愛と苦しみが混じり合う『シャギー・ベイン』の強烈な輝き
文=藤ふくろう
初邦訳作品の『掃除婦のための手引き書』が大反響を呼び起こしたルシア・ベルリンの短編集、『すべての月、すべての年』(岸本佐知子訳/講談社)がやってきた。ベルリンの短編は、ぱっと描かれる風景や会話が鮮やかなところが魅力だ。即興のような軽やかさがありながら、声やイメージが選び抜かれていて、この流れでこの言葉を持ってくるとは、という驚きをもたらしてくれる。登場人物の人生は離別や孤独が身近にあって明るい状況ではないが、諦念交じりのあっけらかんとした語りのおかげか、重苦しさよりも軽やかさが印象に残る。多彩な人生を歩んだベルリンらしく、いろいろなタイプの作品があって、しかもどれもおもしろい。何度も読み返したいと思える、数少ない作家のひとりだ。
ダグラス・スチュアート『シャギー・ベイン』(黒原敏行訳/早川書房)は、デビュー作にして2020年英国ブッカー賞を受賞した、話題のイギリス小説だ。英国グラスゴーの貧困地区に住む少年シャギーが、アルコール依存症の母、異父兄姉とともに過ごした日々を語る。シャギー一家の生活は崩壊している。浮気性の父は家を出て、女優のように美しいが男を見る目がない母は、寂しさとつらさを酒でまぎらわせる。子供たちは母が治ることを期待し、母もその期待に応えようとするが、状況は厳しい。『シャギー・ベイン』は、愛と苦しみ、美しいものと醜いものが混然となった小説だ。物語の中心である母親は、美しいものを愛で子供たちを愛する一面と、破滅的で男からの愛を渇望する一面を持ち合わせる。子供たちも、母への愛と期待、怒りと失望の間で揺れ動いている。そんな中、シャギーの母に対する感情だけが揺るがない。そのぶれなさを、愛と呼べばいいのか、執着と呼べばいいのか、もはやわからない。ヤングケアラー、貧困、宗教確執といった社会問題と、家族間の愛憎交わる強烈な感情が、濃密に絡まり合い、名状しがたい読後感を残していく。感動物語にしてはいけない危うさがありながらも、輝くものがあって目を奪われた。
EU離脱決定後の英国を舞台に、現在進行形の時事問題を取り上げつつ、人々の分断と分断への抵抗を描く、アリ・スミスの「四季四部作」シリーズが、折り返し地点にきた。3作目となるアリ・スミス『春』(木原善彦訳/新潮社)は、2つの物語から始まる。ひとつは、長年のパートナーを亡くして、生きる気力を失った映像作家の物語。もうひとつは、移民収容施設の保護官と、不思議な力で移民収容施設のトイレ掃除を成し遂げた少女が出会う物語。ふたつの物語が、不思議な少女を中心に交錯する。少女は、皆が「そういうものだから」と諦めたり、犠牲を誰かに押しつけている事柄について「それはよくない」とはっきり言い、改善を迫り、実行させてしまう。少女の力と言葉に驚かされた。政治的かつ時事的な四季シリーズはいつも、他の小説にはない身近さで迫ってくる(なお『春』はシリーズものの1冊だが、単独で読める)。
レオ・ペルッツ『テュルリュパン』(垂野創一郎訳/ちくま文庫)は、17世紀フランスで"起きる予定だったけれど実際には起きなかった"革命未遂事件をテーマにした歴史小説である。ぺルッツは、歴史的な瞬間をめがけて、人と状況が宿命的に動いていく過程を描く。今回、歴史ピタゴラスイッチの引き金を引くのは、自身が高貴な生まれだと思いこむ妄想癖の男、テュルリュパン。彼はある偶然から、本当の母は公爵夫人だと確信し、母に会うために城へ貴族として忍びこみ、貴族の陰謀に巻きこまれていく。史実と劇的展開を緻密に組み上げていく筆致は、さすがぺルッツだ。無名の男が抱いた妄想が歴史を作り、後のフランス革命に続いていった......という歴史観もおもしろい、運命論的な歴史ホラ話。
これほどまでに「サバイバル短編集」と呼びたくなる短編集は、初めてかもしれない。ダイアン・クック『人類対自然』(壁谷さくら訳/白水社)は、極限状況に抵抗する人々を描く。ボートで何日も遭難したり、凶悪な怪物が会社に来襲したり、目を離した一瞬に子供を連れ去るヤバい男が庭に居座っていたり、登場人物は人生や生存を脅かされる状況に容赦なく放りこまれる。過酷な現実と戦いながら、絶対に捨てられないものはなにか、自分の人生とはなんだったのかと、原初的で究極的な問いと対峙する。周囲が現実を受け入れて諦めても、登場人物たちはもがき、暗黒の中で生命力を燃え上がらせる。過酷な状況と「己の人生を生きたい」との願いのコントラストが強烈。それにしても、クック世界にはどれも絶対に行きたくない。
20世紀ノルウェーを代表する作家、タリアイ・ヴェーソスの代表作『氷の城』(朝田千惠、アンネ・ランデ・ペータス訳/国書刊行会)が、約50年ぶりの新訳で登場した。舞台は、森と湖に囲まれ、冬には氷と雪に閉ざされるノルウェーの田舎町。クラスの中心にいる少女と、転校生の少女が出会い、互いを特別な存在として認める。驚きと親近感と戸惑いを感じた少女たちは、それぞれ途方もない切実さを抱え、滝の近くにある"氷の城"をめざす。ヴェーソスの描写には、独特の美しさがある。少女たちの感情は率直かつ繊細で、北欧の自然描写は寒さがしんしんと伝わってくるようだ。とりわけ圧巻だったのが、氷の城を歩くシーンだ。超自然的な幻想風景が、忘れがたい印象を残す。『氷の城』は、タリアイ・ヴェーソス・コレクション(全3巻)の1巻目。残り2作の刊行が楽しみな作家だ。
(本の雑誌 2022年7月号)
- ●書評担当者● 藤ふくろう
海外文学の感想ブログ「ボヘミアの海岸線」を書いている。IT系メディアの編集者、外資マーケティングと、いろいろ越境しながら仕事している。たまに、分厚い海外文学を読む「ガイブン読書会 鈍器部」を主催。夢は、灯台かハウスボート(水上の家)に住むこと。
- 藤ふくろう 記事一覧 »