いみじき春の奇人変人まつり!

文=石川美南

  • 穴持たずども (ロシア語文学のミノタウロスたち)
  • 『穴持たずども (ロシア語文学のミノタウロスたち)』
    ユーリー・マムレーエフ,松下 隆志
    白水社
    4,180円(税込)
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  • 恐るべき緑 (エクス・リブリス)
  • 『恐るべき緑 (エクス・リブリス)』
    ベンハミン・ラバトゥッツ,松本 健二
    白水社
    2,750円(税込)
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  • 父の革命日誌
  • 『父の革命日誌』
    チョン・ジア,橋本 智保
    河出書房新社
    2,310円(税込)
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  • ロ・ギワンに会った (韓国文学セレクション)
  • 『ロ・ギワンに会った (韓国文学セレクション)』
    チョ・ヘジン,浅田 絵美
    新泉社
    2,200円(税込)
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  • この村にとどまる (新潮クレスト・ブックス)
  • 『この村にとどまる (新潮クレスト・ブックス)』
    マルコ・バルツァーノ,関口 英子
    新潮社
    2,365円(税込)
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 やばいと噂には聞いていたが、本当にやばかった。ユーリー・マムレーエフ『穴持たずども』(松下隆志訳/白水社)。

 冒頭、一九六〇年代のモスクワ郊外の描写、主人公の容姿の描写を漫然と目で追っていたら、わずか三ページ後、そいつがすれ違った若者を突然刺し殺した(しかも彼は、サンドイッチを食べながら死体に向かって人生を語り始める!)。その後も、異常な兄をハートウォーミングな眼差しで迎え入れる妹、自分の体に出る吹き出物を食べて生きる少年など、奇人変人が出るわ出るわ。いわゆる天然の奇人たちに加えて、あえて常識の限界を突破しようとする「形而上派」なる面々も集結し、生と死の仮装行列が繰り広げられる。人間、常識から遥かに逸脱したものを目にすると訳もなく笑ってしまうことがあるが、本書をめくっている間は、自分でもよくわからない笑いが何度もこみあげてきて参った。第二部では登場人物たちの行動原理が、さもよくある心理であるかのように解説されるが、読者がそれに共感するのは極めて難しい。

 作者マムレーエフはモスクワ出身。若くして執筆を開始し、アンダーグラウンドで文化活動を展開したが、七〇年代から亡命生活に入った。この異形の物語は、そうした背景と密接に関係しているようだ。しかし、まずは何も考えず、混沌の中へ飛び込んでみてほしい。感動や共感だけではない文学の面白さが、ここにはある。

 さて、こちらも......いや、『穴持たずども』と並べるのはあれかもしれないが、ベンハミン・ラバトゥッツ『恐るべき緑』(松本健二訳/白水社)の奇人変人オンパレードぶりも、なかなかのものだ。
 第二次世界大戦末期、ナチの高官たちが自殺の際こぞって使用したシアン化合物の緑色。毒ガス兵器がもたらした巨大な雲の緑色。そして、その毒ガス兵器を考案したフリッツ・ハーバーは、空気中から窒素を抽出する方法によって世界に豊かな緑をもたらした人物でもあった。歴史を彩ってきた「恐るべき緑」のエピソードを濃密に連ねた一章、人類史上初めてブラックホールの存在に気づいた天文学者カール・シュヴァルツシルトの人生を描く二章......。一風変わった科学者たちの個人史と、世界を揺るがした科学史・戦争史が、ダイナミックかつシニカルに結びつけられていく。

 ただし、本書の記述を全て鵜吞みにしてはいけない。作者自身が明言する通り、一章はほぼノンフィクションだが、章が進むにつれて徐々にフィクションの要素が大きくなってくる(数学者・望月新一氏のエピソードに至っては、ほとんど全てがフィクション!)。もしかしたらこれは、ともすれば詩や哲学の領域に接近しがちな現代科学に対する、文学側からの意地悪な仕返しなのかもしれない。

 またしてもがらっと雰囲気が変わるが、チョン・ジア『父の革命日誌』(橋本智保訳/河出書房新社)にも、キャラの濃い人々が入れ替わり立ち替わり登場する。

 かつてパルチザンとして闘争していた父が、電信柱に頭をぶつけて死んだ。喪主を務めることになった娘は、次々と訪れる弔問客の応対をするうち、これまで知ろうしてこなかった父の一面を目の当たりにすることになる。あまりにも生真面目な両親のふるまいを、たくまざるユーモアと受け取る娘の眼差しが、おかしくも哀しい。一方で、それをユーモアと解することでしか乗り越えてこられなかった「パルチザンの娘」としての苦難も、察するに余りある。秘められた事実が明らかになって父の印象ががらっと変わる......なんてことは、起きない。それでも、父娘のささやかな記憶が意外な形で結びつけられた瞬間、娘と一緒に私も泣いた。

『父の革命日誌』は身近な人の知らない顔を見つける話だが、チョ・ヘジン『ロ・ギワンに会った』(浅田絵美訳/新泉社)は、見ず知らずの人の足跡を辿る物語である。

 テレビの放送作家である「わたし」は、週刊誌で偶然見つけたある記事に心を動かされる。記事では「イニシャルL」とのみ記されていたその若き脱北者は、不法入国したベルギーを身一つでさまよっていた。韓国からブリュッセルへ飛び、L──ロ・ギワンの道のりを追体験するように街を歩く「わたし」。彼女もまた、心に大きな後悔を抱え、行く先を見失っていた。

 当欄を担当して一年五か月になるが、チョ・ヘジンの作品を紹介するのは三回目。彼女の小説は、社会の中で虐げられた人に寄り添いつつ、「私にこの物語を語る資格はあるのか」と自問し続けるところがあって、その誠実さにいつも感動する。

 北イタリアのチロル地方に、かつてクロン村という小さな村があった。現在はダム湖に沈み、教会の鐘楼が見えるのみのこの村が、マルコ・バルツァーノ『この村にとどまる』(関口英子訳/新潮社)の舞台だ。

 本書は、クロン村に生まれ育ったトリーナが、生き別れの娘に向けて綴った手紙の形をとっている。イタリアに属しながらドイツ語圏であるクロン村は、ムッソリーニによるイタリア語強制策、ナチスによる移住計画によって相次いで引き裂かれる。過酷な戦争をどうにか凌ぎ、村に平穏が訪れたのも束の間、今度はダム計画が容赦なく実行に移されることになる。イタリア語・ドイツ語の間に生きるトリーナは、言葉が引き起こす波紋をよく知っている。どんなに言葉を尽くしても、それが役に立たない局面があるということも。だからこそ、湖面のように静かな彼女の語り口は、読む者の心を打つ。人生はとどまれない宿命にあるものだが、「とどまる」と心を決めることで初めて見えてくる風景もある。美しく、力強い作品だ。

(本の雑誌 2024年5月号)

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●書評担当者● 石川美南

外国文学好きの歌人。歌集に『砂の降る教室』『架空線』『体内飛行』などがある。趣味は「しなかった話」の蒐集。好きな鉄道会社は京成電鉄。きのこ・灯台・螺旋階段を見に行くのも好き。

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