『ケンジントン公園』の狂躁的な語りに溺れる!

文=藤ふくろう

  • 年年歳歳
  • 『年年歳歳』
    ファン・ジョンウン,斎藤真理子
    河出書房新社
    2,145円(税込)
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  • ケンジントン公園 (エクス・リブリス)
  • 『ケンジントン公園 (エクス・リブリス)』
    ロドリゴ・フレサン,内田 兆史
    白水社
    4,620円(税込)
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  • フォンターネ 山小屋の生活 (新潮クレスト・ブックス)
  • 『フォンターネ 山小屋の生活 (新潮クレスト・ブックス)』
    パオロ・コニェッティ
    新潮社
    1,980円(税込)
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 現代韓国を代表する作家のひとり、ファン・ジョンウンによる『年年歳歳』(斎藤真理子訳/河出書房新社)は、母娘二世代の女性たちがそれぞれ抱える生きづらさをめぐる物語である。まず、娘たちの生きづらさが語られる。結婚して子供がいる姉は、仕事との両立が厳しく、母親と同居して家事育児をしてもらうことでしのいでいる。妹は独身のクリエイターで、家族からは「そんな生活をいつまで続けるつもりだ」「家族のない生活は生活じゃない」とプレッシャーを受けている。小説はさらに、娘世代の生きづらさから、母世代の生きづらさに踏みこんでいく。母は、本名ではなく、スンジャ(順子)=従順な子、という名で呼ばれながら、朝鮮戦争後の混乱を生き延びた。多くの女性が、本名ではなく順子と呼ばれ、従順であることを求められ、強制された時代だった。複数の順子(スンジャ)たちの語りから、戦争がいかに人生を残酷かつ不可逆に変えてしまうか、巻き込まれた人々が選択肢を容赦なく奪われていくかが浮かび上がる。『年年歳歳』は、登場人物の苦しみを、それぞれが抱える固有の痛みとして描いている。この痛みは、家族だからといって分かち合われるものではなく、家族だからといって理解できるものでもない。痛みには、語られる痛みと、語られない痛みがある。戦争が母世代に与えた痛み、母世代から娘世代に受け継がれた痛み、受け継がれなかった痛みを描いた、凄みのある筆致の小説。

 アルゼンチンの作家、ロドリゴ・フレサン『ケンジントン公園』(内田兆史訳/白水社)は、「大人になりたくない者たち」の物語を、狂気をはらんだ情熱で語りまくる、奇妙で饒舌な語りの小説だ。永遠の少年といえば、『ピーター・パン』である。語り手はまず、『ピーター・パン』の作者J・M・バリーと、ピーター・パンのモデルとなったルウェリン・デイヴィス家5人兄弟の生涯を語り始める。そして、ピーター・パン関係者のエピソードにかぶせるようにして、語り手自身の人生についても語りだす。この語り手のスタイルが、だいぶ癖が強い。ピーター・パン関係者の伝記を参照しながら自分語りをしまくる、狂気をはらんだ早口オタクを想像するとよい。語り手は、永遠を生きる少年「ジム・ヤングの冒険」シリーズ小説の作者であるらしい。彼はピーター・パン関係者の人生と自身の人生に多くの共通点を見出し、両者のエピソードを混ぜかえしながら、膨大な資料を参照して語りまくる。さらに、1960年代英国で爆発した若者文化、スウィンギング・ロンドンの記述が差し込まれる。大人にならない少年の物語、大人になりたくない物語を書いた作家たち、大人になりたくなくてラブ&ピースの夢を見た時代。大人になることを拒んだ人々の物語が、これでもかと重ねられ、混ぜ合わされて、言葉の濁流となって流れてくる。そして読者は、永遠の少年でいることの苦しみを知る。永遠の少年であることは、夢を見続けることであり、時に激しい生きづらさを伴う。永遠の少年を描いた作家の人生が、喪失の痛みと苦渋に満ちていたことが、奇妙な迫力でもって迫ってくる。絶えず脱線し続けていく語りの裏にある、不穏な事件の影も気になり、ぐいぐいと読まされた。

 アルゼンチン文学からもう1冊。リカルド・ピグリア『燃やされた現ナマ』(大西亮訳/水声社)は、1960年代のアルゼンチンで実際に起きた、現金強奪未遂事件を題材にした小説だ。4人の若者たちが、現金輸送車を襲撃して、現ナマを強奪して逃亡する計画を企てる。大胆な計画だったが、途中まではうまくいきそうだった。しかし、想定外の事故、ドラッグ漬けの実行犯たちによる刹那的な判断、執念深い警察の追跡、といったことが続き、雲行きが怪しくなってくる。実際の事件をベースにしているものの、じつに小説的な小説だ。事件が進行する合間に、若者たちの過去が、生い立ちや家族経歴まで遡って、じっくりと語られる。若者たちが社会からドロップアウトして犯罪に手を染めるようになった理由、アルゼンチンの貧困と腐敗権力の問題が描かれる。『燃やされた現ナマ』は、生きづらさを抱えながら刹那的な人生を全力で生きる、若者たちの青春小説でもある。悪党たちは、数少ない仲間たちと深い友情を築いている。事件の激化とともに、悪党たちの友情描写も加速していき、なかなか熱い。追う者と逃げる者の業と背景を丁寧に描きつつ、派手な展開で読者を飽きさせない小説だ。

 不穏で事件性のある文学が続いたので、最後は静かな本を。パオロ・コニェッティ『フォンターネ 山小屋の生活』(関口英子訳/新潮社)は、書けなくなった作家による山小屋生活記だ。都会暮らしの作家が人生と都会生活に疲れ果ててなにも書けなくなり、苦悩を抱えてアルプスの山小屋へと移り住む。都会の喧騒から逃れると世界はぐっと静かになり、作家の感性と観察力は自然へと向かう。緑や雪のにおい、水の冷たさ、薪ストーブの音、夜の静寂、といった五感で感じたものを、コニェッティは豊かな言葉でつづる。また、作家は自分の自我や弱さも見つめて開陳する。ソロー『森の生活』を愛読し、孤独を求めてきたはずなのに、孤独になりきれない自分を知るのである。実際のところ、彼の生活は、隠遁生活というには、近隣住民との交流が活発すぎる。だが、こうしたままならなさが人間らしくてよい。事件もサバイバルもない静かな本だからこそ、語りが際立つ。既刊の長編小説『帰れない山』とともに、じっくり味わいたい。

(本の雑誌 2022年6月号)

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●書評担当者● 藤ふくろう

海外文学の感想ブログ「ボヘミアの海岸線」を書いている。IT系メディアの編集者、外資マーケティングと、いろいろ越境しながら仕事している。たまに、分厚い海外文学を読む「ガイブン読書会 鈍器部」を主催。夢は、灯台かハウスボート(水上の家)に住むこと。

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