芦辺拓『大鞠家殺人事件』の波瀾に満ちた物語を堪能!

文=古山裕樹

 かつては栄華を誇った船場の商家。衰えてもかつてのしきたりを守る豪商一族を、殺人の惨劇が襲う......。芦辺拓の『大鞠家殺人事件』(東京創元社)は、クラシカルな探偵小説の枠組みに沿って、古風な商家を描き出す。

 昭和十八年。美禰子は大鞠家の長男・多一郎に嫁ぐ。だが、軍医の夫はまもなく出征に。彼女は大阪で商家・大鞠家の人々と共に暮らすことになる。そして昭和二十年。一族の本宅で奇妙な殺人事件が起き、やがて奇妙な探偵が訪れる......。

 旧家で起きる連続殺人事件という、古典ミステリを思わせる状況を正面から描いた作品だ。一族と番頭や丁稚といった人々の人生を重ね合わせて、入り組んだ謎を紡ぎ出している。

 作者が大阪を描いた物語としても興味深い。初期の『時の誘拐』や『殺人喜劇のモダン・シティ』をはじめ、これまで大阪という都市をさまざまな角度から取り上げてきた作者が、船場の商家という独特の世界を舞台に、再び大阪を描いてみせた。

 謎とその解決が織りなすドラマもさることながら、その枠からはみ出したところにある要素が心に残る。悲哀とユーモアの入り混じった船場の描写、時代の移り変わりを経て失われていくものへの郷愁。ただノスタルジーに浸るだけでなく、旧弊なしきたりが人々にもたらす過酷な運命をも描き出している。

 こうしたドラマを描くため、大鞠家の歴史に、そして事件が起きるまでの過程にページを割いている。謎とその解明が、凋落した商家をめぐる物語と不可分のものになっている。戦争のもたらす暴風も登場人物たちを容赦なく襲い、こちらも作中で重要な役割を担う。

 時の流れと人々の運命を、謎解きのフォーマットに載せて語ってみせる。波瀾に満ちた物語を堪能できる作品だ。

 本格推理の次は、怪談をめぐる物語を。新名智『虚魚』(KADOKAWA)は第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞受賞作である。

 両親を失った事故をきっかけに、三咲は「本当に人が死ぬ怪談」を探して、今では怪談師として活動している。彼女は「呪いか祟りで死にたい」という奇妙な自殺志願者のカナちゃんと出会い、奇妙な利害の一致から共に暮らしている。カナちゃんが耳にした「釣り上げた人が死んでしまう魚がいる」という噂をたどってその出処を追ううちに、二人は幾つもの怪談に、そして怪異に遭遇する......。

 噂の断片をつないで、怪談の正体を探る。ホラー仕立てのミステリ、あるいはミステリ仕立てのホラーだ。探索から浮かび上がる、怪談が生まれ伝播する過程が興味深い。

 探索を通じて、三咲とカナちゃんにとっての怪談の意味も変わっていく。真相の探求が、二人の苦悩の解決に結びつく。怪談の発生と伝播を探る過程が、主人公たちの内面と響き合う。怪談とそれを追う人々をめぐるユニークな物語だ。作者の次作にも期待したい。

 いっぽう、怪異ではなく国家の謀略に巻き込まれた男を描いてみせたのが、月村了衛『ビタートラップ』(実業之日本社)である。

 並木はエリートでもないノンキャリアの公務員。中国人留学生の恋人・慧琳から、唐突な告白を受けた。彼女は中国の命令で接近したハニートラップ。その狙いは、並木が預けられた中国語の小説の原稿。一体なぜ、そんなものを......? 半信半疑のまま、並木は中国情報機関の目を欺くために慧琳と同棲することに。やがて、公安警察を名乗る男が並木に接近する......。

 他の月村了衛作品にも描かれるような、日本を舞台にした謀略劇を描いている。だが、〈機龍警察〉シリーズのような重厚さ、あるいは『ガンルージュ』のような痛快な展開はここにはない。そうした作品とは大きく趣向が異なる。

 主人公の並木は、世界の裏の謀略に関わりを持たずに生きてきた、そして適性も持ち合わせていない──おそらく私たちと変わらない等身大の人物だ。国家の大義よりも自分の暮らし。きわめて正義感が強いわけでもない。時には自分自身の中国人への偏見に気づかされる場面もある。そんな平凡な人物が、国家間のスパイ戦に巻き込まれてしまったら......? トーンはずいぶん異なるけれど、ちょっぴりグレアム・グリーンを、あるいはジョン・ル・カレの後期の作品を思い出した。

 本書の着地は、作者の他の作品に比べればずいぶん軽い。もしも本書のストーリーが謀略に主眼をおいたものならば、この解決は安直といってもいい。だが、本書の中心は謀略そのものではなく、そこに巻き込まれた平凡な人物がどう振る舞うかにある。その逡巡と決断の物語として、心に響く作品だ。

 こちらもシンプルな構造で読ませる物語。青木俊の『逃げる女』(小学館)は、タイトル通りの逃亡、そして追跡のドラマで読ませる作品だ。

 札幌で起きた殺人事件。警察は通報者の久野麻美の犯行を疑うが、逮捕直前に彼女に逃げられてしまう。道警が全力で追跡するものの、彼女はその手をすり抜ける。道警のベテラン刑事と、所轄の新米刑事のコンビが麻美の行方を追う......。

 麻美が知恵を駆使して、監視カメラと警察の捜査網をくぐり抜けて逃げ続け、奇抜な方法で北海道を離れる。その行方を二人の刑事が追う。意表を突く逃亡者と、その行方を追う地道な追跡者。やがて、麻美はただ逃げているのではなく、ある事情を抱えていることが明かされる。逃走のドラマを通じて、読者から見た彼女の姿が変わっていくさまも本書の魅力の一つだ。

 ラスト近くまで逃亡と追跡を積み重ねるタイトル通りの展開に、意外な真相を組み合わせた作品として楽しめる。

(本の雑誌 2022年1月号)

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●書評担当者● 古山裕樹

1973年生まれ。会社勤めの合間に、ミステリを中心に書評など書いています。『ミステリマガジン』などに執筆。

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