天才投手の秘密をめぐる河合莞爾『豪球復活』に驚愕!

文=古山裕樹

  • 灰かぶりの夕海 (単行本)
  • 『灰かぶりの夕海 (単行本)』
    市川 憂人
    中央公論新社
    1,980円(税込)
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 ミステリというジャンルの大きな魅力に、「遡行する驚き」がある。事実が明かされることによって、それまで読んできた物語のできごとの意味が異なるものに変わってしまう。驚きとともに認識は組み換えられる。あれはそういうことだったのかという驚きが、物語の冒頭に向かって遡っていく。二度目に読むと、同じ文章なのに、初めて読んだときとは意味の異なる物語が展開される。

 河合莞爾『豪球復活』(講談社)も、そんな驚きの遡行を味わうことのできる作品である。

 天才投手・矢神大がLAで失踪した。同じチームのブルペンキャッチャーである沢本は、過去の矢神の言動を頼りにハワイへ向かい、ホームレスになっていた矢神を見つけた。しかし彼は記憶を失い、ボールの投げ方を忘れていた。沢本はなんとか彼を復帰させようと奔走する。一方、矢神はかつて自分が書いたノートを見つける。彼の独特な投球技術の詳細が記されたそのノートの末尾には、奇妙な告白が書かれていた。彼はかつて、「消えるボール」で人を殺したというのだ......。

 一人の野球選手の喪失と復活の物語であると同時に、その秘密をめぐる物語でもある。

 かつて傲岸不遜な態度で知られていたが、記憶を失って人柄も変わり、強気の態度まで失ってしまった矢神。高校時代に彼と甲子園で対決して以来、矢神の才能に魅了され、その復活に尽力する沢本。主役となる二人のキャラクターはもちろん、過去の事件を追い続ける刑事、記憶を失った矢神を迎える妻といった脇役も含め、手堅い人物描写で読ませる。

 矢神の復活の過程と、その大舞台へと至る物語だけでも十分な魅力を備えているが、さらに奥深さをもたらしているのは、もちろん殺人をめぐる過去の秘密とその解明だ。

 クライマックスからラストにかけて次々と明かされる真相。これが物語の意味を遡って書き換えて、もういちど初めから読み直すと、そこにはまた違った物語が待っている。

 野球選手をめぐるドラマとミステリとしての驚きがきれいに重なり合い、驚きと同時に心を揺さぶってくれる。興奮に満ちた贅沢な小説である。

 驚きをもたらすこと、そして読者の認識を変えてしまうことにかけては、市川憂人の『灰かぶりの夕海』(中央公論新社)も負けてはいない。

 千真が配送の仕事中に遭遇した彼女──夕海は、二年前に死んだはずの恋人と同じ姿で、同じ名前を名乗った。二人の奇妙な共同生活が始まる。そして、千真は死体に遭遇する──やはり亡くなったはずの、恩師の妻にそっくりな女性の死体に。果たして、彼をとりまく世界に何が起きているのか......?

 死んだはずの恋人と再会したという不可解な状況を中心にしつつ、殺人とその背後の事情を描く。クライマックスで明かされる事実が物語を書き換えてしまうさまが鮮やかだ。コロナ禍という現実を巧妙に扱ったミステリとして忘れがたい一冊。

 小川哲『君のクイズ』(朝日新聞出版)もまた、読み始めたときに見えていた景色と、読み終えた後の景色が大きく異なっている。

 クイズ番組の決勝戦で、三島は対戦相手の本庄に惜しくも敗れた。だが、最後の問題での本庄の勝ち方は異様なものだった。問題がまだ一文字も読まれていないのにボタンを押し、正解を告げたのだ。不正を疑う声も多い中、三島はなぜ本庄が読まれていない問題の回答を当てることができたのかを考え、決勝戦の一問一問を振り返る......。

 作中に描かれるトップレベルのプレーヤーにとっての早押しクイズは、門外漢が認識するものとは異なる。問題が読み終えられてから動くようでは遅い。勝負は問題が読み上げられている途中。固有名詞や助詞の使われ方から、正解が確定する瞬間を見極めてボタンを押し、回答する。極端に短い時間の中で思考を突き詰める、熾烈な頭脳競技──それが本書に描かれるクイズだ。

 わずかな手がかりから真相にたどり着く名探偵のような思考の流れ。それを読者として追体験するだけでも、脳が絞られる感覚を味わえる。問題を振り返る過程で三島は自身の半生も回想し、理詰めでありつつ情緒にも訴える語りを堪能できる。

 結末には、思いもよらなかった光景が広がる。短いけれども濃密な、脳が心地よく疲労する小説である。

 脳がきりきりと働く感覚を楽しめるのは、阿津川辰海『録音された誘拐』(光文社)も同様。短編集『透明人間は密室に潜む』の「盗聴された殺人」に登場した二人の探偵が再登場する物語である。

 探偵事務所の所長・大野が誘拐された。助手の美々香は、自慢の耳の良さで犯人との通話から相手の様子を探ろうとする。誘拐された大野も、わずかな機会を活かして情報を伝えようとするが......。

 現在進行形の誘拐と並行して、大野の一家が巻き込まれた15年前の事件が掘り起こされる。分断された二人の探偵がどのように連携して犯人との駆け引きを繰り広げ、真相にたどり着くのか。緻密な展開の頭脳戦を堪能できる作品だ。

 相沢沙呼『invertⅡ 覗き窓の死角』(講談社)は、『medium 霊媒探偵城塚翡翠』に始まる城塚翡翠の物語の三冊目。彼女の特異な個性を知っておくためにも、未読の方はまず第一作からどうぞ。

 本書に収められた二篇は、倒叙形式ではあるが、犯人の手の内がすべて明かされているわけではない。真相解明がもたらす驚きはなかなかのもので、再読すると、初回には見えなかった部分で緊張をたっぷり味わうことができる。二度読んでこそ満喫できる反転劇だ。

(本の雑誌 2022年11月号)

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●書評担当者● 古山裕樹

1973年生まれ。会社勤めの合間に、ミステリを中心に書評など書いています。『ミステリマガジン』などに執筆。

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