「物語」をテーマにした『あさとほ』に不思議な深淵を見る

文=古山裕樹

  • 揺籃の都 (ミステリ・フロンティア 113)
  • 『揺籃の都 (ミステリ・フロンティア 113)』
    羽生 飛鳥
    東京創元社
    1,980円(税込)
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 物語の一行目は重要だ。そこでは往々にして作品のテーマがすでに書かれている──新名智の『あさとほ』(KADOKAWA)の一行目である。本書は『虚魚』に続く作者の第二作。「物語」そのものをテーマとした物語である。

 幼いころ、夏日の目の前で妹が「消失」し、両親も周囲の人も妹が存在したことすら忘れてしまった。彼女のことを覚えているのは夏日と、幼なじみの明人の二人だけ。月日は流れ、国文学科の大学生になった夏日は、ふたたび失踪事件に遭遇する。姿を消したのは彼女の指導教授。その失踪に平安時代に書かれた「あさとほ」という物語が関わっていると知った夏日は、十数年ぶりに再会した明人とともに探索を始める......。

 物語という形に落とし込むことで、人は身の回りのできごとを、世界を理解する──あるいは理解したことにする。妹の消失をはじめ、夏日の現実を揺るがす事象と「物語」にはどんなつながりがあるのか。探究の果に浮かび上がる不可思議な光景が、想像力を刺激する。謎は解き明かされるものの、あれはいったい何だったのだろうかと考えさせられる。「物語」という概念そのものについて、思索を膨らませてくれる。前作の「怪談」というテーマをさらに拡張して、不思議な深淵を見せてくれる小説だ。

 物語が人々にどんな意味をもたらすのか......という問いは、澤村伊智『怪談小説という名の小説怪談』(新潮社)を読んだ時にも頭をよぎった。本書はホラーとして、そしてミステリとしての技巧を凝らした七編を収録した短編集だ。

 夜の高速を走る車の中での怪談披露、散歩する親子が遭遇した奇妙な家屋、田舎町の奇妙な風習に、夕暮れの学校で起きる陰惨な事件。現代らしい怪談を、語るシチュエーションと、語りに仕込まれた小さな違和感を回収する手際で読ませる。

 物語が存在すること、そして語ることの意味を浮かび上がらせる趣向が目立つ。特に、筆を折った先輩作家から知らされた、存在も定かではない読んではならない小説を語る「涸れ井戸の声」、ある夏の海辺のできごとを多人数の証言から再構成する「怪談怪談」の二編は、ホラーでありミステリでもあり、そして物語を論じた小説でもある。

 一方、解読という行為が、物事の見え方だけでなく、人との関わりも変えていくのが、似鳥鶏の『夏休みの空欄探し』(ポプラ社)だ。

 成田頼伸は、会員二名のクイズ・パズル研究同好会所属の高校生。夏休みのある日、店で隣り合わせた姉妹の手元にあった暗号を見た彼は、つい解読してしまう。かくして彼は、七輝とその姉の雨音とともに、ある富豪が残したという数々の暗号に挑むことに。同級生の清春も加わって四人で過ごす夏休みは、七輝に惹かれていく頼伸にとって忘れられない日々に......。

 姉妹との出会い、そして妹への想い。さらに自分とは別世界の住人と思っていた同級生の知らなかった一面を見て、頼伸の世界は広がっていく。

 暗号を解読することが、頼伸と七輝の関係の進展と重なり合う。そのプロセスを丁寧に描いているからこそ、全体の構図が明かされた瞬間の頼伸の痛切な思いも、読む者の胸をうつ。

 解き明かす行為のもつ意味という点では、羽生飛鳥『揺籃の都』(東京創元社)も興味深い作品だ。前作『蝶として死す』に続いて、平清盛の異母弟・頼盛が探偵役を務める。連作短編の形式で数十年にわたる時の流れを描いてみせた前作に対し、こちらは数日間のできごとを描いた長編である。

 平清盛が遷都を強行した福原。不吉な噂を流した男を追っていた頼盛に加えて、清盛の息子たちも、富士川の戦いで源氏に敗れたことを報告するために清盛邸を訪れる。その夜、平家を護るとされる刀が消失し、清盛に仕える者たちが化鳥を目撃し、翌朝には頼盛が追っていた男の死体が発見された。頼盛は謎の解決に乗り出すが、甥たちは彼に疑念を抱いていた......。

 この物語に緊張をもたらしているのは、探偵役の平頼盛が置かれた立場だ。平家一門とはいえ源頼朝とも縁があり、清盛の息子たちからは裏切りを疑われる身。前作と同じく、謎を解き明かすことが自身の生き残りに直結しているのだ。

 当時の人々の思考と慣習に基づいた謎と論理の構築もさることながら、すべてを見渡す清盛の視座と深慮が、そして生き残りのために知略の限りを尽くす平頼盛の姿が忘れがたい。

 最後に、解読すること、書き記すこと、物語を構築することを、複雑かつ壮大なストーリーに組み立てた作品を。小川哲の『地図と拳』(集英社)が描くのは、義和団の乱から日露戦争、そして第二次大戦後に至るまでの満州の半世紀。中国・日本・ロシアの人々が繰り広げる建設と破壊、理想の模索と現実の闘争の物語である。

 奉天の南東、鶏冠山の麓の小さな集落。人々は根も葉もない噂に導かれてこの地に移住し、集落はやがて都市へと発展する。ロシアや日本の思惑も交錯し、この地ではさまざまな企みが絡み合う......。

 題名にもある地図は、作中でも大きな役割を担う。地図に記されるのは地形だけではない。歴史、文化、政治。そうした事象を紙の上に記した地図は、鉄道の敷設と都市の発展にも関わっている。そして、地図に記された人々の思惑が衝突するところに「拳」──戦いが起きる。

 地図の上に建設と破壊の夢を見た人々の物語だ。多数の人物が行き交い、一本の川が無数の支流に分かれ、やがて合流し、また分かれて......と、複雑に入り組んだ流れをたどる。叙述の力になぎ倒される快楽を満喫できる。国家と都市、歴史と地図への考えが膨らむ一冊だ。

(本の雑誌 2022年9月号)

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●書評担当者● 古山裕樹

1973年生まれ。会社勤めの合間に、ミステリを中心に書評など書いています。『ミステリマガジン』などに執筆。

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