極限状況のドラマを描く『脱北航路』にしびれる!

文=古山裕樹

  • スーサイドホーム (二見ホラー×ミステリ文庫 し 1-1)
  • 『スーサイドホーム (二見ホラー×ミステリ文庫 し 1-1)』
    柴田 勝家,tounami
    二見書房
    858円(税込)
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  • 431秒後の殺人: 京都辻占探偵六角 (ミステリ・フロンティア)
  • 『431秒後の殺人: 京都辻占探偵六角 (ミステリ・フロンティア)』
    床品 美帆
    東京創元社
    1,980円(税込)
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 月村了衛『脱北航路』(幻冬舎)のタイトルから、『脱出航路』を思い出した。『脱出航路』は四月に亡くなった冒険小説作家ジャック・ヒギンズの代表作の一つ。第二次大戦下のブラジルから、祖国ドイツへの帰還を目指す帆船の旅路を描く。いっぽう『脱北航路』は、北朝鮮から日本への脱出を目指す潜水艦の物語だ。

 状況設定も内容も全く異なる両者だが、描こうとしているものには共通点がある。

 演習に乗じて、国を離れ日本への脱出を図る北朝鮮の潜水艦。一行の切り札は、四五年前に拉致された日本人女性。彼女を乗せていることが分かれば、日本は受け入れざるを得ない。一方の北朝鮮軍は、爆撃機に対潜ヘリに魚雷艇と、あらゆる手段で亡命者を追い詰める......。

 潜水艦の一行が持てる手段を駆使して追撃を切り抜けるシーンの緊張に加えて、極限状況で展開されるドラマも忘れがたい。逃げる主人公側はもちろん、時には追う側も、自らの矜持を見せる場面がある。そんなものは備えていないように思えた人物も、意外な側面を見せる。

 北朝鮮の軍人たち、海上保安庁の巡視船の乗員たち、拉致事件の痛みを今も抱えている老いた漁師や元警官。立場の異なる者たちも、それぞれの尊厳を賭けて思い切った行動をとる。

 知略を尽くした戦いと、ギリギリの状況での気高さ。知性と情緒に訴えかける物語だ。

 こちらも先行作品を思い出さずにはいられない一冊。馳星周『月の王』(KADOKAWA)は、表紙から「もしかしてアレかな?」と思う方もいらっしゃるだろう。しかも主人公の名前は「大神明」。きっとアレに違いない......! そう思ったあなたを裏切らないのがこの小説だ。

 上海租界。日本の特務機関は、駆け落ちした華族令嬢の身柄を確保するよう命じられた。だが、各国の組織も彼女の行方を追っていた。国民党の秘密組織の襲撃を受けた機関員を救ったのは、天皇の護衛を務めるという謎の男・大神明。彼は武器も持たず、並外れた力だけで、敵たちを容赦なく殺戮する......。

 日本の特務機関に国民党の秘密組織、さらには犯罪組織・青幇も暗躍する魔都・上海で、異形の者たちの血みどろの戦いが繰り広げられる。

 伝奇ホラーめいた背景はもちろん、ドイツの怪実験の産物など、こうした作品に欠かせないギミックも満載。主人公・大神と敵たちの、人間を超えた暴力が駆動する物語だ。怒濤の勢いに身を任せて読みたい。

 常軌を逸した存在にかかわる物語といえば、柴田勝家『スーサイドホーム』(二見ホラー×ミステリ文庫)も忘れてはならない。この作者らしく民俗学や文化人類学の知見を織り交ぜた、ある「呪い」にまつわる物語だ。

 ひきこもりの男が遭遇する不穏な状況、呪われた家族写真、繰り返し送られる奇妙な荷物。三つの章からなる断片が、最終章でひとつに繋がる。ロジカルに余白を埋めながら、ホラーらしい不可解さも残る。

 霊能者「助葬師」を名乗る奇妙な女性・アキラのキャラクターもいびつで印象深い。不可解に見えた断片が繋がっていく論理的な展開と、不穏で淀んだ空気が忘れられない一冊だ。

 辻堂ゆめ『二重らせんのスイッチ』(祥伝社)は、表紙とタイトルから「ああそういう話ね」と思わせながら、細かいツイストを重ねてみせる。

 身に覚えのない容疑で逮捕された主人公。防犯カメラに写っていたのは自分の姿。現場から検出されたDNA型も彼のものと一致した......という序盤から、ありきたりな内容を予想させながらも巧みに裏切ってみせる作者の手腕を堪能できる。
『トリカゴ』と同じく、親子をめぐるテーマを、ミステリの枠組みで語ってみせた小説だ。

 安壇美緒『ラブカは静かに弓を持つ』(集英社)はスパイ活動を描いた小説。ただし、諜報機関や謀略とは無縁の、日常を舞台としたスパイ小説である。

 著作権管理団体に勤める主人公が、演奏権をめぐる裁判の証拠集めのため、音楽教室への潜入調査を命じられる。少年時代に遭遇したできごとのせいで演奏の楽しみから遠ざかっていた主人公が、身分を偽ってチェロ教室に通い、師や仲間と出会って再び演奏の歓びにふれる。

 スパイ小説の根底にあるのは、秘密と裏切り。本書は、その二つを軸に、任務と音楽の板挟みにされた主人公の苦悩、そして何より音楽の魅力を語る。深海に棲むラブカのイメージをスパイに繋げ、さらに音楽へと繋ぐ連想の飛翔も忘れがたい。

 芦辺拓『名探偵は誰だ』(光文社)は、「犯人」以外の「○○は誰か?」をテーマにした短編集。生き延びるためには、自分を殺そうとしていない者が誰かを見つけなくては......という「犯人でないのは誰だ」をはじめ、ひねくれた趣向の短編が七編収められている。作者おなじみのキャラクターはほぼ登場しないものの、伝説の殺し屋に怪盗に名探偵が行き交う作品世界は、やはりこの作者ならではのもの。脇役の造形も、昨今の世情を反映しつつ、作者の悪ノリを楽しめる人物像に仕上がっている。

 ねじれた謎と癖の強い状況設定、そして人物。芦辺拓らしさを堪能できる一冊だ。

 一方、床品美帆『431秒後の殺人』(東京創元社)は、「どうやって犯行を成し遂げたのか」──ハウダニットの謎解きに徹した短編集だ。

 恩人の不可解な死は、精緻に計画された殺人だった......という表題作をはじめ、きわめて機械的な犯罪を解き明かす物語が五編収められている。特に、上映中の客席で人が殺される「眠れる映画館の殺人」の奇想天外な仕掛けは強い印象を残す。

(本の雑誌 2022年7月号)

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●書評担当者● 古山裕樹

1973年生まれ。会社勤めの合間に、ミステリを中心に書評など書いています。『ミステリマガジン』などに執筆。

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