アン・クリーヴスの新シリーズ『哀惜』登場!

文=柿沼瑛子

  • 哀惜 (ハヤカワ・ミステリ文庫 HMク 25-1)
  • 『哀惜 (ハヤカワ・ミステリ文庫 HMク 25-1)』
    アン・クリーヴス,高山 真由美
    早川書房
    1,738円(税込)
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  • 警部ヴィスティング 疑念 (小学館文庫 ホ 2-4)
  • 『警部ヴィスティング 疑念 (小学館文庫 ホ 2-4)』
    ヨルン・リーエル・ホルスト,中谷 友紀子
    小学館
    1,188円(税込)
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  • 盗作小説 (HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOKS No. 1)
  • 『盗作小説 (HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOKS No. 1)』
    ジーン・ハンフ・コレリッツ,鈴木 恵
    早川書房
    2,750円(税込)
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  • 頬に哀しみを刻め (ハーパーBOOKS)
  • 『頬に哀しみを刻め (ハーパーBOOKS)』
    S・A コスビー,加賀山 卓朗
    ハーパーコリンズ・ジャパン
    1,320円(税込)
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『哀惜』(高山真由美訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)はぺレス警部でおなじみアン・クリーヴスの新シリーズ第一作である。ノース・デヴォンの海岸でアルコール依存症のホームレスの死体が発見される。事件を担当する警部マシュー・ヴェンは、一見人畜無害なホームレスがなぜ殺されなければならなかったのかを追っていくうちに、田舎町にひそむ「悪」を静かに、だが、きっぱりと暴きだしていく。主人公のマシューは作者もいっているとおり「少々人見知りで、自信家とはいえない主人公」である。信仰と生まれ育ったコミュニティを裏切った後ろめたさは絶えず彼につきまとっている。同性婚をしたことで、肉親と故郷との絆を決定的に断たれているせいか、いまいち自分に自信が持てない。だからこそ、ひとつひとつの手がかりと自分とのかかわりを丁寧に見つめながら、地道に捜査を積み上げていく今の職業が合っているのかもしれない。同性婚のお相手ジョナサン(堅苦しいマシューとは対照的に一年中Tシャツに短パンという自然児である)とはいいカップルなのだが、ペレス警部の前例もあるので油断がならない。ヴェンの部下で、いつも疲れているワーキング・マザーで負けず嫌いのジェンと、お坊ちゃまで自信過剰気味なロスのコンビの成長もこれからが楽しみだ。どうせなら、同じ作者の人気TVシリーズ、おばさんデカことヴェラ・スタンホープ・シリーズも早いところ翻訳してほしい。

 いつだったか読書会で、北欧に明るいコージーなミステリーはないのかという話題が出たことがあるが、結論からいえばやっぱりないらしい。ヨルン・リーエル・ホルストのヴィスティング警部シリーズも読書会で取り上げられることが多いのだが、その感想といえば「悲惨なアル中やヤク中が出てこない」「アレをナニされた死体が出てこない」「主人公が不幸な私生活を送っていない」etc.etcで、いわゆる北欧ミステリーと比べれば若干地味目ではある。とはいってもこのシリーズは後でじわじわ染みてくるのが持ち味で、アン・クリーヴスにも共通する、一種の折り目正しさのようなものすら感じさせる。さて本作『警部ヴィスティング 疑念』(中谷友紀子訳/小学館文庫)は休暇中のヴィスティングのもとに、差出人不明の封書が届く。そこに書かれていたのは一連の数字のみ。それは一九九九年に起こった少女殺害事件の事件番号だった。さらには第二、第三の手紙が送られてくる。いったい手紙の主は何を知らせようとしているのか......。この作品には実際にモデルとなった事件があり、作者は警察官時代に容疑者を逮捕したが、証拠不十分で無罪となり、以後「膿んで癒えることのない心の傷」を抱き続けてきたのだという。作者の原点ともいえる本作は、そうした小さきもの、弱きものの尊厳を踏みにじる卑劣な犯罪者たちへの静かな「怒り」に満ちている。

 ジーン・ハンフ・コレリッツ『盗作小説』(鈴木恵訳/ハヤカワ・ミステリ)の主人公ジェイコブは、華々しいデビューを遂げたものの、その後は鳴かず飛ばず、今では大学の創作講座で素人同然の受講生たちに、益体もないアドバイスを与え、かろうじて生計をたてている。ある日生徒のひとりから素晴らしいプロットを明かされたジェイコブは、その素晴らしさに内心舌を巻く。後にその生徒がそれを小説として発表せずに死んだことを知った彼は誘惑に負け、プロットを借用して書き上げた小説が起死回生の大ヒットとなりベストセラー作家に返り咲く。すっかり有頂天になったところに「おまえは盗人だ」というメールが届く。ジェイコブは脅迫者の正体を突き止めようと自ら「探偵」となってその正体を探ろうとするのだが......。主人公が小心者ゆえの焦燥とパラノイアぶりはどこかパトリシア・ハイスミスを思わせるものがある(実際、ハイスミスの作品も関係してくる)。小出しに少しずつ出てくる小説内小説にも注目。主人公が盗んだのが「何」であったのかというのがこの作品のキモである。

「正義とは何か」「正義が及ばない悪というものが存在するとしたら、どうやって罰を与えられるのか」という命題は、まさにミステリーにおいて永遠に繰り返されてきたテーマだが、いまだに答えは出ていないのだ、と痛感させられるのがS・A・コスビー『頬に哀しみを刻め』(加賀山卓朗訳/ハーパーBООKS)である。原題のRazorblade Tearsというのは、カミソリの刃のように痛い涙のことであり、息子を惨殺され、さらにはその墓を侮辱された父親たちの痛みでもある。父親たちの一人、黒人のアイクはかつて殺人罪で服役していたが、現在は地道に商売をしている苦労人であり、もう一人のバディ・リーはレッドネックと呼ばれる「貧乏白人」で、現在はアルコールに溺れ、病身のその日暮らしを送っている。一見接点のないふたりの男たちを結びつけたのは、彼らの息子たちだった。白人と黒人の息子たちは「結婚」し、幼い娘を残して射殺される。かくして父親たちは結束して息子たちの復讐に立ち上がる──て、気持ちはわかるけど、一言いっていいですか? おっさんたち、突っ走りすぎ! どんな結果を招くか、全然考えていないし(少なくとも最初のうちは)。でも、そのなりふりかまわなさがこの作品の魅力だといえる。父親たちはかつて自分たちが暴力のプロだったから、相手の暴力を理解し、どうやって対抗すればいいかわかっているのだ。暴力と流される血は、生きているうちに理解することのできなかった息子たちに対する父の詫び状だったのかもしれない。そしてカミソリの涙が流された今、最後に残るのは「希望」なのだ。

(本の雑誌 2023年6月号)

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●書評担当者● 柿沼瑛子

翻訳家。翻訳学校教師。主訳書はアン・ライス、パトリシア・ハイスミスなど。最新訳書はアルジス・バドリス「誰?」ジプシー・ローズ・リー「Gストリング殺人事件」共編書に「耽美小説・ゲイ文学ガイドブック」「女探偵たちの履歴書」などあり。元山歩きインストラクター・靴屋の店員、ロス・マクドナルド&マーガレット・ミラー命。

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