苛烈な議論が展開する巨匠クイーンの往復書簡

文=冬木糸一

  • エラリー・クイーン 創作の秘密: 往復書簡1947-1950年
  • 『エラリー・クイーン 創作の秘密: 往復書簡1947-1950年』
    ジョゼフ・グッドリッチ,飯城勇三
    国書刊行会
    3,520円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 裏切り者
  • 『裏切り者』
    アストリッド・ホーレーダー,小松佳代子
    早川書房
    3,300円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • あなたが消された未来――テクノロジーと優生思想の売り込みについて
  • 『あなたが消された未来――テクノロジーと優生思想の売り込みについて』
    ジョージ・エストライク,柴田 裕之
    みすず書房
    3,960円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • バレット博士の脳科学教室 7½章
  • 『バレット博士の脳科学教室 7½章』
    リサ・フェルドマン・バレット,高橋 洋
    紀伊國屋書店
    1,980円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • スペース・コロニー 宇宙で暮らす方法 (ブルーバックス)
  • 『スペース・コロニー 宇宙で暮らす方法 (ブルーバックス)』
    向井 千秋,東京理科大学 スペース・コロニー研究センター
    講談社
    1,100円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • FOOTPRINTS(フットプリント) 未来から見た私たちの痕跡
  • 『FOOTPRINTS(フットプリント) 未来から見た私たちの痕跡』
    デイビッド・ファリアー,東郷えりか
    東洋経済新報社
    2,640円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

 今回もっとも食い入るように読んだのはジョゼフ・グッドリッチ編『エラリー・クイーン 創作の秘密』(飯城勇三訳/国書刊行会)だ。本格ミステリの巨匠として知られるクイーンが二人組みの作家であることはミステリファンはよく知るところだが、では、その二人はどのように作品を作り上げてきたのか。その内実が明かされていく一冊だ。二人のやりとりの一部は書簡に残されており、その中でも一九四七〜五〇年の三年間を本書では追うことで、共作の苦悩を描き出していく。

 クイーンを構成するのは、プロットを担当するダネイと、肉付けを担当するリーのいとこ同士の二人である。本書を読んで驚くのは、この二人がまるで異なるミステリ観を持ち、お互いの成果物に苛烈な反論や罵りを加えていることだ。ダネイは、自分が細心の注意を払って作り上げた構成を、リアリティがないといってリーが変えてしまうことに心を痛めている。一方のリーは、ダネイによって束縛されていると感じていた。二人はどちらかが上司というわけではなく、書名、キャラクタの在り方、事件の進め方、死者の数、と細部に至るまで引かずに議論を続けていく。本書のおもしろさは、作品の裏側が明かされることだけでなく、一つの作品を作り上げる過程で、どのような議題が挙げられ、その検討にどれほどの思考が費やされるのか、その詳細が追体験できるところにある。クイーンのファンだけでなく、創作に携わるすべての人が楽しめるだろう。

 アストリッド・ホーレーダー『裏切り者』(小松佳代子訳/早川書房)は、オランダで史上最悪の犯罪者と呼ばれたウィレム・ホーレーダーの犯罪について書かれた実録犯罪ノンフィクション。著者は長年ウィレムのそばで暴力による支配を受け続けた実の妹で、彼女がウィレムを刑務所送りにするために、長年に渡り命を賭けて情報提供を続けてきた過程が紡がれている。ウィレムは殺しをためらわない人間を幾人も仲間にしていて、刑務所に入った後でも、敵対が判明してしまえば彼の命を受けた人間が報復にやってくる。だから、アストリッドは、兄を刑務所に入れた後でさえ、命の危険に晒されている。なぜ彼女は告発を実行したのか? 映画『ゴッドファーザー』的なロマンティックな世界とは異なる、犯罪者とその家族の姿が、ここには描き出されている。

 近年、バイオテクノロジーの進歩に伴って、我々は持ってうまれた遺伝子を改変することができるようになった。いずれ、ヒトの在り方それ自体を変えることもできるだろう。だが、これらの進歩は、もたらす変化の大きさのわりに短期間で進行したために、本来必要とされた、さまざまな問題について語り合う時間が足りていないのではないか──と問題提起するのが、ダウン症の娘を持つジョージ・エストライクによる『あなたが消された未来 テクノロジーと優生思想の売り込みについて』(柴田裕之訳/みすず書房)である。遺伝子改変を行うことで、異常な遺伝子を正常に変えることができると言われる。しかし、異常と正常の境目はどう決定されるのか。ある症状を異常と判断して消していくのなら、いずれ知能が低いことも障害となる未来が待っているのではないか。テクノロジーを否定する本ではなく、それを行使する前に、立ち止まってよく考えるためのきっかけを与えてくれる一冊である。

 話題を遺伝子から脳に移すと、『バレット博士の脳科学教室 7½章』(高橋洋訳/紀伊國屋書店)は、情動についての研究で知られるリサ・フェルドマン・バレットが、脳と神経についての最新の知見をワクワクする筆致で解説してくれる、簡潔な入門書である。たとえば、第一章は初期の脳が何のために用いられていたのか、という歴史と役割の話題だ。脳は物を考えるためにあるんでしょ、と思うかもしれないが、実は違う。生物の生存にとって重要なのは、リスクや報酬に対してどれだけのエネルギーを投資したら効率的にリターンが得られるのかという〈予測〉と、それを受けての身体の運用にあり、脳の最も重要な仕事は、〈身体予算〉の管理にあるというのだ。脳についての全体的な見取り図が手に入る、素敵な入門書だ。

 宇宙に目を向けると、向井千秋、東京理科大学スペース・コロニー研究センター『スペース・コロニー 宇宙で暮らす方法』(ブルーバックス)は、月や火星で人間を長期間生存させるための、最新の技術と研究内容を教えてくれるサイエンス本だ。火星で人間が長期滞在するとしたら、水や酸素の一〇〇%に近い循環と、現地での食物生産が必須となってくる。COからOを取り出す技術、低気圧下でも育てられる宇宙農業の技術、人体から出た熱や体液をエネルギー源として動くウェアラブル・デバイスと、本書で取り扱われる話題は多岐に渡る。こうした技術は、宇宙だけでなく地球環境を維持し続けるためにも必要とされるので、「持続可能な開発目標(SDGs)」の観点からも、重要といえる。

 地球環境の維持と関連して最後に紹介したいのは、我々はこれから数百、数千年経った時に、どんな痕跡を残しているのか? と問いかけるデイビッド・ファリアー『FOOTPRINTS 未来から見た私たちの痕跡』(東郷えりか訳/東洋経済新報社)だ。たとえば、実は氷は人類についての情報を豊富に含んでいる。アルプスの氷河の氷は、十四世紀の部分にあまり鉛を含んでいないのだが、これは黒死病でヨーロッパの人口の大半が死に、鉛の精錬作業が途絶えたことを記録している。このように、我々は思いもかけない痕跡を至るところに残していく。長大なスケールの視点を提供してくれる一冊だ。

(本の雑誌 2021年8月号掲載)

« 前のページ | 次のページ »

●書評担当者● 冬木糸一

SFマガジンにて海外SFレビュー、本の雑誌で新刊めったくたガイド(ノンフィクション)を連載しています。 honz執筆陣。ブログは『基本読書』 。

冬木糸一 記事一覧 »