「幽霊」たちに導かれ物語の深奥へ

文=石川美南

  • 人類の深奥に秘められた記憶
  • 『人類の深奥に秘められた記憶』
    モアメド・ムブガル・サール,野崎 歓
    集英社
    3,630円(税込)
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  • さらばボゴタ (フィクションの楽しみ)
  • 『さらばボゴタ (フィクションの楽しみ)』
    アンドレ・シュヴァルツ゠バルト
    水声社
    2,970円(税込)
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  • 大仏ホテルの幽霊 (エクス・リブリス)
  • 『大仏ホテルの幽霊 (エクス・リブリス)』
    カン・ファギル,小山内 園子
    白水社
    2,640円(税込)
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  • 翼 李箱作品集 (光文社古典新訳文庫 K-Aイ 2-1)
  • 『翼 李箱作品集 (光文社古典新訳文庫 K-Aイ 2-1)』
    李箱,斎藤真理子
    光文社
    1,100円(税込)
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  • ブルーノの問題
  • 『ブルーノの問題』
    アレクサンダル・ヘモン,柴田元幸,秋草俊一郎
    書肆侃侃房
    2,970円(税込)
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 幽霊に興味がある。と言っても実際に視たことはないし、いわゆる怪談を読み込んでいる訳でもない。小説に喩として現れる幽霊、物語を揺り動かす存在としての幽霊が気になるのだ。

 モアメド・ムブガル・サール『人類の深奥に秘められた記憶』(野崎歓訳/集英社)は、まさにそういう「幽霊」のような存在が周囲を動かしていく話である。

 セネガル出身・パリ在住の若手小説家ジェガーヌは、かつて同郷の作家が書いた『人でなしの迷宮』という小説に魅せられる。作者の名はT・C・エリマン。エリマンが初めて書いた『人でなしの迷宮』はフランス文壇で大きな話題となったが、その後、激しい批判に曝されて回収され、エリマン自身も一切の消息を絶っていた。ジェガーヌによるエリマン探索は、ある先輩作家との出会いによって一気に展開する。幾重にも重なった語りの迷宮の先で、ジェガーヌは本当のエリマンを見つけることができるのか。

 エリマンのモデルは、実在した小説家ヤンボ・ウオロゲム。スーダン出身の彼は、一九六八年に発表した作品がアンドレ・シュヴァルツ゠バルトらの剽窃と謗られ、以後、沈黙した。アフリカ出身の作家にとってフランスで書くことはどんな意味を持つのか。そもそも作家にとって、書くこととは......。突き付けられるテーマは重い。しかし、決して堅苦しい小説ではない。序盤は「抒情的長広舌」を振るうジェガーヌのこじらせ文学青年ぶりに爆笑。こういうめんどくさい人、日本にもいる、いる。幾人もの語りを通してエリマンがゆらゆらと輪郭を持っていく過程は実にスリリングだし、本書自体が、様々なオマージュや仕掛けに満ちているのである。

 作者は本作により三十一歳でゴンクール賞を受賞している。

 シモーヌ&アンドレ・シュヴァルツ゠バルト『さらばボゴタ』(中里まき子訳/水声社)に関しては、出版までの経緯がいささか幽霊めいている。ユダヤ系フランス人のアンドレと、グアドルーブ(フランスの海外県)にルーツを持つシモーヌの夫妻は、カリブ海の黒人家系の歴史を辿る連作小説を構想し、一作目を一九六七年に発表したが、長らく中断されたままアンドレが死去。二〇一〇年になってアンドレの草稿が発見され、シモーヌが手を入れた上で発表されたという。

 本書は連作の一部だが、前の本を読んでいなくても大丈夫。一九五〇年代のパリ、ある高齢者施設に暮らすマリーが、施設で親交を深めていたジャンヌの生涯と、マリー自身の過去を回想する。ジャンヌとマリーそれぞれの苦難に満ちた人生に目を見張るが、高齢者施設での友情モノとしても楽しい。

 ちなみに、作者の一人であるアンドレは一九五九年に三十一歳でゴンクール賞を取った後、盗用疑惑やユダヤ民族の歴史に関する誤謬などが批判されて......そう、実は『人類の深奥に秘められた記憶』とも複雑なつながりを持っているのである。

 カン・ファギル『大仏ホテルの幽霊』(小山内園子訳/白水社)には、ちゃんとした(?)幽霊が登場する。しかし、正統派ホラーを想像して読み始めると、意外なところに連れていかれることになる。

 最初の語り手は、作者カン・ファギルを思わせる韓国の作家。原稿執筆中「悪意」の声に邪魔をされて悩んでいた彼女は、仁川の「大仏ホテル」跡地を訪ね、緑のジャケットの女を幻視する。そして舞台は、一九五五年の大仏ホテルへ。その年、緑のジャケットの女がホテルで死んだというのだが......。

 皇族の成りすまし、悪霊の住むホテル。そこに逗留するシャーリイ・ジャクスン(!)。意外な登場人物や悪夢のような入れ子構造に混乱するうち、信頼できない語りの沼にずぶずぶと沈み込んでいく。日本による統治、朝鮮戦争での無差別爆撃、人種差別などの問題をしっかりと盛り込みながら、ぎりぎりのところで人への信頼を回復するラストもいい。

『翼 李箱作品集』(斎藤真理子訳/光文社古典新訳文庫)は、一九三七年に二十七歳で死去した作家・李箱の詩、小説、紀行文、童話、書簡などを収めたオリジナル作品集。日本統治下の朝鮮に生まれ育った李箱は、モダニズムの手法を取り入れ、日本語詩を含む刺激的な作品を作った。李箱の生きた時代と作品世界については斎藤真理子氏による丁寧なまえがきや解説に学ぶところが大きいのだが、まずは巻頭に置かれた詩「烏瞰図 詩第一号」を読んで、一遍でこの作家が好きになってしまった。表題作は、女に養われる男のデカダンスな日常が、酩酊感のある文体で綴られる。散文詩「失楽園」は美しい石の詰め合わせのようだし、初めて訪れた東京を生き生きとこき下ろす「東京」も良い......が、その後すぐに作者が死を遂げることを思うと、辛い。

 アレクサンダル・ヘモン『ブルーノの問題』(柴田元幸・秋草俊一郎訳/書肆侃侃房)は、二〇〇〇年に刊行されたヘモンの第一短編集。ボスニア生まれの作者は、アメリカ滞在中にサラエヴォ包囲が起こったため故国へ帰れなくなった。本書に収められているのは、彼が母語ではない英語で書いた最初期の作品だが、そうした経緯を全く感じさせないほど小説として完成されている。

 少年時代の思い出を断章で綴る「島」は、簡潔な言葉の連なりのなかに驚くほど濃密な世界が広がっている。略伝風の記述が乾いた笑いを呼ぶ「アルフォンス・カウダースの生涯と作品」、戯画化された自画像がむしろ哀しい「ブラインド・ヨゼフ・プロネク&死せる魂たち」、大きな歴史と個人史が交錯する一瞬を切り取った掌編「アコーディオン」など。

(本の雑誌 2024年2月号)

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●書評担当者● 石川美南

外国文学好きの歌人。歌集に『砂の降る教室』『架空線』『体内飛行』などがある。趣味は「しなかった話」の蒐集。好きな鉄道会社は京成電鉄。きのこ・灯台・螺旋階段を見に行くのも好き。

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