衝撃の〈少女〉小説で世界の深淵を覗き込む

文=石川美南

  • ガチョウの本
  • 『ガチョウの本』
    イーユン・リー,篠森 ゆりこ
    河出書房新社
    2,970円(税込)
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  • ナイルの聖母
  • 『ナイルの聖母』
    Scholastique Mukasonga,大西 愛子
    講談社
    2,420円(税込)
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  • わたしたちが起こした嵐 (アジア文芸ライブラリー)
  • 『わたしたちが起こした嵐 (アジア文芸ライブラリー)』
    ヴァネッサ・チャン,品川 亮
    春秋社
    2,970円(税込)
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  • 夜、すべての血は黒い
  • 『夜、すべての血は黒い』
    ダヴィド・ディオップ,加藤 かおり
    早川書房
    2,640円(税込)
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  • スイマーズ (新潮クレスト・ブックス)
  • 『スイマーズ (新潮クレスト・ブックス)』
    ジュリー・オオツカ,小竹 由美子
    新潮社
    2,035円(税込)
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  • わたしたちの担うもの
  • 『わたしたちの担うもの』
    アマンダ・ゴーマン,鴻巣 友季子
    文藝春秋
    3,245円(税込)
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  • パレスチナ詩集 (ちくま文庫 た-103-1)
  • 『パレスチナ詩集 (ちくま文庫 た-103-1)』
    マフムード・ダルウィーシュ,四方田 犬彦
    筑摩書房
    1,540円(税込)
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 今月は〈少女〉小説が豊作!と言っても、いわゆる「少女小説」のイメージとはかけ離れた、劇物揃いである。

 イーユン・リー『ガチョウの本』(篠森ゆりこ訳/河出書房新社)の主人公は、フランスの農村に暮らす十三歳のアニエスと、その親友ファビエンヌ。二人はある日、新しいゲームを思いつく。ファビエンヌが考えた物語をアニエスが書き取り、アニエスの名前で出版するのだ。この企てはうまく運ぶが、二人の生活と関係を大きく変えてしまうことになる。

 決して派手な小説ではない。むしろ、劇的な展開をあえて回避するような頑固さに、本書の美質はある。強烈な個性を放つファビエンヌも魅力的だが、語り手アニエスの複雑な人物造形がすばらしい。静謐で自在な、イーユン・リーの新境地だ。

 スコラスティック・ムカソンガ『ナイルの聖母』(大西愛子訳/講談社)の舞台は標高二五〇〇メートル近く、ナイル川源泉のそばに建つ寄宿制の女子校「ナイルの聖母学園」。この学園には大臣や軍人、裕福な家庭の令嬢たちが集められ、西洋式の教育を受けている。政治的な振る舞いを身に付けて学友を排斥しようとする娘、婚約中の大使を堂々と連れ込む娘、出自に悩み、太鼓持ちのように振る舞うしかない娘など、少女たちのパワーゲームが群像劇風に描かれ、序盤からいかにも学園モノらしいヒリヒリ感を味わえるのだが、一つ、重要なことがある。この学園のある国の名は、ルワンダ。しかも時代は、かのルワンダ虐殺が始まる直前なのだ。多感な少女たちのおしゃべりから、フツ族・ツチ族間の緊張や、白人社会との歪な関係性がじわじわと浮かび上がってきて、背筋が寒くなる。そして最終章に至って、学園は取り返しのつかない惨劇に呑み込まれていくのである。

 ヴァネッサ・チャン『わたしたちが起こした嵐』(品川亮訳/春秋社)も、大きな歴史の流れを低い目線で活写した作品だ。はじまりは一九四五年二月。日本占領下のマラヤで、十五歳のエイベルが姿を消した。物語は、エイベルとその姉妹、母親のセシリーの視点を行き来しながら進む。遡ること十年前、イギリス統治下だったマラヤで、セシリーはある日本人を通じてスパイ活動に身を投じていた。日本の占領後、軍の横暴を目の当たりにしてかつての行動を悔やむセシリー。一方、幼い次女ジャスミンは奇妙な日本人少女と出会い、密かに友情を育んでいくが......。

 セシリーの過去パートは、知的で危険なラブロマンスといった雰囲気。それだけに、現在パートで家族に容赦なく降りかかる運命の過酷さが辛い。史実と空想を混ぜ合わせながら作者が語りたかったのは、個人が口をつぐんでしまえば忘れられていくしかない、生身の痛みと悲しみなのだろう。

 さて、ダヴィド・ディオップ『夜、すべての血は黒い』(加藤かおり訳/早川書房)は、独特の語りが強烈な印象を残す衝撃作。第一次世界大戦中、セネガル歩兵のアルファは親友を戦場で失った後、敵地に乗り込んでは相手を一人殺し、手を切り落として持ち帰るようになる。リフレインを多用するアルファの語りは、ラップの源流を思わせる重厚なリズムで、読者を戦場の狂気に引きずり込んでいく。三章の最後に置かれた「夜、すべての血は黒い。」の切れ味に戦慄した。作者はセネガル系フランス人。本書はフランスの「高校生が選ぶゴンクール賞」やイギリスの国際ブッカー賞などを受賞し、高く評価されている。

 ジュリー・オオツカ『スイマーズ』(小竹由美子訳/新潮社)は、地下にある公営プールに集う人々の意識を「わたしたち」という一人称複数で語る章から始まる。多声的な語りのなかに、暑苦しいまでのプール愛が満ち満ちていて、楽しい。ところが、永遠に不変であるかに見えたプールに、あるとき小さな異変が見つかる。そして小説後半では、常連の一人だったアリスが、認知症の進行とともに記憶を失っていく過程が描かれる。スイマーたちの意識とアリスの記憶が暗喩のように響き合い、深い喪失感をもたらす不思議な作品である。

「わたしたち」つながりでもう一冊。アマンダ・ゴーマン『わたしたちの担うもの』(鴻巣友季子訳/文藝春秋)は、二〇二一年のバイデン大統領就任式で詩の朗読をした若き詩人の、第一作品集。就任式で披露された「わたしたちの登る丘」も巻末に収められているが、全体としては、新型コロナウイルスによるパンデミックを背景に、困難な社会をサバイブする「わたしたち」の生をポップかつスピーディな文体で綴った詩が多い。詩において「わたしたち」という一人称を用いるのはとても難しい。現代アメリカの詩人であれば、なおさらだと思う。しかし、アマンダ・ゴーマンは、言葉遊びや引用、レイアウト上の実験など様々な手法を試みながら、あえて「わたしたち」を歌う。その恐れ知らずの姿勢とエネルギッシュな言葉に、引き込まれた。

 マフムード・ダルウィーシュ『パレスチナ詩集』(四方田犬彦訳/ちくま文庫)は、二〇〇六年刊の『壁に描く』を改題して文庫化したもの。パレスチナに生まれ亡命を繰り返した大詩人の作品を、今の時代にこそ......と、書きかけて、それは違うと思い直す。ダルウィーシュの詩は、立場や時代の異なる人にも届く強靭さを持っている。正直私自身、その意味するところを十全には受け取れていないと思うのだが、まずは詩句一行一行を読み、その豊かさを味わいたい。

 けれどもわたしは歌の径を行く。たとえわたしの手持ちの薔薇が少なくなろうとも。
(「あそこに夜が」より)

(本の雑誌 2024年10月号)

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●書評担当者● 石川美南

外国文学好きの歌人。歌集に『砂の降る教室』『架空線』『体内飛行』などがある。趣味は「しなかった話」の蒐集。好きな鉄道会社は京成電鉄。きのこ・灯台・螺旋階段を見に行くのも好き。

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