破格のページターナー『リンカーン・ハイウェイ』に没入!

文=石川美南

  • リンカーン・ハイウェイ
  • 『リンカーン・ハイウェイ』
    エイモア トールズ,宇佐川 晶子
    早川書房
    4,070円(税込)
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  • 長恨歌
  • 『長恨歌』
    王 安 憶 (おう・あんおく/ワン・アンイー ),飯塚 容(いいづか・ゆとり)
    アストラハウス
    3,520円(税込)
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  • 閉ざされた扉 (フィクションのエル・ドラード)
  • 『閉ざされた扉 (フィクションのエル・ドラード)』
    ホセ・ドノソ
    水声社
    3,300円(税込)
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  • 最後の三角形: ジェフリー・フォード短篇傑作選 (海外文学セレクション)
  • 『最後の三角形: ジェフリー・フォード短篇傑作選 (海外文学セレクション)』
    ジェフリー・フォード,谷垣 暁美
    東京創元社
    3,850円(税込)
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 アメリカで百万部超の大ヒット、バラク・オバマ絶賛、ビル・ゲイツも推薦......という華々しい宣伝文句に若干身構えながら手に取ったエイモア・トールズ『リンカーン・ハイウェイ』(宇佐川晶子訳/早川書房)。いやあ、これはベストセラーも納得である。視点人物が次々と入れ替わっていくのだが、各パートが切り替わる際の引きがとにかく強い。「きゃーっ、それはだめー!」「やめて~」などと心の中で叫びながら、先へ先へとページを繰り続けてしまった。

 舞台は一九五四年アメリカ。更生施設を出所し、ネブラスカに戻ってきたエメットは、亡き父の借金により農場が売りに出されることを知る。弟ビリーと共に車一つでカリフォルニアへ向かおうとするエメットだが、施設仲間のダチェスとウーリーが乱入してきたことで、なぜか正反対のニューヨークへと向かう羽目に......。生真面目なエメット、予測不能のトリックスター・ダチェス、独特なテンポを持つウーリーの三人は十八歳。生まれ育った環境は大きく異なるが、それぞれに切実な問題を抱え、不器用に生きている。ここに純真無垢で聡明な八歳のビリーを加えた四人が中心となり、十日間の冒険が繰り広げられる。

 おとぎ話の登場人物のように颯爽と現れるキャラクターもいれば、読者の心に深い傷を残して去っていく人物もいる。読み終える頃には、凸凹だらけの彼らが心底愛おしくなっている。ラストの展開はなかなかにシビアだが、あくまでもオープンエンドと受け取りたい。

『リンカーン・ハイウェイ』が一九五〇年代アメリカの空気を狂騒的に切り取っているのに対して、キャサリン・レイシー『ピュウ』(井上里訳/岩波書店)は、アメリカ南部の薄暗い部分をじわじわ炙り出すような筆致が印象的だ。

 ある日曜、小さな町の教会で一人の余所者が目を覚ます。性別も年齢も人種も判然としないその人物を、町の人々はピュウ(=信者席)と呼ぶことにする。ほとんど一言も喋らず、自分の来歴を明かそうともしないピュウに向かって、人々は一方的に秘密を打ち明けたり、苛立ちをぶつけたりする。おりしも次の土曜には、町にとって特別な行事が控えていた。

 何よりユニークなのは、本書の語り手が、外ならぬピュウ自身だということ。謎めいた人物を巡って展開する物語は多いが、謎当人が語り手になる小説は珍しい。人々の身勝手なお喋りとピュウの静かな内面描写のずれは、時としてそこはかとないおかしみも醸すが、読後冷え冷えと胸に残るのは、ピュウの抱える底なしの孤独だ。グロテスクかつ魅力的な寓話である。

 王安憶『長恨歌』(飯塚容訳/アストラハウス)は、上海の横町に暮らす娘が「ミス上海コンテスト」に出場し、四十年後に殺されるまでを描く大河小説。

 まずは冒頭、上海の弄堂(伝統的な住居が並ぶ横町)の風景描写が美しい。薄墨を幾重にも塗り重ねるような文を辿るうち、仄暗い路地の奥深くへと誘い込まれるような気分になる。

 物語の中核をなすのは、主人公・王琦瑶と女友だちの確執、複数の男たちとの愛憎という極めてパーソナルな人間関係なのだが、作者はこの小説を、上海という都市の物語として描こうとしたらしい。本文に「もし、上海の弄堂が口を開けば、出てくるのは流言だろう。それが上海の弄堂の思想であり、昼夜を問わず拡散している。もし、上海の弄堂が夢を見るなら、それもまた流言であるはずだ」とある。王琦瑶は弄堂の流言が育てた娘であり、その人生は、弄堂が見た夢そのものなのだ。

『閉ざされた扉 ホセ・ドノソ全短編』(寺尾隆吉訳/水声社)は、長編『夜のみだらな鳥』『別荘』などのドノソによる全短編を収めている。ドノソは長編に転じて以降二度と短編に戻らなかった作家なので、全て初期作品ということになるが、小粒な中に作家を構成する多くの要素が凝縮されており、これぞ短編、という味わいがある。

 表題作は、幼少の頃から眠りに取り憑かれ、人生の全てを賭けて眠っている間に見る夢の意味を知ろうと試みる男の話。「シロンボ」は、メキシコ旅行者が現地に住む女性から聞いた身の上話を通して、内なる人種差別意識を暴き出す鮮烈な一編。白眉は「サンテリセス」。ネコ科の大型動物の切り抜きをコレクションしていた男が破滅に向かうまでを描いているが、下宿先の親子の粘っこい人物描写が絶品だ。

 さて、次ページから始まる大森望さんの欄でも激賞されているが、当欄でも強く推しておきたいのが、『最後の三角形 ジェフリー・フォード短篇傑作選』(谷垣暁美編訳/東京創元社)SFかと思えばホラー、ミステリかと思えば幻想文学と、ジャンルごちゃまぜの混沌を存分に堪能できる、全文学好き必読の一冊なのだ。

「恐怖譚」は、かの詩人エミリー・ディキンスンが死神と一緒にゾンビ退治に繰り出す話。奇想天外な設定に唖然とするも、エミリーの詩を愛読し、それとなく会話に混ぜてくる死神にうっとり。詩人なら皆「こんな死神に来てほしい」と願ってしまうのではないだろうか。ヤク中のホームレスと老婆が黒魔術に挑む表題作は、とびきり変わり種のボーイ・ミーツ・ガール(か?)。ノスタルジックな幻想譚かと思いきや恐怖の展開を見せる「ナイト・ウィスキー」も忘れがたいが、個人的な一押しは「マルシュージアンのゾンビ」。近所に引っ越してきた風変わりな男と交流するうち、彼の仕掛けた「ゲーム」に巻き込まれていく家族の話。終盤の意外な展開に、背筋がゾワッとすること間違いなし!

(本の雑誌 2023年12月号)

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●書評担当者● 石川美南

外国文学好きの歌人。歌集に『砂の降る教室』『架空線』『体内飛行』などがある。趣味は「しなかった話」の蒐集。好きな鉄道会社は京成電鉄。きのこ・灯台・螺旋階段を見に行くのも好き。

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