五感全開で闇と向き合う『不快な夕闇』に震える!

文=石川美南

  • 不快な夕闇
  • 『不快な夕闇』
    マリーケ・ルカス・ライネフェルト,國森 由美子
    早川書房
    2,970円(税込)
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  • アメリカへようこそ
  • 『アメリカへようこそ』
    マシュー・ベイカー,田内 志文
    KADOKAWA
    2,750円(税込)
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  • うけいれるには
  • 『うけいれるには』
    クララ・デュポン=モノ,松本 百合子
    早川書房
    1,980円(税込)
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  • 夜明け前のセレスティーノ
  • 『夜明け前のセレスティーノ』
    レイナルド・アレナス,安藤哲行
    国書刊行会
    2,860円(税込)
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  • 愛
  • 『愛』
    ウラジーミル・ソローキン,亀山郁夫
    国書刊行会
    2,860円(税込)
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 最近は暇さえあれば外国文学を読んでいる私だが、一ページ目を開いた時点で「これは間違いなくすごいぞ!」と確信することは、それほど多くない。マリーケ・ルカス・ライネフェルト『不快な夕闇』(國森由美子訳/早川書房)は、そういう本だった。

 十歳の少女ヤスは、自分を置いてスケートに行ってしまった兄に腹を立て、愛するウサギの代わりに兄が死ぬよう神に祈ってしまう。その日、兄は事故死する。遺された両親は厳格な宗教の殻に閉じこもり、子どもたちも心を乱していく。

 感受性が強く想像力豊かなヤスが、家族への愛に蝕まれ自らの欲求を封印していく過程は息が詰まるほど辛いが、この作品を比類ないものにしているのは、文章それ自体の魅力だ。たとえば、兄の死後ヤスが脱がなくなった赤いジャケットの臭い、凍るように冷たい冬の空気、軟膏の缶の黄色とクリームのぬるぬるする感触、タンクから出したばかりのミルクの温かさ、壊れた時計のベルの音......。研ぎ澄まされた描写を辿るうち、五感すべてがフル回転し始める気がして興奮した。身も凍るラストまで救いらしい救いは一切なく、不快どころかおぞましいシーンが続くが、ヤスの語りには不思議なユーモアも漂う。(英訳版では削除されたという不穏なジョークも含めて)よくぞ訳してくださいました。

 マシュー・ベイカー『アメリカへようこそ』(田内志文訳/KADOKAWA)は、奇想と情動に満ちたすこぶる面白い短編集。

 幽霊語を考案する男と死語を研究する男の復讐作戦、合衆国から独立を宣言し「アメリカ」を名乗り始めた小さな町の群像劇......と、あらすじだけ聞いてもなんのこっちゃよくわからないと思うが、どの話も普通の日常を描いているかのようにしれっと始まり、いつのまにか奇想の真っただ中に連れ込まれてしまうので油断ならない。

 SF要素もあるが、複数ジャンルを自在に行き来する話も多い。老いと死、格差、犯罪やいじめなど現代的なテーマを盛り込みながら、そこに生きる人たちの心の揺れ動きをエモーショナルに描いていて感動的だ。十三編、外れなし。

 マラヤ連邦(現・マレーシア)の高原に、「夕霧」という名の見事な日本庭園が存在した──。タン・トゥアンエン『夕霧花園』(宮崎一郎訳/彩流社)は、そんな謎めいた設定の重厚な歴史小説。

 日本軍の強制収容所から生還したユンリンは、一九五一年、日本人のアリトモに弟子入りし、庭作りを学び始める。アリトモはかつて日本で皇室の庭師を務めていたが、何らかの理由でマラヤに渡り〈夕霧〉を作り上げていた。異なる民族や様々な思惑がぶつかり合うなか、秘められた真相が霧の向こうに浮かび上がる。

 戦争によって深く傷つけられた後、人はどう生きていくのか。時と共に薄れゆく記憶を、どう残せば良いのか。重いテーマを扱った物語だが、後半は『ゴールデンカムイ』ばりの(?)展開も待っていて驚いた。アリトモの人物造形や日本文化の描写にはやや過剰なエキゾチシズムを感じてむずがゆい面もあるのだが、外から日本を眺められるのも、外国文学を読む面白さの一つだろう。日本軍についても、その蛮行だけでなく、多面的に描かれている。

 クララ・デュポン=モノ『うけいれるには』(松本百合子訳/早川書房)は、重い障がいを抱えて生まれてきた〈子ども〉と、彼を取り巻く家族をめぐる物語。弟のケアにすべてを捧げてしまう長男、弟の存在を受け入れられず反抗する長女、そして〈子ども〉の死後に生まれてきた末っ子の姿を、静謐かつ力強く描き出す。

 特筆すべきは、本書の語り手が庭の壁石たちだということ。石は、家族が暮らすフランス・セヴェンヌ地方の風土を代表するものであり、〈子ども〉を象徴する存在でもある。石に額を当てて耐える者、石の上に育つ樹のように力強く生きる者、そして、石に新たな名前を付ける者。それぞれのやり方で苦悩を乗り越えていく様は、ほとんど魔法のようだ。

 フランスの高校生が選ぶゴンクール賞、フェミナ賞のほか、昨年初めて開催された第一回「日本の学生が選ぶゴンクール賞」を受賞。こうした取り組みは長く続いていってほしい。

 国書刊行会創業五十周年記念として、ラテンアメリカ文学の伝説的な一冊、レイナルド・アレナス『夜明け前のセレスティーノ』(安藤哲行訳/国書刊行会)が新装復刊された。

 かあちゃんは井戸に飛び込み、ばあちゃんはトウモロコシの株を片っ端から引っこ抜く。いとこのセレスティーノが木の幹に詩を書き留めると、じいちゃんは木を全部斧で切り倒してしまう。未知の音楽を直接脳に流し込まれるように、少年のグロテスクな脳内世界が怒濤の勢いで迫ってくる。

 同じく記念復刊のウラジーミル・ソローキンの短編集『愛』(亀山郁夫訳/国書刊行会)も、未読の方はぜひ。表題作を初めて読んだときは、「ぐへへへへ」と変な笑いが口から洩れた。遊園地に喩えるなら、ノスタルジックな蒸気船に乗り込んだはずが、突然絶叫マシンに切り替わって鉱山を疾走させられるような話。ほかにも、心の底から脱力する下ネタ、しばし放心の殺戮モノなど、なんでもありの悪夢的テーマパークを存分に楽しめる。

 外国文学はすぐ入手困難になりがちなので、機会を捉えての復刊はありがたい。そして、満を持して復刊するのがよりによってソローキンであるところに、国書刊行会の心意気を感じてニコニコしてしまう。遅ればせながら、創業五十周年おめでとうございます。

(本の雑誌 2023年6月号)

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●書評担当者● 石川美南

外国文学好きの歌人。歌集に『砂の降る教室』『架空線』『体内飛行』などがある。趣味は「しなかった話」の蒐集。好きな鉄道会社は京成電鉄。きのこ・灯台・螺旋階段を見に行くのも好き。

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