驚天動地の改変歴史小説『文明交錯』をイチ推しだ!

文=大森望

  • 文明交錯 (海外文学セレクション)
  • 『文明交錯 (海外文学セレクション)』
    ローラン・ビネ,橘 明美
    東京創元社
    3,300円(税込)
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  • ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス (竹書房文庫 ば 3-1)
  • 『ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス (竹書房文庫 ば 3-1)』
    フランチェスカ・T・バルビニ,フランチェスコ・ヴァルソ,中村 融 他,ヴァッソ・クリストウ
    竹書房
    1,496円(税込)
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  • 星の航海者1: 遠い旅人 (創元SF文庫)
  • 『星の航海者1: 遠い旅人 (創元SF文庫)』
    笹本 祐一
    東京創元社
    902円(税込)
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 今月一番の話題作は、もちろん村上春樹6年ぶりの長編『街とその不確かな壁』(新潮社)★★★½。40年前に発表したほぼ同名の中編のリテイクを第一部に置いたユング的ファンタジー、または『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の別バージョンとも言える(壁の中の街は〔世界の終り〕の街とほぼ同じなので同書の地図が役立つ)。思春期の純愛に決着をつけるためにガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』を呼び出すのはコロナ禍中の作品だから? 独身中年男の〝私〟が会社(出版取次大手)を辞めて福島県の田舎町の私設図書館長になる第二部(割と現実寄り)が妙にしっくりするのはこっちの老化のせいか、地方生活ドリームか。第三部はこれでいいのかよくわからない。ちょいちょいイラっとさせられるところまで含めてハルキワールド健在だが、〔ワンダーランド〕抜きだと若干しょぼくれた感じは否めない。なるほど、(作中に出てくる)古い造り酒屋を改装した図書館の雰囲気かも。

 一方、今月の当欄イチ推し作品は、ローラン・ビネ『文明交錯』(橘明美訳/東京創元社)★★★★½。『HHhH』で大人気のフランス作家が2019年に発表した最新長編にして「アタワルパ率いるインカ帝国が(史実と逆に)もしスペインを征服していたら?」という驚天動地の改変歴史小説。10世紀あたりからタネを蒔き、コロンブスの日誌(断片)のパスティーシュをはさんで、めっぽう面白い「アタワルパ年代記」が語られ(これが本編)、後日譚的な「セルバンテスの冒険」で締めくくる。『銃・病原菌・鉄』から着想を得て4年がかりで書いたというだけあって細部の凝りかたは半端なく、歴史ネタの細かいくすぐり多数(邦訳には相当量の懇切丁寧な訳注あり)。兄ワスカルに敗れて逃げ続ける〝堕ちゆく皇帝〟がいかにして海を渡り(キューバ経由で)イベリア半島にたどりつき、わずか200人足らずの軍勢でスペインを征服しキリスト教世界に覇を唱えたのか。その秘密は銃と馬と病原菌。ありえない史実を見てきたように語る名調子がすばらしい。アタワルパを支える将軍たちやヒゲナモタ王女など、脇役陣のキャラ立ちも最高。〝逆転〟により歴史を異化する手法はよしながふみ『大奥』に通じるかも。

『ノヴァ・ヘラス ギリシャSF傑作選』(フランチェスカ・T・バルビニ&フランチェスコ・ヴァルソ編/中村融ほか訳/竹書房文庫)★★★は、270頁に11編を収めるコンパクトなアンソロジー。序文によれば、ギリシャSFがジャンルとして成立したのは90年代末だそうで、まだまだ若い。本書は、〝未来のアテネ〟をテーマとする展覧会企画から誕生した全7編の作品集(2017年刊)に4編を加えた英語版(2021年刊)の邦訳。ソツなく書かれているもののあまり印象に残らない作品が多い中、VR世界でアテネとバグダッドが重なるW不倫小説、ミカリス・マノリオス「バグダッド・スクエア」と、夏の間だけ島のリゾートホテルで観光客を出迎える人造人間の物語、エヴゲニア・トリアンダフィル「われらが仕える者」がわりあい面白く読めた。

 彩瀬まる『花に埋もれる』(新潮社)★★★★は、SF寄りの4編を含む全6編の作品集。中では第9回R−18文学賞の読者賞を受賞した13年前のデビュー作「花に眩む」が最もSF度が高く、植物化した人間の恋愛がごく自然に、繊細に描かれる。GRANTA電子版に今年英訳された「ふるえる」は、恋をすると体内に石が生まれる世界を舞台に独特の〝喪失〟を描く。日常と非日常が違和感なく混ざり合うのが特徴。

古川真人『ギフトライフ』(新潮社)★★★★は、政府と一体化した企業が運営するポイント制社会に過剰適応した主人公が出張先で窮地に陥るドタバタ近未来ディストピアSF。題名は、重度不適性者の生前献体を可能にする、一種の強制的安楽死制度。主人公が乗る自動運転車が流しつづけるCMや杓子定規な告知が絶妙のアクセントになり、笑いと恐怖、SFと寓話の間をギリギリのバランスで綱渡りする。

 笹本祐一『星の航海者1 遠い旅人』(創元SF文庫)★★★★は、待望の新シリーズ開幕編。主人公は、地球年齢で308歳となる銀河連絡記録公社恒星間記録員メイア・シーン。船内で20年の冷凍睡眠から目覚めた彼女は、くじら座τ星にある人類初の植民惑星ディープブルーを200年ぶりに訪れる......。宇宙リゾートとしてL1に建設されたDスターで生まれ、長じてジャーナリストとなった彼女の人生と取材活動をふりかえるかたちで、人類の宇宙進出史が語られてゆく。スペースコロニー建設、恒星間宇宙船開発、冷凍睡眠......。壮大かつリアルかつポジティヴな宇宙開発SFの開幕だ。

 2年ぶりに出た『NOVA 2023年 夏号』(大森望責任編集/河出文庫)は、池澤春菜、高山羽根子、芦沢央、最果タヒ、揚羽はな、吉羽善、斧田小夜、勝山海百合、溝渕久美子、新川帆立、菅浩江、斜線堂有紀、藍銅ツバメ(収録順)の13名が寄稿。日本SF史上たぶん初の、女性作家だけによるオリジナルアンソロジー。

 日経「星新一」賞は第10回に到達。受賞作を集めた電子書籍『第10回 日経「星新一」賞受賞作品集』が出ている(過去9冊も含めhontoで無料ダウンロード可能)。前回に続き一般部門グランプリ(星新一賞)を受賞した関元聡の「楕円軌道の精霊たち」は赤道直下の島国の神話と軌道エレベーターが意外なかたちで結びつく鮮烈な宇宙SF。一般部門優秀賞(アマダ賞)受賞の亀山建太郎「五億年越しのパートナーシップ」は農産物がAI的な自律知性を持つ話で、語り口が絶妙。

(本の雑誌 2023年6月号)

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●書評担当者● 大森望

書評家、翻訳家。責任編集の『NOVA』全10巻と、共編の『年刊日本SF傑作選』で、第34回と第40回の日本SF大賞特別賞受賞。著書に『21世紀SF1000』『同 PART2』『新編 SF訳講座』『50代からのアイドル入門』など。訳書に劉慈欣『三体』(共訳)、テッド・チャン『息吹』など。ゲンロン大森望SF創作講座」主任講師。

http://twitter.com/nzm

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