待望のシリーズ第二弾『天使の傷』から目が離せない!
文=吉野仁
待ちに待った続編の登場だ。
マイケル・ロボサム『天使の傷』(越前敏弥訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)は、『天使と嘘』に続くシリーズ第二弾。いよいよ嘘を見破る能力をもつ少女イーヴィ本人の秘密に迫っていく。
半年前に引退したウィットモア警視の死体が工場の空き地で発見された。彼は児童連続殺人事件を追っていたが、その犯人はすでに逮捕され、獄中で死亡していた。共犯者の仕業なのか。臨床心理士サイラスは、ウィットモアが残したホワイトボードにイーヴィの異名"エンジェル・フェイス"の文字を見つけた。サイラスは一連の事件の真相を暴こうと動きまわる。
前作同様、サイラスとイーヴィが交互に語り手となっている。捜査の展開のみならず、お互いに過去の傷を負った主人公たちの姿、心の動き、微妙な間をつなぐ会話など、繊細で哀切に満ちた人間模様が描かれており、本作も冒頭から目を離せない。小出しにした謎が意外な展開へと向かうスリリングな話運びの妙にも注目だ。
次は、R・V・ラーム『英国屋敷の二通の遺書』(法村里絵訳/創元推理文庫)。舞台は、紅茶で知られるインド・ニルギリ丘陵付近の避暑地である。代々の主が変死していることで知られる屋敷で新たに謎めいた殺人が起こった。館の主人バスカーの要請でそこに滞在していた元警察官のアスレヤは、事件の解決をめざす。呪われた館、二通の遺書、問題を抱えた家族。いわばクリスティー式探偵小説の形式や道具立てを見事そのまま現代インドへ持ってきたミステリなのだ。この手の愛好者は読み逃すなかれ。
インドの次はパキスタン。クラム・ラーマン『ロスト・アイデンティティ』(能田優訳/ハーパーBOOKS)は、パキスタン生まれ英国育ちの作者によるスリラーだ。ジェイは、ロンドンのムスリム・コミュニティーで生まれ育った青年だが、あるときドラッグの密売容疑で逮捕された。そこへMI5の局員が接触してきた。無罪にするかわりにMI5の一員となり捜査に協力するよう命じられたのだ。やがてジェイはパキスタンへ赴き、ある組織の訓練キャンプに参加した。イギリスのムスリム社会、パキスタンのテロ組織をはじめ、知られざる世界が内側から描かれるばかりか、次々と見せ場が登場する。また題名どおり、自身を見失った青年の物語でもあるのだ。
アリッサ・コール『ブルックリンの死』(唐木田みゆき訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)は、ジェントリフィケーションを題材にした異色作。結婚生活に失敗してブルックリンの実家に戻ってきた黒人女性シドニーは、街の大きな変化に気づき、地域の歴史探訪ツアーを企画した。やがて彼女は、隣人である白人のセオと親しくなっていく。街に暮らす人々の日常が語られていくが、後半からは隠されていた事実が暴かれ、思いもしないスリラーが展開する。奇妙な雰囲気が漂う話だ。
ジョエル・ディケール『ゴールドマン家の悲劇』(橘明美・荷見明子訳/創元推理文庫)は、作者のデビュー作『ハリー・クバート事件』の語り手マーカス・ゴールドマンがふたたび登場する。「いったいどんな出来事がこの一家に襲いかかったのか」という興味で読ませるサスペンスで、マーカスの子ども時代、従兄弟とその親友との三人組の物語をはじめ、一家の栄光と悲劇にまつわる様々なエピソードが繰りひろげられていく大河小説でもある。実力ある作家が紡ぎだすだけあって、退屈の文字はない。
ヨルン・リーエル・ホルスト『警部ヴィスティング 悪意』(吉田薫訳/小学館文庫)は、未解決事件四部作の第三弾。逮捕された殺人犯が、死体を遺棄した現場へ連行された。だが一瞬の隙をついて逃亡を果たした。はたして共犯者がいたのか。評判の高いシリーズだが、これまで以上に映像的で娯楽性が高まっている。
ラーシュ・ケプレル『墓から蘇った男』(品川亮訳/扶桑社ミステリー)は、〈ヨーナ・リンナ〉シリーズの第七作。あるアパートの一室で男の死体が発見された。被害者の冷蔵庫には多くの切断された人体があるばかりか、そのなかにヨーナの妻スンマの頭蓋骨がまぎれていた。ヨーナに宿敵ユレックの影が迫る。例によりケレン味にあふれた作風で、読み手を翻弄させまくるのだ。
レイフ・GW・ペーション『悪い弁護士は死んだ』(久山葉子訳/創元推理文庫)は、強烈な個性を持つ〈ベックストレーム警部〉が活躍するシリーズ第三弾。弁護士が殺された。だが、被害者の飼っていた犬の殺害は、主人の死の四時間後だったことが発覚し、捜査は混乱する。犯人はわざわざ引き返して犬を殺したのか? ロシア皇帝ニコライ二世が登場の「ピノキオの鼻の本当の物語」が作中に挿入されるなど、いったい話がどこに着地するのか見当がつかない怪作だ。
最後に、今月もっともハラハラドキドキしたのが、T・J・ニューマン『フォーリング―墜落―』(吉野弘人訳/早川書房)。ある航空機の機長のもとに謎の男から、彼の家族を人質にとったと連絡がはいった。命を助けたければ、飛行機を墜落させろという。いわばハイジャック+トロッコ問題で幕を開ける。ひねりのある驚きや状況の変化とともに生まれるサスペンスをうまく話の中に落とし込みつつ、誰ひとりとして被害者を出さないように奮闘する主人公たちの活躍が、正攻法で描かれていく。登場人物の個性と旅客機内のディテールがぞんぶんに書きこまれ、ぐいぐいと読ませる小説だ。なにせ作者は元キャビンアテンダントで、じっさいの体験がしっかり作品に生きているのである。
(本の雑誌 2022年6月号)
- ●書評担当者● 吉野仁
1958年東京生まれ。書評家。おもにミステリを中心とした小説や本の書評、文庫解説などを執筆。
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