トロイアで・カリブで・米南部で沈黙を破る女たち!

文=石川美南

  • 女たちの沈黙
  • 『女たちの沈黙』
    パット・バーカー,北村 みちよ
    早川書房
    3,960円(税込)
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  • マーメイド・オブ・ブラックコンチ
  • 『マーメイド・オブ・ブラックコンチ』
    モニーク・ロフェイ,岩瀬徳子
    左右社
    2,970円(税込)
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  • デッサ・ローズ
  • 『デッサ・ローズ』
    シャーリー・アン・ウィリアムズ,藤平育子
    作品社
    2,970円(税込)
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  • 珈琲と煙草
  • 『珈琲と煙草』
    フェルディナント・フォン・シーラッハ,酒寄進一
    東京創元社
    1,760円(税込)
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  • もうすぐ二〇歳
  • 『もうすぐ二〇歳』
    アラン・マバンク,藤沢満子,石上健二
    晶文社
    2,970円(税込)
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 いわゆる「#MeToo」運動や、女性のエンパワーメントを図る潮流と連動するように、外国文学の分野でも、沈黙を強いられてきた女性たちの声を拾い上げる快作が相次いで出版されている。新刊から三冊紹介したい。

 パット・バーカー『女たちの沈黙』(北村みちよ訳/早川書房)は、ギリシアの古典・イーリアスを女性の視点から語り直す鮮烈な小説。近年数多く試みられている古典の語り直しの一つだが、本書は特に、女性が語ることの意味を読者に突き付けたいという強い意志を感じる一冊である。まずは登場人物一覧を開いてみてほしい。女性たちのほぼ全員に「○○(男性)の〈戦利品〉」という説明が付いていて、もう奥歯がギリギリしてくる。

 語り手のブリセイスはトロイア近郊都市の若き王妃だったが、ギリシア連合軍に城を攻め落とされた後、敵将アキレウス(=イーリアスの主人公)の〈戦利品〉となり、男たちの諍いと血みどろのトロイア戦争を間近に見届けることになる。

 生々しい性描写は多くないものの、女性の性被害について読むのがしんどい人には、辛い読書になるかもしれない。女性視点になったところで、イーリアスの筋が変わる訳でも、女性たちの過酷な運命を変えられる訳でもないのだから。しかし、ブリセイスの冷ややかな目で見つめ、その声で語らせることによって初めて表れてくるものは確実にある。そのことが、絶望に満ちたこの物語の唯一の希望だ。文体は現代小説のようにリーダブル。事前にイーリアスを読んでいなくてもたぶん大丈夫だが、概要くらいは押さえておいた方がより楽しめると思う。

 モニーク・ロフェイ『マーメイド・オブ・ブラックコンチ』(岩瀬徳子訳/左右社)は、マジカルかつ現代的な人魚譚。

 一九七六年、カリブ海で釣り大会に参加していたアメリカ人父子が、女の人魚を釣り上げた。人魚と惹かれ合っていた青年デイヴィッドが密かに救出して自宅に匿うが、人魚は徐々に人間の姿になっていく。彼女ははるか昔に呪いをかけられた、先住民族の娘だったのだ。

 帯のコピーを読んで、元・人魚がイケイケの冒険を繰り広げる話だと思い込んでいたのだが、全然違った。本書は人魚が人間の心身を取り戻し、周囲の人と心を通わせていく過程に多くのページを費やしており、その丁寧さが美質になっている。
 白人領主であるミス・レインの人物造形が良い。人魚が辿る運命はギリシアの古典に通じる悲劇性を帯びている(人魚を釣り上げた少年は彼女を「アトランティスのヘレネ」と呼びさえする)が、傷ついた人をケアし、様々な立場を越えて信頼しあうことの大切さを伝えてくるこの本は、とても優しい。

 三冊目は、シャーリー・アン・ウィリアムズ『デッサ・ローズ』(藤平育子訳/作品社)。奴隷制度が存在した頃の南部アメリカで、妊婦の身でありながら反乱に加わった黒人女性デッサと、逃亡奴隷を匿う白人女性ルーフェルが出会う。
 第一部は、黒人差別に凝り固まった白人男性作家の目を通して語られるパートが長く、結構きつい(もちろん作者の狙い通り)。ところが第一部終盤から、物語は意外な展開を見せていく。デッサをはじめとする黒人たちの生き生きした活躍と、ルーフェルの成長が眩しい。初版発行は一九八六年だが、今の時代に翻訳されるにふさわしい、パワーに満ちた作品だ。

 さて、フェルディナント・フォン・シーラッハ『珈琲と煙草』(酒寄進一訳/東京創元社)は、ちょっと不思議な読み心地の本。小説だと思って読み始めたら、次の章でするっとエッセイに移行して驚いた。犯罪や裁判のエピソード、自伝的エッセイ、小説、戦争や死についての思索など四十八の断章が並べられ、ゆるく連関し合っている。一冊を貫いているのは、弁護士としての経験で培われた、人間の尊厳をめぐる深い洞察である。シーラッハらしい抑制の効いた表現と仄かなユーモアは本書でも健在。愛読者にとっては、過去作とのリンクも楽しみどころになるだろう。

 断章によって綴られる作品をもう一冊。キム・チュイ『満ち足りた人生』(関未玲訳/彩流社)は、結婚してベトナムからカナダへと移住した女性が、料理を通じて人生を模索していく姿を詩情豊かに描く。主人公の名前はベトナム語で完全に満たされた状態を意味するが、彼女の行動範囲が広がるにつれ、かえって心の満たされなさが浮き彫りになっていく展開がスリリングだ。言語への言及も多く、ベトナム語(的人生観)とフランス語(的人生観)の相克が一つのテーマになっている。読み終わった後は、確実にベトナム料理を食べたくなるはず。

 最後に紹介するのは、アラン・マバンク『もうすぐ二〇歳』(藤沢満子・石上健二訳/晶文社)。一九七〇年代のコンゴ共和国を舞台にした、チャーミングな青春小説である。

 語り手のミシェルはもうすぐ二〇歳......ではなく小学生。通信簿を親に見せたくなくて穴に埋めたり、幼馴染との結婚をふわふわ夢想したりと幼いところを見せたかと思うと、大人たちの難しい話を聞き齧っては真面目くさった口調で解説するのが、おかしくもかわいい。

〈ルネおじさんは教会に反感を持っていて、いつもママンに言っている。「宗教は人民の阿片だ!」と。(中略)僕自身、自習授業のときに僕をとてもいらいらさせた友達を《人民の阿片》扱いし、そのせいで喧嘩になった。〉
 ......ふふふ。しかし、ピュアな少年の目を通して大人たちの複雑な事情や社会の矛盾を伝えるという意味では、真っ当な社会小説、政治小説でもある。どうかずっと健やかに、ミシェル。

(本の雑誌 2023年5月号)

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●書評担当者● 石川美南

外国文学好きの歌人。歌集に『砂の降る教室』『架空線』『体内飛行』などがある。趣味は「しなかった話」の蒐集。好きな鉄道会社は京成電鉄。きのこ・灯台・螺旋階段を見に行くのも好き。

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