シャッター音が聞こえ、物語はつづく
文=石川美南
一枚の写真を前に、祖母がやさしく問いかける。
「これは、だあれ?」
「わたしよ!」と叫ぶ少女。しかし「わたし」とは一体誰なのか。そして、写真に写るもう一人の人物──母は、どうしてここにいないのか。
シルヴィー・ジェルマン『小さくも重要ないくつもの場面』(岩坂悦子訳/白水社)は、喪失を抱える少女リリが自分のアイデンティティを模索しながら成長していく過程をリリカルに綴った長編だ。父の再婚後、リリには四人の兄姉ができるが、そのうち一人を突然の悲劇が襲い、残された家族はそれぞれの欠落感と向き合っていくことになる。そして、美しい継母ヴィヴィアンは、ある秘密を胸に秘めていた。
四十九の断章で綴られる物語は、見知らぬ誰かのアルバムを一枚ずつめくっていくような静かさで進んでいくが、小さな家族の歴史の中に、個々の悲しみやとまどい、さらには社会の歪さや歴史の悲劇が見え隠れしていて、胸がちりちりと痛む。そして訪れる最終章の意外な転調が、とてもいい。
アニー・エルノー『若い男/もうひとりの娘』(堀茂樹訳/早川書房)収録の「もうひとりの娘」も、一枚の写真から始まる物語だ。家族のアルバムに貼られた楕円の写真。そこに写る赤ちゃんを、幼い頃の「私」は自分だと思い込んでいたが、実はそれは「あなた」─幼くして亡くなった姉の姿だった。『小さくも重要ないくつもの場面』のリリは、大人になっても長いこと自分の居場所を見つけられないままだったのに対して、本作の「私」は、会ったことのない姉に向けて長い手紙を書き綴り、彼女の不在を何度も確かめることで、自分の生をも見つめ直していく。ノーベル賞作者アニー・エルノーの作家としての強烈な自我を感じて、圧倒された。
さて、次もやはり写真にまつわる話だが、こちらは被写体側ではなく、撮る側の物語である。朱和之『南光』(中村加代子訳/春秋社)の主人公は、実在した台湾の写真家・鄧南光。作者は、南光が実際に撮影した写真から自由に想像を広げ、南光という人物と、彼が生きた時代を活写してみせた。まず言いたいのは、カメラの描写のすばらしさ。ライカのファインダーとレンズのわずかなずれ、シャッターを切る千分の一秒の長さ、暗室に充満する酢酸のツンとする匂い......。写真という技術の複雑さと面白さが、鮮やかに伝わってくる。また、南光自身はもちろん、写真家仲間たちの人となりや写真観が生き生きと描写されるのも魅力だ。
南光は一九〇八年、日本統治下の台湾に生まれ、日本の法政大学でカメラ部に所属。ライカを手に東京のスナップ写真を撮って回った。台湾に戻った後はカメラ店を営みながら台北や故郷の北埔を撮影するが、時代の荒波が台湾を幾重にも取り囲み始める。日本と台湾の関係性、空襲で灰燼と化した台北、戦後に起きた本省人と外省人の対立、政府が市民を武力で制圧した二二八事件。多くの出来事と多くの人生を横切るように、ライカがカシャッと小さな音を立てる。本書は先ごろスタートした春秋社の「アジア文芸ライブラリー」の一冊。このシリーズはずっと追いかけたい。
マリー・ルイーゼ・カシュニッツ『ある晴れたⅩデイに カシュニッツ短編傑作選』(酒寄進一編訳/東京創元社)は、『その昔、N市では』に続くカシュニッツの短編傑作選第二弾。リアリズムと幻想の合間をゆく、ほの暗い十五作品が並ぶ。身体の痛みを感じないことに気づいた女性の恐怖を日記形式で綴った「火中の足」、行方不明の少年を探すことにのめり込んでいく女性の狂気「幸せでいっぱい」など、女性視点の話は、身体と心の不安が結びついて奇妙な展開を見せる傾向にある。一方、故人の自画像に恋してしまう男を描いた「いつかあるとき」など、男性視点の作品にはシニカルなユーモアが漂う。個人的なお気に入りは、戦争の後、アメリカに移住することに決めた男の旅路を寓話的に描いた「結婚式の客」。乾いた文体がかえって戦争の傷跡を感じさせて印象的だった。
最後にご紹介するのは、今月一番の話題作にして問題作、マーティン・エイミス『関心領域』(北田絵里子訳/早川書房)。映画版も大変話題になっているが(すみません、どうしても時間が合わず未鑑賞です)、予告編や本書の解説を読む限り、映画化にあたってかなり大胆なアレンジがなされている模様。既に映画を観た方も、ぜひ原作を手に取ってほしい。
第二次世界大戦中のドイツを舞台にした本書には、三人の語り手がいる。一人目は、女たらしのドイツ人連絡将校トムゼン。二人目は、強制収容所の司令官パウル・ドル。そして三人目は、強制収容所で特別労務班長として「仕事」に従事するユダヤ人、シュムル。トムゼンがドルの妻ハンナに恋をするところから始まる物語は、ドル、シュムルと視点が切り替わるにつれて、強制収容所の奥深くまで潜り込んでいく。
淡々と大量殺戮の指揮を執りながら狂気に陥ってゆくドルの語りがグロテスク。小説には、トムゼンとハンナが渡る危ない橋、ハンナの元恋人が辿った運命、シュムルの妻の行方など、サスペンス的な要素がちりばめられているが、そうした謎は、あまりにも凄惨な現実から目を逸らしたい読者の心に仕掛けられた罠のようにも見える。また、視点が次々切り替わる形式は語りを重層的にする一方で、作品の客観性を保つ働きをしており、ともすると読者を安全圏に押し返してしまう。読んでいてその辺りにざわざわするものを感じたのだが、その居心地の悪さこそが、本書の一番の特長なのかもしれない。
(本の雑誌 2024年8月号)
- ●書評担当者● 石川美南
外国文学好きの歌人。歌集に『砂の降る教室』『架空線』『体内飛行』などがある。趣味は「しなかった話」の蒐集。好きな鉄道会社は京成電鉄。きのこ・灯台・螺旋階段を見に行くのも好き。
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