2022年の夏ガイブンはリリアンと双子でスタート!

文=藤ふくろう

  • リリアンと燃える双子の終わらない夏
  • 『リリアンと燃える双子の終わらない夏』
    ケヴィン・ウィルソン,芹澤 恵
    集英社
    2,750円(税込)
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  • 大丈夫な人 (エクス・リブリス)
  • 『大丈夫な人 (エクス・リブリス)』
    カン・ファギル,小山内 園子
    白水社
    2,200円(税込)
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  • かくも甘き果実
  • 『かくも甘き果実』
    モニク・トゥルン,吉田 恭子
    集英社
    2,640円(税込)
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  • もう行かなくては
  • 『もう行かなくては』
    イーユン・リー,篠森ゆりこ
    河出書房新社
    3,740円(税込)
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  • 呼び出し
  • 『呼び出し』
    ヘルタ・ミュラー,小黒 康正,髙村 俊典
    三修社
    3,080円(税込)
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 2022年の夏ガイブン(夏に読みたい海外文学)にぴったりの小説、ケヴィン・ウィルソン『リリアンと燃える双子の終わらない夏』(芹澤恵訳/集英社)はタイトルどおり、リリアンと物理的に燃える特異体質の双子が、ひと夏を一緒に暮らす物語である。語り手のリリアンは、親からネグレクトされて育ち、気力のない暮らしをしている低所得層アメリカ人だ。ある日、長年文通をしている富裕層の旧友から、双子の世話をする仕事を頼まれる。双子を絶対に世間に知られてはならないという条件で、双子とリリアンが豪邸でともに暮らす夏が始まる。リリアンの低空飛行ユーモアに満ちた語りと、なんともいいがたい人間関係が絶妙な小説だ。リリアンも双子も、周囲の人たちにひどく傷つけられてきた。リリアンの傷は長年放置されたまま膿んでいて、なぜ激怒したり絶縁したりしないのか不思議なぐらいだ。だが、深い人間関係は、そう簡単に捨てられるものではないのだろう。清算していない過去、親しい人との危うい人間関係、割り切れない感情など、白黒つけられないグレーなリリアンの世界が、双子の炎によって色鮮やかに変わっていく。深い人間関係から生まれる、最高の喜びと最低の痛みを描いており、毒と解毒剤を同時に飲むような読書体験を味わえる。

 カン・ファギル『大丈夫な人』(小山内園子訳/白水社)は、不安と不穏と悪意の中で揺れる女性たちの心理を描く短編集だ。「大丈夫」という言葉が出てくる時はだいたい大丈夫ではないものだが、それにしても『大丈夫な人』の大丈夫でない具合は、なかなかのものだ。語り手たちは、人生に不安を感じていて、大丈夫でいたい、不安から逃れたい、と願っている。そのため、裕福な恋人、卒業すれば成功すると噂の幼稚園など、安心できそうな人や場所を頼ろうとする。だが、願いとは裏腹に、安心させてくれるはずの相手の言葉、視線、笑顔、伸びてくる手が、底知れずに怖い。うっすらとした悪意をきっかけに、不安がどんどん膨れ上がり、異様で想定外の方向へねじ曲がっていく展開がスリリング。「湖──別の人」はとりわけ結末が怖く、最も印象的。白い虫や病が不安原因の作品もあるが、やはり人間がいちばん恐ろしい。

 モニク・トゥルン『かくも甘き果実』(吉田恭子訳/集英社)は、小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーンと関わりの深い3人の女性たち(生みの母、1人目の妻、2人目の妻)が彼との思い出を語る、重層的な語りの小説だ。ハーンの生涯が主軸だが、ハーン自身の語りは登場せず、女性たち3人から見たハーンが語られる。誰しもいくつもの顔があり、人によって印象が変わるものだが、『かくも甘き果実』は、ハーンの複雑な来歴のために、多面性がより際立つ。ハーンは、ギリシャ、アメリカ、日本など、複数の国と文化圏を渡り歩いた。語り手の女性たちも、ギリシャ人の母、アメリカ人の妻、日本人の妻と国籍が異なり、それぞれパトリシオ、パット、八雲、とハーンを呼ぶ。彼女たちの語りは、じつに豊饒で面白い。愛、思慕、呆れ、悲しみなど、ハーンとの記憶とともに呼び起こされるさまざまな感情、各国の風景と料理が、彩り鮮やかに語られる。ハーンの言葉より、彼女たちの語りのほうが面白く思えてくる。彼女たちの語りは、「偉人を支えた母と妻」というステレオタイプへの挑戦にも思える。物語で名を馳せた男に物語を与えたのは彼女たちであり、彼女たちも物語る人なのだ。

 イーユン・リー『もう行かなくては』(篠森ゆりこ訳/河出書房新社)は、一風変わった日記小説だ。老人ホームにいる老女が、若いころ熱烈に恋した元恋人の日記を入手して読みこんでいる。元恋人はすでに死んでおり、日記は彼の死後に出版されたものだ。老女は、元恋人の日記に舌鋒鋭く突っ込みながら注釈を書き始め、その中で、男が知らなかった彼女の人生と秘密──彼との一夜でうまれた娘、娘の自死、孫のこと──を語り始める。交錯する元恋人と老女のテクストは、どちらもなかなか癖が強い。元恋人は浮気性で自己陶酔しているし、老女は自信家で毒舌(しかも未練たっぷり)なので、個性の強い者同士が対話しているような、にぎやかさがある。だが実際は、ふたりの間には生死という深い溝がある。死んでしまった人との対話を、日記と注釈という形で再構成しようとする試みが印象的。片道通行の恋、片道通行のメッセージ、片道通行の人生なのに、不思議な充足感がある小説。

 ノーベル文学賞を受賞した作家、ヘルタ・ミュラーの『呼び出し』(小黒康正・髙村俊典訳/三修社)は、ルーマニア独裁政権下に生きる息苦しさを、混沌とした独白で描く。語り手の女性は呼び出しを受けていて、毎回定刻に少佐のもとへ出頭しなくてはいけない。出頭のために路面電車に乗りながら、語り手は呼び出されることになった経緯と人生を思い出す。その語りは一筋縄ではいかない。路面電車の乗客を観察しながら、電車内の出来事から想起される過去、家族や友人とのエピソードの断片をランダムに語る。時系列が入り乱れたエピソードと人間関係をつなぎあわせて見えてくるのは、独裁政権下で生きる息苦しさ、他者と心が交わらない孤独、狂気に陥ることへの恐怖だ。どのエピソードからも、孤独、監視、密告、虚偽、処刑、死など、不穏な気配が立ちのぼる。近親者の何人かは独裁政権の犠牲となり、語り手も監視に絡めとられている。混沌とした語りは、耐えがたい混乱と恐怖を表現しているかのようだ。どこへ向かっても最終的に狂気に陥るしかない閉塞社会を描いた、恐ろしい小説。

(本の雑誌 2022年9月号)

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●書評担当者● 藤ふくろう

海外文学の感想ブログ「ボヘミアの海岸線」を書いている。IT系メディアの編集者、外資マーケティングと、いろいろ越境しながら仕事している。たまに、分厚い海外文学を読む「ガイブン読書会 鈍器部」を主催。夢は、灯台かハウスボート(水上の家)に住むこと。

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