得体のしれない恐怖に侵食される辻村深月『闇祓』

文=高頭佐和子

 怖いのは苦手だ。日常生活に侵食してくるタイプのホラー小説には、近寄らないようにしている。なのになぜ辻村深月『闇祓』(KADOKAWA)を手にしてしまったのか。

 第一章の舞台は私立高校だ。優等生タイプの女子・澪のクラスに転校生・要がやってくる。周囲に馴染もうとしない要だが、なぜか執拗な視線を澪に向けてくる。校内の案内をすることになった澪に、要はいきなり「今日、家に行ってもいい?」と凶悪に見える笑顔で言うのだ。ヤバいヤツだ!と緊張が走ったところで、憧れのかっこいい先輩が登場である。怯える澪を心配してくれる先輩とのやりとりに、胸キュン展開か?と思ったが、甘い感情はすぐに失せた。要は不気味なやり方でつきまとってくる。しかし、これらは恐怖の序章に過ぎない。その後事態はおかしな方向に展開し、得体のしれない「闇」に心が呑み込まれていく。澪を苦しめた悪意の正体はよくわからないまま、次の章に突入するのである。

 この恐怖から逃れたいと思っても、もうこの小説から意識をそらすことができなくなっている。第二章はリノベーションしたばかりの団地、第三章は中堅の食品会社が舞台だ。普通に生きていた人々が気がつくと徐々に広がる「闇」に支配されている。誰かが命を落とし、行方をくらます。全く違う場所で起こる出来事が、繋がりを見せ始め、私を恐怖に陥れる。著者の巧みすぎる心理描写が憎い!

 彼らが囚われてしまう「闇」は、誰もが思い当たることがあるものなのではないかと思う。少なくとも私にはある。いくつもある。この物語の続編は、すぐ身近なところで既に始まっているかもしれない。広がっていく「闇」に心を蝕まれた時には、どう対峙すべきか。真剣に考えなければならない。

 篠田節子『失われた岬』(KADOKAWA)がすごい。テーマの奥深さ。予想つかない展開。「こういうのが読みたかった!」と叫びたい。

 東京在住の主婦・美都子は、親友・清花とその夫の行方がわからなくなり心配している。清花は、美しく誠実で丁寧に暮らす女性だったが、近年異常なほど簡素な暮らしを好むようになっており、何かに洗脳されているような気配があった。海外留学していた一人娘・愛子が、両親を探すために帰国する。二人は夫婦が移り住んだ北海道に行き、清花が得体の知れない人物に導かれてこの地に辿り着き、人が立ちいることのできない険しい岬に入ろうとしていたこと、その岬に消えたと思われる人々が他にもいるということを知る。二十年後、愛子の元に清花から手紙が届く。また北海道に向かった二人は清花から薬草のようなものを受け取るが、それには不思議な力があるようだった。

 時を同じくして、ノーベル文学賞を受賞した作家・一ノ瀬が、「内面的自由を求めてもう一つの世界に入る」という手紙を残して行方不明になる。担当編集だった相沢は、彼が岬に向かったことを突き止める。一ノ瀬に何が起きたのか。薬草にある特別な力とは何か。岬に何があるのか。彼らを岬に誘ったのは何者か。全ての謎の先には、戦時中の出来事があり、それは現代に生きる人々の心身を蝕む問題につながっていく。近い未来を予感させる驚愕の展開に、心身が硬直した。登場人物たちはさまざまな背景を持ち、起きる出来事に対する反応や人生観の違いが、きめ細やかに描かれる。読んでいるお前はどう考えるのか、これからどう生きたいのか、と小説に問われてるようだ。

 西加奈子『夜が明ける』(新潮社)は、著者の祈りが込められたような力強い小説だ。登場人物たちは目の前で動いているように鮮やかに描かれ、読み進めるほどに愛おしくなる。そして、苦しくなる。

 映画好きの高校生「俺」は、クラスメイトの1人がフィンランドの俳優アキ・マケライネンに似ていることに気がつく。「3、4人は殺して埋めて来たような風貌」なのにいつもオドオドしていた無口な少年は、主人公のひとことがきっかけとなりその俳優になりきって行動するようになり、皆から「アキ」とよばれ人気者になる。躍動感が溢れる青春と友情が描かれるが、二人とも自分ではどうすることもできない問題を抱えている。アキは母親からネグレクトされて育っており、主人公は父親の死によって経済的に困窮している。いくつもの困難を乗り越えながら、二人は夢の入り口にたどり着くが、主人公はさまざまな理不尽に追い詰められていく。アキも、ようやく見つけた居場所を失ってしまう。

 虐待、貧困、過重労働、ハラスメント、誹謗中傷......。彼らが直面するのは、誰もが被害者にも加害者にもなりうる問題だ。助けを求められず一人で抱え込むことも、助けが必要な人がいると知っていて手を差し伸べなかったことも、身近な人々や、自分自身が経験していることだ。アキの数奇な人生と「俺」との強い絆に、小さな希望と未来を託されたような読後感だ。

 小池真理子『月夜の森の梟』(朝日新聞出版)は、夫である作家・藤田宜永氏を看取り、一人暮らす日々を描いたエッセイである。配偶者もおらず、ひとりの人と長く暮らした経験もない私には、共感できるところがなさそうだと思っていたが、著者による長編小説『神よ憐れみたまえ』(新潮社)が、今年最も心に刻み込まれた小説だったこともあり手にとってみた。何気ない温かさに満ちていた日常、余命がわかってからの苦しい日々、子供の頃の記憶、夫の気配が残る家に一人で暮らす心境、移ろいゆく季節の美しさ......。言葉の一つ一つが、体の中で静かに響くようだった。気がつくと私も、亡くなった親しい人たちの表情や交わした言葉、一緒に暮らしていた動物たちの手触りを思い出している。

(本の雑誌 2022年1月号)

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●書評担当者● 高頭佐和子

神奈川県生まれ。都内在勤書店員。文芸書担当。

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