『精霊を統べる者』のスチームパンクなカイロに浸る!
文=大森望
今月の目玉は、P・ジェリ・クラークの第一長編『精霊を統べる者』(鍛治靖子訳/創元海外SF叢書)★★★½。一昨年のネビュラ賞長編部門など4冠を獲得した改変歴史スチームパンクの話題作だ。
舞台は1912年のカイロ。伝説の魔術師アル=ジャーヒズがこの世にジン(精霊)を呼び戻して40年。エジプトは科学と魔法の融合により欧米をしのぐ大発展を遂げている。三つ揃いのスーツに身を包む主人公ファトマは、エジプト錬金術・魔術・超自然的存在省の若き辣腕捜査官にして同省初の女性エージェント。相棒の新米捜査官ハディア、獰猛にして妖艶な神出鬼没の恋人シティ(どちらも女性)とともに世界を揺るがす事件を追う。敵はアル=ジャーヒズに成り済まして暗躍する黄金仮面の怪人。2段組400ページ超の長さの割に話は単純だが、ジンや天使や屍食鬼が人間社会に同居し、蒸気駆動宦官や機械頭脳、魔術的テクノロジーが活用されるエキゾチックなカイロの描写が魅力。前日譚にあたる中短編の邦訳が待たれる。
芦沢央『魂婚心中』(早川書房)★★★½は、SFマガジンなどに発表した全6編を収めるSFミステリ集。表題作は、死後結婚向けマッチングアプリKonKonが大流行し、推しのアカウントをフォローするファンが激増──という設定のもと、女性アイドルにガチ恋する"私"の最終的な選択を描く。「まずは蟻を殺していただきます」というどこかで見たような台詞で始まる「閻魔帳SEO」は、8階層に分かれた死後の世界(天国と地獄)の実在が証明されて26年後の話。死後の行き先は閻魔帳で決まるが、その評価を操作できると謳うブラック企業に勤める主人公は、今日も悪辣な先輩社員とともに顧客を説得する。他に、近未来の架空ゲームRTA大会の実況という体裁の「ゲーマーのGlitch」や、『新しい世界を生きるための14のSF』に再録された「九月某日の誓い」など。特殊設定ミステリとしては「この世界には間違いが七つある」に感服。
ジョスリン・ニコール・ジョンソン『モンティチェロ 終末の町で』(石川由美子訳/集英社)★★★は中短編6本を収めるデビュー作品集。全体の4分の3を占める表題作はBLM色の強い終末もの。社会秩序が崩壊した米国(バージニア州シャーロッツビル)で、暴徒から逃げ延びた主人公たち(トマス・ジェファソンと黒人奴隷サリー・ヘミングスとの間に生まれた子供たちの子孫)は、かつてジェファソンの私邸だったモンティチェロ(世界遺産に指定された観光名所)にたどりつく。巻頭の短編「コントロール・ニグロ」は、バージニア大学で歴史学を教える黒人の大学教員が自分の息子の成長を(同年代の白人と比べた)対照実験のサンプルとして観察しつづけるという(SFじゃないけど)テッド・チャン的な短編。現代アメリカにおける人種問題の切実さが実感できる。
没後1年半を経て刊行された津原泰水『羅刹国通信』(東京創元社)★★★½は、00〜01年に〈週刊小説〉に分載された幻の初期長編。かつて実の叔父の自殺を幇助した過去がある高校1年生の理恵は、灼熱の沙漠をさまよう奇怪な夢に悩まされるうち、現実世界にも"鬼"がいることに気づく。人を殺した者の額には角が生えて見えるらしい......。ニューロティックな幻想小説とも、阪神淡路大震災の爪痕を描く災害文学とも、戦争小説とも読める。本書の結末が著者の意図したものだったかどうかはともかく、いま読む価値は十二分にある。
木村浪漫『イエロー・ジャケット/アイスクリーム』(早川書房)★★½は、15年に冲方塾小説大賞、19年に第2回冲方塾塩澤賞を受賞した著者(84年生まれ)のデビュー長編。時は2096年。実の家族から成るNYの犯罪シンジケート"アサヒナ・ファミリー"の末弟・朝比奈伊右衛郎(=ぼく)は、巨大複合企業CEO羽生氷蜜の奸計にハマり、千代田区神田にある羽生芸夢学園に強制入学させられる。更生プログラムとして電装化体験型遊戯ジャケット・プレイの訓練を受ける伊右衛郎の前に、ファミリーを率いる父レインボウが現れる。ルビと体言止めが乱舞するサイバーパンク調のスタイルが郷愁を誘う学園ライトノベル。なにもかも、みな懐かしい......。
万城目学『六月のぶりぶりぎっちょう』(文藝春秋)★★½は、直木賞を受賞した『八月の御所グラウンド』の姉妹編。同書と同じく、京都を舞台にした2作を収める。「三月の局騒ぎ」は、2001年に大学に入って魔窟のようなオンボロ学生寮・北白川女子寮マンションで暮らしはじめた"私"が謎の先輩"キヨ"と出会う話(前巻の「十二月の都大路上下ル」につながる)。
全体の4分の3を占める表題作は、観光で京都を訪れた私立女子校の女性教師が奇妙な出来事に巻き込まれるワンナイト・ファンタジー。ジャンル的には、本能寺の変を密室殺人劇として再現する特殊設定ミステリか。映画「本能寺ホテル」の幻の脚本(詳細はググってください)のネタを生かしたのか根本的に改変したのかは不明だが、小説としては、歴史ミステリとしても時間ものとしてもコメディとしても中途半端な印象で、ちょっともったいない。
最後にノンフィクションを1冊。先月紹介し損ねた佐々木真理『アーシュラ・K・ルグィン 新たなる帰還』(三修社)は、諏訪部浩一監修の《アメリカ文学との邂逅》叢書から出たルグィン研究書。『オルシニア国物語』収録作、ロカノン三部作から『ラウィーニア』まで、SF/ファンタジーとの関わりを軸に、巨匠の足跡を丹念にたどる。ルグィンがたどり着いた"故郷"を「失われた楽園」に見出す結末が美しい。
(本の雑誌 2024年8月号)
- ●書評担当者● 大森望
書評家、翻訳家。責任編集の『NOVA』全10巻と、共編の『年刊日本SF傑作選』で、第34回と第40回の日本SF大賞特別賞受賞。著書に『21世紀SF1000』『同 PART2』『新編 SF訳講座』『50代からのアイドル入門』など。訳書に劉慈欣『三体』(共訳)、テッド・チャン『息吹』など。ゲンロン大森望SF創作講座」主任講師。
http://twitter.com/nzm- 大森望 記事一覧 »