綿矢りさ『嫌いなら呼ぶなよ』に心底恐れ入った!

文=高頭佐和子

  • ブロッコリー・レボリューション
  • 『ブロッコリー・レボリューション』
    岡田 利規
    新潮社
    1,980円(税込)
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 今月は短編集が熱い。個性と迫力ある作品たちにゾクゾクさせられた。まずは、綿矢りさ『嫌いなら呼ぶなよ』(河出書房新社)に心底恐れ入った。身近にいたら厄介な感じの、何かが過剰な人々を描いた四作品が収録されている。

 最初の二編の主人公は、二十代の女だ。一人目は、可愛いものと承認欲求に取り憑かれて、プチ整形を繰り返し社内の話題をさらう会社員、二人目は、勤務先の飲食店にやってくるYouTuberに固執して、アンチコメントを書きまくるアルバイトである。いかにも危険な二人なのだが、完全にリミッターが壊れている。うわー、それ怖すぎっ!とか、絶対やっちゃダメッ!と紙面に向かって叫びたくなるような行動に、当たり前のように突き進むのだ。三人目の主人公は不倫男である。妻の友人宅で開かれるホームパーティに出かけたところ、想定外の地獄が待ち受けている。臨場感あふれる対決と、男の身勝手なのにやけに説得力のある理屈が面白すぎて一気読みした。

 綿矢氏のすごいところは、こうした主人公たちの振る舞いをポップな語り口で軽快に描いて読者を楽しませつつ、ちょっと気持ちわかるわ〜と思わせた後に、あさっての方向に突き飛ばすことだ。驚愕のラストを読み終えた後には、変な笑いが込み上げてくる。そんな自分に気持ち悪さを感じてしまうのに、なぜすぐ再読したくなるのだろう?

 ラストの一編にもぜひ驚いてほしい。とある作家へのインタビューをフリーライターが書き起こすのだが、内容が気に入らないと作家がクレームをつけてくる。女性二人のメールによる言葉の乱闘はエスカレートし、間に挟まれた新人の男性編集者を困らせるのだが、なんとその作家の名前は......。この作品を最後に持ってくる綿矢さんが怖いっ!怖いけど......、最高だよ。

 今村夏子『とんこつQ&A』(講談社)にも震撼させられた。全ての作品に凄みがあり、未知の感情がある。一見平穏に物語が始まるのだが、しだいに登場人物たちの孤独、秘密、そして人間の本質のようなものがじわじわと滲み出てくる。最後は背中のあたりがスーッと冷たくなるような静かな恐怖に襲われ、確かだと思っていた世界が揺らいで見える。

 表題作の舞台は、「とんこつ」という名の中華料理店だ。気のいい大将とまだ小さい息子「ぼっちゃん」が切り盛りするその店で働くことになった女性が主人公なのだが、接客に決定的に不向きなのだ。客に向かって言葉を発することができず、「いらっしゃいませ」と言うことも、注文を取りに行くこともできない。採用見送りになっても仕方がない状況だが、大将親子はひたすら優しく、辛抱強い。ぼっちゃんの気遣いがきっかけとなり、自分で書いたメモを読むことで接客用語を口にできると気づいた主人公は、よく使う言葉や客からの質問とその答えを書いたメモを持ち歩くことにする。そのおかげで、接客もこなせるようになり、大将親子とも打ち解けてきて......。

 と説明すると、ほっこりする話か?と思われる方も多いだろうが、もちろんこれはそういう小説ではない。この後、事態は考えもつかなかった方向に進んでいくのだ。もの恐ろしさと奇妙な安堵感が混ざったこの読後感はなんだろうか?

 岡田利規『ブロッコリー・レボリューション』(新潮社)は、語り手の視点が斬新な小説集である。表題作には、語り手である「ぼく」と、「ぼく」の暴力的振る舞いに耐えきれなくなり家を出てバンコクに旅立つ「きみ」が登場する。「ぼく」がマンションの部屋や夜の公園でやさぐれた時間を過ごしている時、「きみ」はバンコクのホテルで安らいだり、現地の友人レオテーと共に解放感を楽しんでいる。「ぼく」が知らないはずの「きみ」の毎日は、「ぼく」の視点で詳細に描写される。その描き方によって、抑圧から逃れたはずの「きみ」の上に、執着が覆いかぶさっていくような不穏さと、全てが崩れそうな不安定さを感じてしまう。

 その土地で生きるものには苦痛でしかないことを、非日常として楽しむ旅行者の「きみ」に反発するレオテーの言葉や、私の記憶にもある災害や事故が「ぼく」と「きみ」の日常に影響を及ぼしていることも印象的だ。小説には、私のまだ知らない力があるのだと思う。モヤモヤする小説なのに、そのことにワクワクさせられている。

 小田嶋隆『東京四次元紀行』(イースト・プレス)には、東京23区それぞれを舞台にした短編が掲載されている。主人公は、男子小学生、女子高生、ヤクザ者、ライター、会社員、失業者などさまざまだ。全員がワケありである。追い詰められていたり、苦い過去を引きずっていたり、孤独や喪失に苦しんでいたりする。そして、そんな彼らのもとに、思わぬ人物が訪れ、何かの知らせが届き、小さな事件が起きる。

 著者は舞台となる区の特徴を生かしつつ、七、八ページという短い物語の中で、それぞれの人物の描かれていない部分や、過去や未来までもリアルに浮かび上がらせていく。前の物語では主人公だった人物が脇役として登場することもあるのだが、そんな時には古い知人の消息を、偶然知ったような気持ちになる。

 痛みや傷を全く持たずに生きていける人などいない。この短編集の中の人々も、さっきすれ違った人も、親しい知人たちも、私自身もそうだ。そういう人が集まって暮らしているのが、東京という街でありこの世界なのだと改めて思う。どんな人物に対しても、著者は過剰に優しくはないが、見放すことも存在を否定することもしない。そのことに、救われたような気持ちになる。これが著者にとって、最初でおそらく最後の小説になってしまった。もっともっと、読ませてもらいたかった。

(本の雑誌 2022年9月号)

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●書評担当者● 高頭佐和子

神奈川県生まれ。都内在勤書店員。文芸書担当。

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