共感を超えてつながり合う痛みの国のアリスたち

文=石川美南

  • アリス、アリスと呼べば (となりの国のものがたり)
  • 『アリス、アリスと呼べば (となりの国のものがたり)』
    ウ・ダヨン,ユン・ジヨン
    亜紀書房
    2,310円(税込)
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  • 死んでから俺にはいろんなことがあった
  • 『死んでから俺にはいろんなことがあった』
    リカルド・アドルフォ,木下眞穂
    書肆侃侃房
    2,310円(税込)
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  • 出会いはいつも八月
  • 『出会いはいつも八月』
    ガブリエル・ガルシア=マルケス,旦 敬介
    新潮社
    2,420円(税込)
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  • 通り過ぎゆく者
  • 『通り過ぎゆく者』
    コーマック・マッカーシー,黒原 敏行
    早川書房
    4,180円(税込)
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  • ステラ・マリス
  • 『ステラ・マリス』
    コーマック・マッカーシー,黒原 敏行
    早川書房
    3,080円(税込)
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 思えばこの春、少し疲れていた。SNSの拡散の異様な早さ、共感に見せかけた自説の押し付け合い、インプレッション数を稼ぐための空虚なコメント......直接触れることのできない「コミュニケーション」の波に、危うく足を掬われかけていたのだ。

 ウ・ダヨン『アリス、アリスと呼べば』(ユン・ジヨン訳/亜紀書房)に、SNSは出てこない。現実社会に巣くうヘイトを直接的に描いている訳でもない。しかし、この不思議でチャーミングな短編集は紛れもなく現代を映し出しているし、上っ面の共感を跳ね返す力強い人間味を備えている。

 巻頭の「あなたのいた風景の神と眠らぬ巨人」には、驚くほど人の心を理解する能力を持ちながら、人に共感することのない少女ウンリョンが登場する。「わたし」は、そんなウンリョンを「人間的じゃない」と考えるが......。ウンリョンが選び取った人生は意外だが、人間にとって善とは何なのか、深く考えさせられる。「チャンモ」では、おおよそ共感できない危険な少年チャンモと友情を結ぶ少女の目を通し、人と人とのつながりの不思議を描き出す。夢の中でいくつもの異なる時間を生きる表題作、年子の姉妹アラとアソンの螺旋状にすれ違い続ける人生を描く「海辺の迷路」など、理知的でコントロールの効いた文体でありながら、いつの間にか現実と夢を行き来しているような幻惑的な物語も魅力的だ。

 よく見る悪夢に「どうしても目的地に辿り着けない」というパターンがある。発車した直後に間違った電車に乗ってしまったことに気づく、慌てて次の駅で乗り換えると、また違う方向に走り始める......。リカルド・アドルフォ『死んでから俺にはいろんなことがあった』(木下眞穂訳/書肆侃侃房)は、そんな悪夢の焦燥感を嫌というほど味わえる小説だ。語り手の「俺」は妻と「ちび」と三人で帰宅する途中、地下鉄の故障により街に放り出される。しかも彼は、とある事情で故郷のくにを出て「島」に不法滞在中。警察に身元を正されれば強制送還という状況の下、全く言葉の通じない街を夜通しさまよい歩くことになる。「島」で働き口を見つけたのは妻だけ。「俺」は、だらだらしながら携帯電話を見つめて仕事が舞い込むのを待つばかり。ぶつくさ文句ばかり言い、自ら作った思考の迷路に迷い込んだ挙句どつぼにはまっていく彼は心底面倒くさい男だが、不思議と愛嬌があって憎めない。

 作者はポルトガル植民地時代のアンゴラ生まれ(現在は日本在住)。寓話的な筋運びのなかにリアルな移民の体感が盛り込まれているのは、周囲で見聞きしてきた移民たちの苦難の物語が色濃く反映されているからなのだろう。

『百年の孤独』の文庫化が話題沸騰中だが、『出会いはいつも八月』(旦敬介訳/新潮社)にもびっくりした。ガブリエル・ガルシア=マルケス最後の小説が、未刊のまま残っていたというのだから。ガルシア=マルケスは晩年、記憶障害により執筆がままならなくなり、この作品も残念ながら未完成。しかし、ぶちっと途切れている訳ではなく、きちんとラストシーンも用意されているので、そこはご心配なく。終盤だいぶ駆け足ではあるけれども、最後のパラグラフに辿り着いたときは、ガルシア=マルケスの新しい作品を読んだという確かな手応えを感じることができた。

 主人公は四十代のアナ・マグダレーナ・バッハ。彼女は八月のある日、母を埋葬した美しい島を一人で訪れ、そこで会った見ず知らずの男と一夜限りの関係を持つ。次の年も、また次の年も──。作者には珍しく中年女性を主人公に据え、さらには彼女と娘のジェネレーションギャップも盛り込んでいるのが新鮮で面白い。巻末に付いている四ページ分のオリジナル原稿と編者付記も必読だ。

『通り過ぎゆく者』(黒原敏行訳/早川書房)と『ステラ・マリス』(黒原敏行訳/早川書房)は、コーマック・マッカーシーが最後に遺した奇怪な二部作。

 まず『通り過ぎゆく者』では、サルベージダイバーであるボビー・ウェスタンのパートと、若くして自殺した妹アリシアのパートが交互に繰り返される。ボビーは海底に沈む飛行機の調査をした後で誰かに追われていることに気づき、逃亡生活を始める。旅の過程で出会う様々な人との対話から、ボビーの来歴が少しずつ見えてくる。兄妹の亡き父親は、かのマンハッタン計画で原爆開発に関わっていた......と、あらすじだけ抜き出すとまるでサスペンス小説のようだが、謎めいた飛行機事故は、大きな欠落と不安を抱えたボビーの心の喩なのかもしれない。一方のアリシアパートでは、死を前にした彼女が、脳内に現れる異形の人物〈キッド〉と噛み合わない対話を繰り広げる。

『通り過ぎゆく者』の世界を裏側から照らす『ステラ・マリス』は、アリシアが精神科病院ステラ・マリスの中で精神科医と交わす会話のみで成り立っている。『通り過ぎゆく者』はアリシアの死の場面から始まるが、『ステラ・マリス』の時間軸ではボビーの方が事故で意識不明の時期にあり、灯台の明滅のように対を成している。二作には核、ベトナム戦争、兄と妹の近親相姦的な関係などこれまで作者の小説に出てきた様々な要素が詰め込まれているが、『ザ・ロード』などに見られた神話的な趣とは異なり、徹底的に個人の精神に分け入っていくような筆致が重い。特に『ステラ・マリス』は、複雑な精神構造を持ったアリシアと文字通り至近距離で向き合い続けるような読書体験なので、心身が疲れているときに読むとちょっとしんどいかも(しんどかった)。膨大な物理・数学の知識、生の否定。神なき時代の冷徹な語りを、心して味わってほしい。

(本の雑誌 2024年6月号)

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●書評担当者● 石川美南

外国文学好きの歌人。歌集に『砂の降る教室』『架空線』『体内飛行』などがある。趣味は「しなかった話」の蒐集。好きな鉄道会社は京成電鉄。きのこ・灯台・螺旋階段を見に行くのも好き。

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