ハリネズミが道路を渡る?中国東北部発の奇妙な成長譚
文=石川美南
鄭執『ハリネズミ・モンテカルロ食人記・森の中の林』(関根謙訳/アストラハウス)が面白い。書名は、収録された三作のタイトルを並べただけなのだが、この文字列のヘンテコさに惹かれて手に取った読者を後悔させない、チャーミングな作品集になっている。
「ハリネズミ」は、主人公「僕」の伯父・王戦団が交差点の真ん中に突っ立ち、一匹のハリネズミに道を渡らせているシーンから始まる。王戦団は文化大革命の頃精神を病み、軍隊生活からドロップアウトしていた──。文体は淡々としているが、王戦団が生きた過酷な時代の空気と、シャーマニズムの影響色濃い中国東北部・瀋陽の怪しい空気とが混ざり合い、マジカルかつ滋味に富んだ物語世界が広がっていく。「僕」の成長譚としても味わい深い。鄭執は一九八七年、瀋陽生まれ。インターネット上に公開したデビュー作が大きな評判を呼んだ後、二〇一八年に中国全土規模で開かれた匿名作家計画なるコンテストで見事一位を獲得し、人気を不動のものにした。「ハリネズミ」は、まさにそのコンテストで最優秀賞に輝いた短編である。
「モンテカルロ食人記」は、十九歳の「僕」が駆け落ち相手にすっぽかされた挙句、義理の叔父に朝食バイキングを奢らされる話。青年の抱える閉塞感は深刻ながら、飄々とした語りにはとぼけたユーモアも漂う。「森の中の林」は、幾度も語り手を変え、時間を行き来しながらある家族の歴史を描き出していく長編。魅力的なエピソードを追いかけるうち、いつの間にか物語がミステリの様相を帯びていることに気づいて驚いた。マジックリアリズム系が好きな人にも東野圭吾の暗めのミステリが好きな人にもオススメできる。
クオ・チャンシェン『ピアノを尋ねて』(倉本知明訳/新潮社)は、台湾発の静かなる怪作。音楽家の妻を亡くし、失意の底にある年老いた実業家と、音楽家の道を見失った中年調律師が、ピアノを通じて淡く交流していく。ラフマニノフのヴォカリーズに始まり、シューベルトのピアノソナタ十八番D八九四に終わる本書は、有名なピアニストや作曲家の人となりや、彼らが奏でた音楽を繊細に練り込みながら、多声的に展開する。老いて孤独を抱える男たちは、残りの人生をどう生きていけばいいのか。寂しくも明るい境地に至ってディミヌエンドで終わる小説だろうと予想していたのだが......そんなにシンプルにいかないのが、人間というものなのだった。
マーガレット・アトウッドの短編集『老いぼれを燃やせ』(鴻巣友季子訳/早川書房)も老いをテーマにしているが、読み心地は『ピアノを尋ねて』と全く異なる。自身も老境に入った作者が、あけすけに、かつ抜群のストーリーテリングで綴る物語は、シニカルな笑いに満ち満ちている。
冒頭の三篇は三部作。年老いたファンタジー作家コンスタンスの「クソったれ」な元カレにイライラしても、しばし耐えてほしい。三番目に置かれた「ダークレディ」で、思わず目頭が熱くなること間違いなしだから。「わたしは真っ赤な牙をむくズィーニアの夢を見た」は、かつて同じ女にパートナーを寝取られた三人の老女の個性が炸裂。「フリーズドライ花婿」には老人が登場しないが、主人公が家具に傷を付けて(いわば、老けさせて)偽ヴィンテージ品として売りさばいているという捻った設定。容赦ないユーモアにイヒヒヒと笑っていると、突然ガツンと横腹を殴られたりもするので、油断は禁物だ。
ドイツ語作家による作品を二冊。アグラヤ・ヴェテラニー『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか』(松永美穂訳/河出書房新社)は、ルーマニア生まれの作者による鮮烈な自伝的長編である。チャウシェスク政権下のルーマニアを脱し、世界中でサーカスに出演している一家。ピエロの父と曲芸師の母を持つ「わたし」は、母が曲芸中に事故死することを深く恐れながらも、サーカス暮らしを愛していたが──。不安定な暮らしや故国の悲惨な状況を、当たり前のことのように淡々と綴る「わたし」の無垢な語りが痛ましくも印象的だ。
エミネ・セヴギ・エヅダマ『母の舌』(細井直子訳/白水社)は、トルコ出身の作者による短編および戯曲集。表題作では、ベルリンに住むトルコ人女性が、失った母語について思いを巡らす。
いま、かあさんが母の舌で言った言葉思い出すのは、かあさんの声思い浮かべるときだけ、その言葉はわたしの耳に、まるでわたしがよく勉強した外国語みたい入ってきた。(「母の舌」)
あえて正しくないドイツ語で書かれたたどたどしい文体は訳文にも生かされている。助詞が抜けていても臆せず発せられるその声からは、移民としての誇りが感じられ、力強い。
最後にご紹介するのは、サマンタ・シュウェブリン『救出の距離』(宮﨑真紀訳/国書刊行会)。宮﨑訳による、〈スパニッシュ・ホラー文芸〉シリーズの一冊である。
冒頭、少年が「わたし」の耳元で「そいつら、のたくる虫みたいな感じなんだ」と話しかけてくるシーンから混乱する。そいつらって誰だ。というか、君は誰なんだ。タイトルの「救出の距離」とは、我が子に危険が迫ったときに駆け付けるための距離を指すらしい。この物語に子どもの心配をする母親の感情が書き込まれているのは確かだし、後半の展開から、グローバルな社会が個人の生を押しつぶしていく様子を読み取っても良いと思う。だが、まずは極力予備知識なしで、本書の奇妙に歪んだ語りに身を任せてみてほしい。今何を読んでいるのかわからないという強烈な不安感も、本書の魅力のうちなのだ。
(本の雑誌 2024年12月号)
- ●書評担当者● 石川美南
外国文学好きの歌人。歌集に『砂の降る教室』『架空線』『体内飛行』などがある。趣味は「しなかった話」の蒐集。好きな鉄道会社は京成電鉄。きのこ・灯台・螺旋階段を見に行くのも好き。
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