みんな大好きアリ・スミス! 短編で巡る奇妙な十二か月

文=石川美南

  • 五月 その他の短篇
  • 『五月 その他の短篇』
    アリ・スミス,岸本 佐知子
    河出書房新社
    2,200円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • アントンが飛ばした鳩:ホロコーストをめぐる30の物語
  • 『アントンが飛ばした鳩:ホロコーストをめぐる30の物語』
    バーナード・ゴットフリード,柴田 元幸,広岡 杏子
    白水社
    3,850円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • アーダの空間 (エクス・リブリス)
  • 『アーダの空間 (エクス・リブリス)』
    シャロン・ドデュア・オトゥ,鈴木 仁子
    白水社
    3,960円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 月かげ
  • 『月かげ』
    ジェイムズ・スティーヴンズ,阿部 大樹
    河出書房新社
    2,420円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

 楽しみに待っていたアリ・スミスの短編集『五月 その他の短篇』(岸本佐知子訳/河出書房新社)が出た。アリ・スミスと言えば、不思議な仕掛けが施された『両方になる』や、四季四部作などの長編も話題になったが、本書でも魅力が炸裂している。

 表題作「五月」は、よその家の木に突然恋をしてしまった女の奇妙で切ない恋物語。その他にも、客に変なあだ名を付けまくる書店員、死神とすれ違ってから家に帰れなくなる女、バグパイプの楽隊に押しかけられる老女、セーターのフードに木の実を入れたまま美術館に入る人など、どこかずれているような、愛すべき人々が次々に登場する。短編には一年の各月が割り当てられ、十二編で十二か月を巡る構成。それぞれの話は独立しているが、そこはアリ・スミス、同じモチーフが別の話で変奏されたり反転したりと、連作としてのギミックも効いているので、まずは前から順番に読んでいくのがおすすめ。メタフィクション的な語りにニヤニヤしたり、途中で語り手が変わって驚いたりしたかと思えば、予想外のタイミングでほろりとさせられたりもする。読むことの幸福を隅々まで感じさせてくれる一冊だ。

 バーナード・ゴットフリード『アントンが飛ばした鳩 ホロコーストをめぐる30の物語』(柴田元幸・広岡杏子訳/白水社)は、ポーランドに生まれ、強制収容所を生き抜いた作者が、少年時代から第二次世界大戦後までを回想する連作短編集。ホロコーストの生還者による回想録と聞くと、つい二の足を踏んでしまう人もいるかもしれないが、臆することなかれ。戦後カメラマンとして活躍した作者の目は、周囲の人々や物の姿を生き生きと捉えていて、読み進めるうちすっかり魅了されてしまうはずだ。

 物語には、盗まれたテーブルを泥棒にあげてしまう祖母、ユダヤ人に食料を分けてくれるナチの隊員、他の囚人を取り締まる特権的な囚人、ユダヤ人の振りをして強制収容所に入れられた元ドイツ軍中尉など、実に多様で多面的な人間たちが出てくる。また、サーカスの象に奪われたリンゴ、数奇な運命を辿った万年筆、収容所で父が投げ寄越した卵など、物に事寄せた章も印象深い。自身の経験を鮮明に記憶し、冷静に見つめ直し、豊かな物語として語り継げたのは、作者の驚異的な才能の賜物というほかない。一方、語られることなく消えていったあまたの記憶や物語があることも、私たちは忘れてはならない。

 シャロン・ドデュア・オトゥ『アーダの空間』(鈴木仁子訳/白水社)は、異なる時空を生きる四人の"Ada"の人生がループする、複雑な構成の長編。十五世紀のアフリカで新生児を亡くしたアダー、十九世紀のイギリスでチャールス・ディケンズと不倫する数学者エイダ、二十世紀、ドイツの強制収容所の一室で慰安婦をさせられているアダ。そして、その三人の人生を全て引き受けるように登場する、現代のアーダ。意外な語り手や神様(!)が見守るなか、彼女(たち)が辿り着く場所は──。エンタメと呼ぶにはシリアス、シリアスかと思えば独特のユーモアでくすぐってくるので、どういう顔をして読めばいいのかたまにわからなくなるのだが、Adaたちの断片が現代のアーダに流れ込む終盤は圧巻だ。

 チョ・ヘジンの短編集『光の護衛』(金敬淑訳/彩流社)の表題作にも、意外な形でホロコーストが登場する。若き報道写真家クォン・ウンと、パレスチナの救護物資トラック爆撃事件をつなぐ、一条の光の筋。この小説でも、困難な人生を抱えた人たちの時空を超えた連帯が描かれる。

 シャロン・ドデュア・オトゥもチョ・ヘジンも、ホロコーストを体験した世代ではない。では、直接つながりのない歴史をどう作品に取り込み、語ればいいのか。その問いへの誠実な回答として、これらの小説はあるのだと思う。『光の護衛』には表題作以外も、歴史的事件を踏まえながら個人の生に光を当てた美しい作品が並んでいる。

 ジェイムズ・スティーヴンズ『月かげ』(阿部大樹訳/河出書房新社)にはびっくりした。冒頭に置かれた「欲望」が、特にすごい。町で偶然出会った男について、熱に浮かされたように語る夫。その晩妻は、北極海の夢を見た──。わずか十二ページの中に、氷を切り出して造った彫像のような緊密な世界が展開する。

 作者はジェイムズ・ジョイスと同時代のアイルランド作家で、あの『フィネガンズ・ウェイク』の執筆を引き継ぐようジョイス自身から頼まれた人物なのだという。一晩で二十年分の人生を夢に見た男の物語「月かげ」、無口な男が豹変する瞬間を描く小品「狼」もいい。

 最後にご紹介したいのは、『チベット女性詩集 現代チベットを代表する7人・27選』(海老原志穂編訳/段々社)。長く男性中心だったチベット文学に新しい風を吹き込んだ女性詩人たちの作品から、二十七編を厳選したアンソロジー。望郷、労働、妊娠、政治、そしてジェンダーなど様々なテーマを持った多彩な詩が並ぶ。訳注やコラムも充実しており、一冊通して読むと、どうして本書が「女性」詩集として編まれねばならなかったかが、痛いほどよく伝わってくる。時に柔らかく、時に力強く訳し分けられた訳文もすばらしい。

 チベットのフェミニズム運動を牽引してきたホワモの高らかな詩「私に近寄るな」から、一連目のみを引いておく。

 私に近寄るな
 私は甘露ではない
 私は欲望ではない
 光り輝く真珠 それは私ではない
 甘やかな唇 それは私ではない

(本の雑誌 2023年7月号)

« 前のページ | 次のページ »

●書評担当者● 石川美南

外国文学好きの歌人。歌集に『砂の降る教室』『架空線』『体内飛行』などがある。趣味は「しなかった話」の蒐集。好きな鉄道会社は京成電鉄。きのこ・灯台・螺旋階段を見に行くのも好き。

石川美南 記事一覧 »