七二〇通りの驚きがある道尾秀介『N』がすごい!

文=古山裕樹

  • おはしさま 連鎖する怪談
  • 『おはしさま 連鎖する怪談』
    三津田 信三,薛西斯,夜透紫,夜透紫,陳浩基,玉田 誠
    光文社
    2,530円(税込)
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  • メルカトル悪人狩り (講談社ノベルス)
  • 『メルカトル悪人狩り (講談社ノベルス)』
    麻耶 雄嵩
    講談社
    990円(税込)
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 ミステリというジャンルの何に惹かれたのか。筆者にとっては、ある物語が、隠れていた真相が明かされることによって、意味が全く変わってしまうところだ。驚きとともに起こる認識の組み換え。これまで読んできたストーリーの意味の書き換え。遡行する驚きといってもいい。再び最初から読むと、同じ文章が最初に読んだときとは異なる意味を帯びている。認識の変化がもたらす、不可逆の驚きを楽しんできた。

 降田天『朝と夕の犯罪』(KADOKAWA)は、そういう快楽を存分に堪能させてくれる。

 第一部では、ある兄弟が仕掛けた狂言誘拐の顛末が語られる。そのクライマックスで読者の関心を宙吊りにしたまま、第二部では八年後の、全く異なる事件の様子が語られる。やがて、過去と現在につながりが見えてくる。だが、いくつもの不整合と疑問が生じる。謎を山積みにしたまま、物語は進む。

 遡行する驚き──「あれはそういうことだったのか!」という衝撃をしっかり刻み込んでくれる。読了後、すぐに最初から読み返したくなる。構成の妙技を堪能できる作品だ。

 降田天は執筆担当とプロット担当の二人による合作の名義だが、それでは五人の作者が協議することなく、それぞれの思惑で仕上げた物語をつなぎ合わせたらどうなるのだろうか。三津田信三・薛西斯・夜透紫・瀟湘神・陳浩基の『おはしさま 連鎖する怪談』(玉田誠訳/光文社)は、三津田信三の短編を先頭に、台湾・香港の四人の作家がそれぞれの物語を繋いでみせたリレー小説だ。

 じっとりとした怪異譚のあとに、モチーフを同じくする四つの物語が並ぶ。各章が独立した物語ではあるが、ゆるやかにつながっていて、一部の人物が複数の章にまたがって登場する。

 それぞれの章に個性がある一方で、全体としても一つの怪異譚を通してまとまっている。

 リレー小説とはいえ、ストーリーが緊密に結びついているわけではない。とはいえ、やはり後の章ほど制約が増えていく。かくして、陳浩基による最終章では大技が投入される。作者たちの思惑(と苦労)がうかがえる「作者あとがき」にも目を通しておきたい。

 読む順序に趣向を凝らした作品が、道尾秀介『N』(集英社)である。六つの章を先頭から順番に読むのではなく、読者が自由な順序で読むことができるような作りになっている。各章の間では、登場人物や時系列がゆるやかにつながっている。A→Bの順に読めば特に意外でもないできごとも、B→Aの順に読めば驚きをもたらす。さらにCを読むとAとBに登場した人物の過去が明かされる......という形で、読む順序によって、何に驚くか、どこに衝撃を受けるかが変化する。

 複数の短編が、人物や事件でリンクしているだけなら珍しくはない。本書の特色は、「どんな順序で読まれるか」を考慮した上で、それぞれの章で何を語り、何を語らないかを入念に選んで、順序を入れ替えても何らかの驚きを経験できるように組み立てているところにある。

 とはいえ、おすすめしたい読み方はある。ミステリとしての驚き、「あれはそういうことだったのか」という驚きを存分に味わいたければ、「笑わない少女の死」を最後に読むのは避けたほうがいいだろう。もちろん、通常の小説として読むぶんにはなんの差支えもない。

 この章は作中の時系列では一番最後に相当するのだが、ミステリらしい驚きを味わいたければ最後には向かない。語りの順序に多くを負ったジャンルゆえの制約といっていいだろう。

 異なる順序で再読すれば、また異なる感興が生じる。何度でも楽しめるといっていい。六つの章を読む順序は全部で七二〇通り。だが、最初に読んだときとは違って、すでに各章の内容とつながりを知っている。最初に選んだ順序での驚きは、やはり特別なものなのだ。

 最初とは異なる順序で読みながら、体験できなかった七一九通りの驚きに思いを巡らせてみるのもまた楽しい。

 さて、短編集もまた好きな順序で読んでいい本のはず。だが、深緑野分の短編集『カミサマはそういない』(集英社)の場合は、先頭から順に読んだほうがよさそうだ。

 最初の「伊藤が消えた」は、現代日本を舞台に、ある悪意を描いたサスペンス。続く二篇目以降は異なる時代、異なる世界へと舞台を移し、陰鬱な物語が展開される。

 後半の「ストーカーVS盗撮魔」で現代日本に戻って皮肉なユーモアをみせた後は「饑奇譚」でまた異界へと旅立つ。最後の「新しい音楽、海賊ラジオ」では、先頭とは正反対の爽やかな色合いの物語を楽しめる。

 悪意の物語で幕を開け、希望の物語で幕を閉じる。前半四篇がA面、後半三篇がB面という見方もできる短編集だ。暗い色調に包まれながらも、彩り豊かな作者の世界を楽しめる。

 一方、こちらはある種の連作としても読める。麻耶雄嵩『メルカトル悪人狩り』(講談社ノベルス)は、作者のデビュー三十年目に刊行された、銘探偵・メルカトル鮎の十年ぶりの短編集だ。前半は初期と近年の短編が一篇ずつ、そして三ページ程度の掌編が二つ。

 後半の「囁くもの」以降は、ある種の連作として読むことができる。メルカトルの言動と事件の解決とが奇妙なつながりをみせる短編が続く。探偵の繰り出す転倒した論理は、本書の最後に置かれた「メルカトル式捜査法」で頂点に達する。ここでもう一度「囁くもの」に戻ってみると、メルカトル鮎という特異なキャラクターが担う特異な論理がよく見えてくる。

 極端にねじれた論理が高密度で詰め込まれた一冊である。

(本の雑誌 2021年12月号掲載)

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●書評担当者● 古山裕樹

1973年生まれ。会社勤めの合間に、ミステリを中心に書評など書いています。『ミステリマガジン』などに執筆。

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