シャルロッテ・リンク『裏切り』のふりきったヒロインがいいぞ!
文=吉野仁
今月はなんといっても、シャルロッテ・リンク『裏切り』(浅井晶子訳/創元推理文庫)だ。
ヨークシャー警察の元警部リチャードが自宅に侵入した男によって惨殺された。事件を知った娘のケイトは故郷に戻った。警察は、かつてリチャードが刑務所に送り込んだ連中のうちの誰かによる復讐との線で捜査を進めていくが、一番の容疑者とされる男の行方はわからないままだった。
家族または友人が死亡し、何年ぶりかで故郷に帰った主人公が事件の真相をつきとめていくという話は、ミステリの典型的な型のひとつだ。本作は、そこへもうひとつ別の物語が挿入される。脚本家ジョナスが仕事に取り組むため、二週間ほど妻子とともに人里離れたヨークシャーの農場にこもることとなった。だが、そこへ養子である五歳の息子サミーの生みの母が現れ、思わぬ事態が巻き起こる。
さまざまな視点人物による話が並行して進み、いずれも不穏な空気の漂うドラマがつづく。章立てや構成のうまさに加え、本作でなにより注目すべきは、主人公の人物造形だ。スコットランド・ヤードの刑事であるケイトは三十九歳、独身で、恋人なし、友人なし。職場では周囲から疎んじられ、父の死で長期休暇をとったとき上司はうれしそうに許可をくれたという。こんなヒロインがこれまでいただろうか。しかも物語のあるところで、ケイトはものすごいみじめな気持ちを味わうことになり、読んでいるこちらまで辛くなる場面がある。もしも「生きづらさを抱えた登場人物ランキング」があるなら文句なしに上位入選、「みじめなヒロイン選手権」ならばぶっちぎりで優勝する主人公なのだ。
さらにタイトル「裏切り」が指し示す真相も衝撃的。このように、交錯するプロット、ふりきった特徴をもつ人物造形、葛藤に満ちたドラマがどれも際立ってるせいか、本作は、ドイツでこれまで以上の売り上げを記録し、著者はじめてのシリーズものになったという。第二作の邦訳が待ちきれない。
亡くなった親が残した謎をめぐる物語といえば、ジェフリー・ディーヴァーの〈懸賞金ハンター〉コルター・ショウ・シリーズ第三作『ファイナル・ツイスト』(池田真紀子訳/文藝春秋)もまた娯楽性に富んでいる。コルターは、父の死の謎を解く鍵は、民間諜報会社ブラックブリッジと百年前の公文書にあるとつきとめ、サンフランシスコの街を縦横無尽にかけめぐっていく。だが彼の調査を妨害しようと怪しい連中が迫ってきた。アクションに加え、ひねりのある展開が次から次へとつづき、ベストセラー作家の本領が発揮されたジェットコースター・ノヴェルである。
C・J・ボックス『嵐の地平』(野口百合子訳/創元推理文庫一二六〇円)は、猟区管理官ジョー・ピケット・シリーズ第十五作だ。ジョーの養女エイプリルが、意識不明の状態のまま道ばたで発見された。昨年、彼女と駆け落ちした青年ダラスに疑いが向けられたが、彼はロデオ大会で大けがをして療養中だという。一方、ジョーの友人である鷹匠ネイトが恋人のリヴとともに仕事で古い農場へ向かったところ、危険な目にあってしまう。悪辣な一家との戦いが派手に繰りひろげられる活劇小説としての醍醐味はもちろんのこと、事件の核心に迫ったり、危機から脱出すべく奮闘したりする中盤までのサスペンスがしっかりと物語を支えているため、読みとどまることはない。
アレックス・ベール『狼たちの宴』(小津薫訳/扶桑社ミステリー)は、評判を呼んだ『狼たちの城』の続編である。ユダヤ人の元古書店主イザークは、逃亡中に、ゲシュタポ犯罪捜査官アドルフ・ヴァイスマンとして女優殺害事件を捜査し、見事に解決した。そして今回、新たな殺人事件の捜査官となる。同時にゲシュタポ・ニュルンベルク長官の秘書ウルスラと親しくなっていく。正体を隠し仮面をかぶりながら、紙一重の危機が迫るなかでの探偵行というスリリングな展開は前作と変わらないが、ウルスラを恋する新聞記者が現れ、イザークの存在を怪しんで密かに調査する、という意外な敵が登場するあたりが面白いところだ。
リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク『レヴィンソン&リンク劇場 突然の奈落』(後藤安彦他訳/扶桑社ミステリー)は、昨年刊行『皮肉な終幕』につづく第二弾。「ヒッチコック・マガジン」などに掲載された十作品を集めたもので、主人公が思わぬ罠におちいり自滅するなど、ラストであっと驚く物語が並ぶ。たとえば「最後のギャンブル」は、若い妻をめぐりブラックジャックのディーラーとカードではなく意外な方法で勝負をする話。発想やオチの意外性に満ちたミステリ短編を好む人なら必読だ。
最後は、昨年のミステリ・ランキング上位を席巻した『自由研究には向かない殺人』の続編だ。ホリー・ジャクソン『優等生は探偵に向かない』(服部京子訳/創元推理文庫)は、高校生のピップが友人の兄ジェイミーの失踪事件を追う物語。ただし前作のネタがバラされているので、未読の方は要注意である。今回もまたピップと相棒のラヴィが協力しながら、ポッドキャストで調査の模様を配信し、リスナーから情報を集めたり、関係者へインタビューしたりすることで、事件の解決をめざす展開だ。まずはジェイミーがいなくなるまでの行動を丹念に追っていく。この小説の良さは、最新メディアが駆使されている部分にとどまらず、探偵の手続きをごまかさずひとつひとつおさえていくところだとあらためて思いながら愉しんだ。しかも今回、予想外の大きな展開をみせていく。期待をうわまわる読みごたえだった。
(本の雑誌 2022年9月号)
- ●書評担当者● 吉野仁
1958年東京生まれ。書評家。おもにミステリを中心とした小説や本の書評、文庫解説などを執筆。
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