一〇〇一の断章で描く無限角形が胸を刺す

文=石川美南

  • 無限角形 1001の砂漠の断章
  • 『無限角形 1001の砂漠の断章』
    コラム・マッキャン,栩木 玲子
    早川書房
    4,620円(税込)
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  • 過去を売る男 (エクス・リブリス)
  • 『過去を売る男 (エクス・リブリス)』
    ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ,木下 眞穂
    白水社
    2,750円(税込)
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  • ミルク・ブラッド・ヒート
  • 『ミルク・ブラッド・ヒート』
    ダンティール・W・モニーズ,押野 素子
    河出書房新社
    2,695円(税込)
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  • 寝煙草の危険
  • 『寝煙草の危険』
    マリアーナ・エンリケス,宮﨑真紀
    国書刊行会
    4,180円(税込)
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  • are you listening? アー・ユー・リスニング
  • 『are you listening? アー・ユー・リスニング』
    ティリー・ウォルデン,三辺律子
    トゥーヴァージンズ
    2,640円(税込)
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  • 飢えた潮
  • 『飢えた潮』
    アミタヴ・ゴーシュ,岩堀兼一郎
    未知谷
    3,300円(税込)
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 イスラエル人ラミ・エルハナンは、一三歳の娘を自爆テロで亡くした。パレスチナ人バッサム・アラミンの一〇歳の娘は、国境警備隊員が撃ったゴム弾によって命を落とした。ラミとバッサムはやがて友情で固く結ばれ、共に境遇を語ることで平和を訴えかけていく。

 コラム・マッキャン『無限角形 1001の砂漠の断章』(栩木玲子訳/早川書房)は、ラミとバッサムの物語を中心とした、一〇〇一の断章で構成されている。ラミとバッサムは実在の人物。作者は彼らのインタビューや記事を再構成しつつ、そこから想像を広げ、さらには歴史上の事件や渡り鳥の習性、文学や美術を巡る挿話などをちりばめて作品を創り上げた。本文中、かのボルヘスが『千夜一夜物語』を終わりのないカテドラル、広がることをやめないモスクに喩えたというエピソードが紹介されるが、本書が目指したのもそのような境地だろう。一〇〇一の断章は、一見取り留めないように見えて互いに緊密に連関し合い、美しい模様を描いている。もしこの本に疵があるとすれば、構成があまりにも美しすぎることくらいなんじゃないか......なんて小賢しいことを考えていたのは五〇〇章の手前辺りまでで、途中からはただただ夢中でページをめくっていた。バッサムの、ラミの悲しみが、驚くほど近しく感じられ、決して円になることのない無限角形のように、胸に刺さり続ける。

 偶然だが、ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ『過去を売る男』(木下眞穂訳/白水社)も、ボルヘスの引用(「生まれ変わるのなら、まったく違う何かを選ぶだろう」......)から始まる。

 フェリックス・ヴェントゥーラは、日干し煉瓦と木でできたアンゴラの家で、人々に「過去」を売る仕事をしている。内戦後のアンゴラでは、新興ブルジョワジー層がもっともらしい家系図を求め、フェリックスのサービスを利用していた。ある日フェリックスのもとに、名前も過去も丸ごと捏造してほしいという顧客が現れる。その仕事を受けてから、フェリックスの身辺はにわかにざわつき始める─。名前と過去をめぐる謎めいた物語の語り手は、なんとフェリックスの家に棲む一匹のヤモリ。冒頭の引用がどう本編に関係してくるかは、読んでのお楽しみだ(ふふふ)。テーマは重いが、ストーリーテリングの面白さでぐいぐい読める。

 ダンティール・W・モニーズの短編集『ミルク・ブラッド・ヒート』(押野素子訳/河出書房新社)の表題作は、十三歳の少女二人が手のひらを切りつけ、ミルクに滴らせるシーンから始まる。思春期の重苦しい気分、肌の色の違い。鋭敏な彼女たちの感情が、まさに熱い血をどくどくと注ぎ込まれるように伝わってくる。母と娘、それぞれの心の危機を描いた「敵の心臓」、父の遺灰を撒きに行く兄妹の心の暗闇が暴かれていく「水よりも濃いもの」も強烈。フロリダで黒人の女性として生きることの意味、母である/母になる/母を持つことの意味を多面的に描いているところも特徴である。

 マリアーナ・エンリケス『寝煙草の危険』(宮﨑真紀訳/国書刊行会)は、〈アルゼンチンのホラー・プリンセス〉と呼ばれる作者による奇怪な短編集。幽霊、呪われた町、降霊術......とキーワードだけ書き出すと典型的なホラーの様式に則っているように見えるが、そこにアルゼンチンの風土と社会が練り込まれることで、独特の熱気と臭気を帯びた世界が生まれている。他人の心音に性的興奮を覚える女性の純愛(か?)「どこにあるの、心臓」や、行方不明の子どもたちを巡る「戻ってくる子供たち」辺り、とてもいい。本書の語りには何か読み手の身体に深く訴えてくるものがあって、私は一編読むごとに猛烈な睡魔に襲われ、その都度湿った悪夢を見たのだった。

 ティリー・ウォルデン『are you listening? アー・ユー・リスニング』(三辺律子訳/トゥーヴァージンズ)は、たまたま一緒に行動することになった女性二人+猫一匹の旅路をマジカルに描いたグラフィックノベル。セクシュアリティや家族を巡る悩みを繊細に捉えつつ、現実と非現実の境界をぐにゃっと曲げてくる大胆な描写が魅力的。彼女たちの悲しみや不安がそのまま滲み出したかのような色彩が美しい。

 アミタヴ・ゴーシュ『飢えた潮』(岩堀兼一郎訳/未知谷)の舞台はインドの西ベンガル州。世界最大のマングローブ林が広がる〈潮の国〉シュンドルボンは、無数の水路と島々で構成され、満ち潮になると海に没する湿地帯である。物語は、ニューデリーで通訳・翻訳業を営むエリート中年のカナイと、若き海棲哺乳類学者のピヤがこの地を訪れるところから始まる。潮の国の自然、宗教、過酷な歴史。そしてそこに生きる人々の姿が壮大なスケールで描かれるが、決して小難しい話ではなく、リーダビリティも抜群に高い。一人の人を複数の視点から描写し、立体的な人物像を立ち上げていく筆致も巧み。主人公の一人であるカナイさえ、実の伯母に陰でスケコマシ呼ばわりされていて笑う。

 翻訳者の岩堀さんは本書に惚れ込み、邦訳がないことを憂いて自ら翻訳を手掛けたのだという。また、多くの人に読んでもらいたいという思いから、少しでも価格を下げるべく出版前にクラウドファンディングを実施している。長期的に考えたとき、こうしたモデルを手放しで美談として良いものなのか、非常に悩む。ただ、外国文学を愛する者の一人として、翻訳者の問題意識と本書への情熱は、痛いほどよくわかる。なんにせよ、むちゃくちゃ面白い本であることは間違いないので、ぜひ、買って、読んでほしい。

(本の雑誌 2023年8月号)

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●書評担当者● 石川美南

外国文学好きの歌人。歌集に『砂の降る教室』『架空線』『体内飛行』などがある。趣味は「しなかった話」の蒐集。好きな鉄道会社は京成電鉄。きのこ・灯台・螺旋階段を見に行くのも好き。

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