ジェニー・オデル『何もしない』で注意力を取り戻す!?
文=冬木糸一
現代は我々の注意と時間を奪っていくもので溢れている。SNSは常に新しい通知を伝えてくるし、仕事が終わっても競争社会で忙しく、オフの日でも学び、成長が求められる時代である。だが、そんな在り方にノーを突きつけるのが、何もしない時間の意味を問い直す過程で、生産性至上主義が蔓延る現代の問題点を追求する、ジェニー・オデルの『何もしない』(竹内要江訳/早川書房)だ。著者のいうところの「何もしない」とは、公園にいって鳥を観察したり、道行く人を眺めてその人生に思いを馳せてみたり、といった生産性があるとは思われない行動のことを指している。だが、公園での鳥の観察も、時間をかけてじっくりと音を聞き、動き回れば、時間と場所ごとにまったく違った種類の鳥がいることが見えてくる。さらに、どんな人が公園にいて、植物や木が生えているのかなど、目につく限りのパターンを探る。こうやって、日々の喧騒から離脱し、自然や文化を観察するトレーニングを積むことで、我々は表面的な事象の裏側に潜む深いコンテクストに気がつく。それこそが、深く思考し、内省を促し、ソーシャルメディアによって細切れにされた我々の注意力を取り戻すきっかけになるのだと著者は語る。これでどこまで注意力が取り戻せるのかわからないが、僕も本書を読んでから意図的に「何もしない」をするようになった。そういう意味では、今年一番影響を受けた本である。
日本の、とりわけ若い層の投票率は低い。投票に行かない理由は、どうせ投票しても何も変わらない、面倒くさいなどいくつもあげられるだろう。だが、それでも選挙には行く理由があるのだ、と力説していくのが、アダム・プシェヴォスキ『それでも選挙に行く理由』(粕谷祐子、山田安珠訳/白水社)だ。もちろん選挙には欠点がある。投票した政治家に裏切られることなどしょっちゅうだし、入れた候補者が負けたら何の意味もない(ようにみえる)。選挙が行われている建前だけがあって、実際には操作が行われ現職が必ず当選するようなケースさえもあるが、たとえそのような"非競合的な選挙"であったとしても、選挙は意味のあるシステムだというのである。政治学者による本なので専門的な記述も多いが、選挙に行く意味を、体系立てて理解させてくれる一冊だ。
続いては、選挙のたびに大きく話題と政策の焦点にあげられる「税金」についてのノンフィクション、ドミニク・フリスビー『税金の世界史』(中島由華訳/河出書房新社)を紹介しよう。結局、消費税、法人税など何に課税するのが効率的なのか? 税金をめぐる政府や市民の行動には歴史からみてどのようなパターンがあるのか? など様々な問いかけに対する答えが、本書を通して見えてくる。たとえば、大抵新税は戦争や紛争で資金が必要になってから導入され、臨時税という触れ込みでもいつのまにか恒久税にされてしまう。新税が作られたり税が重くなると市民は逃れようとするが(たとえばイングランドで窓の数に税金がかかるようになった結果、市民は窓を塞ぎ、窓のない家を作った)、政府は額が思うほど集まらないと問題になっている税を撤廃するのではなく、重くする──など。仮想通貨、ロボット、AIの発展など税をめぐる状況は複雑化しつつあり、未来に対する税の在り方まで議論は展開されている。
次は人も含めた世界中の動物に共通する青春期の行動を探求するバーバラ・N・ホロウィッツ、キャスリン・バウアーズ『WILDHOOD 野生の青年期──人間も動物も波乱を乗り越えおとなになる』(土屋晶子訳/白揚社)を紹介しよう。人は、思春期・青年期にSNSでバカな発言をしたり、無鉄砲な運転をしたり、後先考えない行動に出ることが多い。実はこうしたヒトの若者特有と思われている行動は、オオカミ、クジラ、ペンギン、魚類に至っても普遍的に存在するのである。たとえば、コウモリは捕食者に発見されたと気づくと遭難信号を発し、通常その場を一目散に飛び去る。だが、思春期および青年世代のコウモリたちは逆に危険めがけて飛んでいく割合が多い。この行動は捕食者の情報を収集するためとみられ、魚類、鳥類、有蹄類の若者の間でも観察される。その過程で命を失うリスクもあるが、若者はあえて危険を体感しておくことで、将来的な生存率を向上させる効果もあるのだという。こうした事例は、ヒトの一〇代が時にあまりにもバカバカしく危険な行動をとる理由を教えてくれる。動物に共通する本能なのだから若者のバカな行動を肯定しろと言っているわけではなくて、他の動物との比較を通すことでヒトの青春期の行動にどのような意味があり、どう対応したらいいのか、というヒントがみえてくるのだ。
最後に取り上げたいのは、『人類が知っていることすべての短い歴史』などで知られ、長大な歴史を凝縮して説明させたら天下一のビル・ブライソンによる『人体大全 なぜ生まれ、死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか』(桐谷知未訳/新潮社)。書名の通りに人体に迫る一冊で、皮膚、脳、頭蓋骨、口といった身体の各部位を詳細に、されど重すぎず的確に紹介していくが、圧巻なのはその語り口のおもしろさだ。たとえば、皮膚には真皮と呼ばれる内層と、外側の表皮からできているといった教科書的なお硬い説明から始まって、ヒトの皮膚色がどうやって決まるのかという話から人種差別の問題に繋げるなど、変幻自在に飽きないようなテーマ、エピソードを織り交ぜていく。読み終えたときには、自分が今動いていることが凄まじいシステムのおかげだということがまざまざと実感できるだろう。
(本の雑誌 2021年12月号掲載)
- ●書評担当者● 冬木糸一
SFマガジンにて海外SFレビュー、本の雑誌で新刊めったくたガイド(ノンフィクション)を連載しています。 honz執筆陣。ブログは『基本読書』 。
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