにフランスで暮らすことを夢見ていた。一方、こうした場面の合間に挿入されるのが米中首脳らの日常をふくめた動向だ。やがてチャド・スーダン国境付近で起こった小さな武力衝突や北朝鮮のクーデターが発端となり、世界大戦へのカウントダウンがはじまる。
と、じつは大がかりな軍事シミュレーション小説は大の苦手ながら、とくに前半部分、辺境冒険もの、潜入スパイものとしての読みごたえが十分で、臨場感あふれる人間ドラマが幾重にも絡みあう場面にひきこまれ、あれよあれよと上中下巻と進んでいった。作者得意の、壮大な群像劇を巧みに描く手腕が全体に発揮されているのである。
スパイ小説といえば、ジョン・ル・カレ『シルバービュー荘にて』(加賀山卓朗訳/早川書房)に触れないわけにはいかない。英国の情報機関「部」の責任者プロクターのもとに、若い女性リリーが手紙をもって訪ねてきた。一方、海沿いの小さな町で書店を経営するジュリアンは、エイヴォンと名乗る客と親しくなっていく。こうした序盤の筋はわかるものの、それ以降、読みながら人物相関図を書かないと話についていけなかった。一読しただけでは出来事の全容をほとんど理解できない。巨匠の遺作としてふさわしい、手ごわい小説だ。
今月、もっとも海外ミステリ読者に評判がいいのは、エイドリアン・マッキンティ『レイン・ドッグズ』(武藤陽生訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)に違いない。なにしろ古城で起きた密室殺人に、殺された警官の名がエド・マクベインなのだ。エドガー賞最優秀ペイパーバック賞を受賞した本作は、刑事〈ショーン・ダフィ〉シリーズ第五作。北アイルランドの古城で女性の転落死体が発見された。だが城門は閉ざされており、だれも中に入ることができない状態だった。さらに警察官が爆殺された。趣向に富んだ警察ミステリであるほか、英国ではサッチャー政権がつづいていた一九八〇年代後半あたりの北アイルランドを描いた様々な場面も興味ぶかいところだ。
密室といえば、ポール・アルテ『死まで139歩』(平岡敦訳/ハヤカワ・ミステリ)を取りあげないわけにはいかない。名探偵〈ツイスト博士〉が活躍する本格ものだ。ロンドン最古のパブで見かけた美女に危険が迫っていることを知ってあとを追った男は、勘違いした彼女の話す暗号めいた言葉を聞く。一方、失業した船員が毎日手紙を運ぶ奇妙な仕事に雇われた。ツイスト博士は、ふたつの事件を調べていくうち、郊外の荒れた屋敷にたどりつく。そこには大量の靴があったばかりか、屋敷の主人の死体が完全な密室のなかで見つかった。肝心の密室トリックに関しては、真相が語られる場面を読んでも理解できなかったが、奇抜な導入部と数々の企みを愉しく読んだことはまちがいない。
ロバート・ベイリー『最後の審判』(吉野弘人訳/小学館文庫)は、シリーズ第四作にして完結編。末期癌に冒され死の淵にたつ弁護士トムは、殺人鬼ジムボーンが、刑務所を脱獄したと知らされた。ジムボーンは殺し屋マニーとともに、トムとその仲間たちに復讐しようと襲いかかる。今回は法廷ものというよりも、サイコめいた凶悪犯たちとの因縁の対決を中心とした派手な活劇が繰りひろげられる。前三作を読んできた読者であれば圧巻かつ感無量のラストとなるだろう。
リーガル・サスペンスといえば、ジョン・グリシャム『冤罪法廷』(白石朗訳/新潮文庫)を見逃すわけにはいかない。牧師にして弁護士であるカレン・ポストは、殺人容疑で二十二年間服役している死刑囚の再審請求を引き受け、あらためて事件を調査し、真犯人グループをつきとめ、法廷の場で冤罪死刑囚の無罪を証明しようとする。本作は実際の事件を題材にしており、まったくの勧善懲悪な法廷ものだが、犯人側のあまりに残酷な揉み消し工作の実態が明らかになっていく場面から、ぐっと話にひきつけられた。さすがグリシャム。
最後に、今月もっとも痛快だったのは、N・リチャード・ナッシュ『クライ・マッチョ』(古賀紅美訳/扶桑社ミステリー)だ。クリント・イーストウッド監督&主演映画の原作で、一九七五年に発表された作品である。マイクはかつてロデオ界のスターとして活躍した男。だが、あるとき荒馬乗りに挑んだすえに落馬し、雇い主ハワードからクビを言い渡される。ところがメキシコにいるハワードの息子を連れ戻せば五万ドルの大金を支払うといわれ、マイクはメキシコへと向かう。やっとのことで、闘鶏で金を稼ぎながら路上で生活している少年を見つけたが......。最初は子どもを誘拐する犯罪小説かと思ったが、これは落ちぶれた男が少年との交流を通じて自分を取りもどすというロードノヴェルだ。意表をつく展開も多く、メキシコでの受難に対し、主人公らは得意技を生かし切り抜けていく。いかにもイーストウッドが好みそうな話で、ぜひ映画とともに、この小説をお読みあれ。
(本の雑誌 2022年3月号掲載)
- ●書評担当者● 吉野仁
1958年東京生まれ。書評家。おもにミステリを中心とした小説や本の書評、文庫解説などを執筆。
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