悪趣味王のヒッチハイク記で腹の底から呵々大笑!

文=藤ふくろう

  • ジョン・ウォーターズの地獄のアメリカ横断ヒッチハイク
  • 『ジョン・ウォーターズの地獄のアメリカ横断ヒッチハイク』
    ジョン・ウォーターズ,柳下毅一郎
    国書刊行会
    2,860円(税込)
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  • 緑の天幕 (新潮クレスト・ブックス)
  • 『緑の天幕 (新潮クレスト・ブックス)』
    リュドミラ・ウリツカヤ
    新潮社
    4,180円(税込)
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  • 昏乱
  • 『昏乱』
    トーマス・ベルンハルト,池田信雄
    河出書房新社
    3,190円(税込)
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  • 地獄の裏切り者 (フィクションの楽しみ)
  • 『地獄の裏切り者 (フィクションの楽しみ)』
    パーヴェル・ペッペルシテイン,岩本和久
    水声社
    2,420円(税込)
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 ひさびさに、腹の底から大笑いできる海外文学を読んだ。ジョン・ウォーターズ『ジョン・ウォーターズの地獄のアメリカ横断ヒッチハイク』(柳下毅一郎訳/国書刊行会)は、「悪趣味(バッドテイスト)の王」と呼ばれるカルト映画監督ジョン・ウォーターズによる、アメリカ横断ヒッチハイク記録である。アメリカ文学の伝統芸能「アメリカを横断するロード・ノベル」を踏襲しつつ、ジョン・ウォーターズならではのユーモアが炸裂する。構成がおもしろく、「最高の旅」「最悪の旅」というフィクション編と、「実際のヒッチハイク旅」というノンフィクション編でできている。「とりあえず最高と最悪を妄想しておけば、現実もいけるだろう」という発想からうまれたフィクション編は、とことんばかばかしくて笑える。大金持ちに映画資金をもらえる都合のいい妄想もあれば、デモリション・ダービー(車をぶつけあって走行不能にする過激なレース)の勃起活劇、限界菜食主義者との恐怖譚、脱糞悲劇など、過激でクレイジーな登場人物とエピソードを惜しみなく楽しめる。ノンフィクション編はフィクション編よりおとなしいものの、まごうことなき"アメリカ"を堪能できる点で、フィクション編とは違ったおもしろさがある。アメリカ・エンターテインメント文学として完成された、爆笑本だ。

 現代ロシアで最も活躍している作家のひとり、リュドミラ・ウリツカヤによる『緑の天幕』(前田和泉訳/新潮社)は、スターリンが君臨した1950年代から、ソ連崩壊の1990年代までを生きた幼馴染たちの群像劇だ。

 登場人物たちは、同じ小学校に通っていた同級生である。彼らは友情を育み、学び、卒業後は働き、恋愛し、結婚して、子供をつくり、老いて病み、死んでいく。つまりは、ごく普通の人生を生きている。ただし、ソ連という国と時代が、彼らの人生に凶暴な爪を立てる。ウリツカヤは、ソ連がいかに人々の人生に傷を与えたか、その傷が膿んでいくかについて、数十年の時間軸でじっくりと描く。一見すると平和な生活の背後には、ソ連の抑圧と監視の不吉な影がちらついていて、突然に襲いかかり、耐えがたい傷跡を残していく。これらの抑圧への抵抗、防波堤として、『緑の天幕』では音楽や文学、詩といった芸術が重要な役割を果たしている。芸術でつながる友情と師弟愛は、重苦しい環境下では、ひときわ輝いて見える。少年少女たちが"幼生"から"成体"へ生まれ変わる決定的な出来事、というテーマも、くりかえし思索される。群像劇と時代描写のバランスがすばらしい。ソ連で生きるとはどういうことかを描いた、重厚な物語。

 アヴニ・ドーシ『母を燃やす』(川副智子訳/早川書房)は、自分を顧みなかった毒親の母にたいする、娘の愛憎入り乱れる感情を描いた小説だ。語り手は、アーティストとして生きる、裕福なインド人女性。「母の不幸にまったく喜びを感じなかったといえば嘘になる」という告白を皮切りに、母の認知症が進行している現在の語りと、母に振り回された過去の記憶が交錯する。母親は、母であるよりも女であることを望む人で、結婚生活を捨てて宗教家の愛人となり、離婚後も新しい恋人との恋愛にひたっていた。女であろうとするがゆえに娘を顧みず、娘の大事なものを見下し、壊そうとさえする。複雑な家庭環境と母の所業にたいする娘の語りは混沌としており、怒りと悲しみと期待と愛着がどろどろに入り混じった、呪いめいた執着が見え隠れする。認知症が進むにつれて母娘の関係はますます近くなり、緊張感も増していく。親子関係は、人類にとって最も近い関係ゆえに、わきあがる感情の重さと粘度も格別だ。特に"女"としての対立がうまれる母娘関係は、互いへの嫉妬と希望と失望をはらむ。感情の激しい揺れ動きと割り切れなさに焦点を当てた、家族小説である。

 ここ数年で相次いで翻訳刊行が続くオーストリア作家、トーマス・ベルンハルトの『昏乱』(池田信雄訳/河出書房新社)は、狂気と暗黒呪詛がうずまいている、暗黒書物である。ある辺境の村で医師として働く父と、鉱山学を学ぶ息子が、病院や狂気にとりつかれた村人たちを訪問していく。病人たちのエピソードを経て、親子はついに、土地の支配者、狂気の本丸である侯爵にたどりつく。ベルンハルト作品は、己の記憶と感情をだだ洩れさせる、音楽的罵倒が特徴だ。『昏乱』前半は、ベルンハルト度がおとなしめだが、侯爵が登場する後半では、純度の高い暗黒独白が展開される。『消去』のようなユーモアはなく、暗黒ベルンハルトを限界まで煮詰めたような語りは、ベルンハルト作品の中でも際立っている。あるていどベルンハルトの作風を知っている人向けの、ベルンハルト世界の極北。

 ロシアのポストモダニズム集団「モスクワ・コンセプチュアリズム」の代表的作家・アーティストである、パーヴェル・ペッペルシテインの短編集『地獄の裏切り者』(岩本和久訳/水声社)が、初邦訳された。幻覚、妄想、ドラッグによる忘我の境地に幸せを見出す、サイケデリックな世界観が特徴だ。ペッペルシテインの世界では、幸福は自我や苦痛の消滅と密接に結びついていて、「死は救済」である。苦痛からの解放のために、暴力、SF的アイデア、ドラッグが使われる。全体として、レトロなカルトSF映画を思わせる印象で、ソ連の宇宙開発が絶妙なスパイスとなっている。他では味わえない、特異な世界観を堪能した。

(本の雑誌 2022年4月号)

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●書評担当者● 藤ふくろう

海外文学の感想ブログ「ボヘミアの海岸線」を書いている。IT系メディアの編集者、外資マーケティングと、いろいろ越境しながら仕事している。たまに、分厚い海外文学を読む「ガイブン読書会 鈍器部」を主催。夢は、灯台かハウスボート(水上の家)に住むこと。

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