"食べること"が苦痛な高校生と"吸血鬼"の青春小説

文=高頭佐和子

  • 人間みたいに生きている
  • 『人間みたいに生きている』
    佐原 ひかり
    朝日新聞出版
    1,760円(税込)
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 食べ物や料理が出てくる小説と言うと、描写が美味しそうで食欲がわくものだと思っていた。だけど、食=快楽と思わない人もいる。自分の思う当たり前を、他人に押し付けてきたかもしれない。そう考えるようになったのは、最近出会ったいくつかの小説の影響である。芥川賞受賞作である高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』(講談社)は、甘ったるい生クリームを無理やり口に入れられてるみたいな気分になったし、フードファイターが主人公の山下紘加『エラー』(河出書房新社)は、追い詰められながら食べ物を咀嚼する描写がリアル過ぎた。今回紹介する佐原ひかり『人間みたいに生きている』(朝日新聞出版)は、食べることに苦しみを感じるという特殊な悩みを抱えた高校生が主人公だ。きっと誰もが自分の姿を重ねずにはいられない、普遍的な青春小説でもある。

 おとなしめの優等生である唯にとって、食べることは苦痛でしかない。単に少食なのでも、太ることが怖いのでもない。「自分以外のなにか」を体内にとり入れるという行為が気持ち悪いのだ。例えば唐揚げを食べようとすると、鳥の死骸を口の中に入れてぐちゃぐちゃにして自分に吸収させているという気分になってしまう。なんでも喜んで食べる私に理解できるようにその嫌悪感を描写する著者の表現力は、結構すごい。

 ある日唯は、吸血鬼の住んでいる洋館があるという噂を聞く。血だけを飲んで生きることができたらという思いから探し当てるが、そこには本当に「吸血鬼」がいる。唯は、親にも友人にも言うことのできなかった苦しみを打ち明け、皮肉屋で本が好きなその「吸血鬼」と心を通わせるようになる。

 理解されにくい悩みを知られることを恐れ、無神経な人間に傷つけられたり誤解されても、ただ諦めて逃げるだけだった唯だが、自分もまた他者の苦しみに気づいていなかったこと、一方的な感情を人にぶつけていたことに気がつく。繊細だが素直な心の変化と、一歩を踏み出そうとする勇気が清々しい。今後も読み逃したくない小説家だ。

 誰よりも大切に思い共に生きていこうと思った相手なのに、なぜ遠い人のように感じてしまうのか。なぜこんなふうになりたくないと思っていた大人に、いつの間にかなってしまうのか。彩瀬まる『かんむり』(幻冬舎)は、その問いにひとつの答えをくれる小説だ。十代の頃に故郷で出会った光と虎治は、大学生になって再会し夫婦になった。光は、結婚をきっかけに多くの女性社員と同じように地域限定社員になり、育児と仕事を両立させている。身も心も親密に感じていたはずなのに、水泳教室をやめたがる息子のことを「逃げている」と言ったことから、夫に距離を感じるようになる。堅実な会社に勤めていた虎治は失業して自信を失い、光は新しい仕事に挑戦する機会を諦めてしまう。

 女であるということにも男であるということにも、痛みと呪縛がある。そこから解放されたいと願っているはずなのに、自分で自分を縛ってしまう。輝いている知人への妬ましさを抑えることができない。大きく変化していく社会の中で、自分も夫も時代遅れの人間になっていく不安に苛まれる。家族の会話は噛み合わなくなる。それでも、老いて変化していく夫の体への愛しさが残る。光の思いに、切実な共感を覚えて心が痛かった。目を逸らしたくなる感情からも逃げることなく、希望を描き出した著者の熱量に圧倒された。

 大島真寿美『たとえば、葡萄』(小学館)は、主人公の美月が先の見通しもなく会社を辞め、母の友人の家に転がり込むというシーンから始まる。すぐに「なんだか懐かしい」と感じたのだが、それもそのはず。母の友人って『虹色天気雨』『ビターシュガー』(小学館文庫)の市子ではないか! このシリーズ、私の一番愛する友情小説なのである。市子とその友人たちは、ベタベタした所もなく、互いの幸福度を比べることもなく、困った時には手を差し伸べ合う。少し年上の大好きな友達みたいに親しみを感じる人たちだ。三十代だった彼女たちも、今は五十代だ。世間一般の基準からみたら、大成功も安定もしていないけれど、それぞれがいろんなことを乗り越えてオリジナルな人生を送っているらしい。前作では中学生だった美月はまもなく三十歳である。進むべき道に迷っているが、懐が深い市子とその友人たちに助けられながら、いろいろな人と繋がり、自分の世界を広げていく。

 いつの間にか大人に......と友人の娘を見るような視線を向けてしまうと同時に、このシリーズを読み始めた頃の自分(今の美月くらいの年齢)の迷走と暴走を思い出してしまう。恥ずかしくなったり、一緒に悩んだり、応援したくなったり、心が忙しい。人生に迷うなんてカッコ悪いと思ってたけど、いくらでも迷っていいじゃないか、と今は思う。いつかまた、この素敵な友人たちに会えるといいなあ。

 小川洋子『掌に眠る舞台』(集英社)は、劇場をテーマにした短編集だ。描かれるのは舞台を創り上げる華やかな人々ではない。客席や劇場の外で静かに佇む人々である。壊れたラジオペンチを主役に見立て、工具箱の上で「ラ・シルフィード」を演じさせる少女、「レ・ミゼラブル」を毎日観劇し、劇場で暮らす「失敗係」と出会う元洋品店店主、仕事帰りに楽屋口に通い、役名のない俳優たちからパンフレットにサインをもらう研究所勤めの女性......。公演終了後も舞台の記憶は残り、彼女たちの内側には誰に見せることもない別の世界が作られていく。人間の想像力には果てがないということを、改めて思い知らされた。舞台芸術を愛する私にとっては、この上なく美しく、少し恐ろしい物語である。

(本の雑誌 2022年11月号)

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●書評担当者● 高頭佐和子

神奈川県生まれ。都内在勤書店員。文芸書担当。

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