スーシェ『ポワロと私』の「シェラミ」に涙!

文=柿沼瑛子

  • ポワロと私: デビッド・スーシェ自伝
  • 『ポワロと私: デビッド・スーシェ自伝』
    デビッド・スーシェ,ジェフリー・ワンセル,小山 正,高尾 菜つこ
    原書房
    2,970円(税込)
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  • 殺しへのライン (創元推理文庫 Mホ 15-7)
  • 『殺しへのライン (創元推理文庫 Mホ 15-7)』
    アンソニー・ホロヴィッツ,山田 蘭
    東京創元社
    1,210円(税込)
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  • メイドの秘密とホテルの死体 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション プ 5-1)
  • 『メイドの秘密とホテルの死体 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション プ 5-1)』
    ニタ・プローズ,村山美雪,北住 ユキ
    二見書房
    1,430円(税込)
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  • どこまでも食いついて (創元推理文庫)
  • 『どこまでも食いついて (創元推理文庫)』
    ジャナ・デリオン,島村 浩子
    東京創元社
    1,210円(税込)
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 デビッド・スーシェ『ポワロと私』(高尾菜つこ訳/原書房)はこの原稿を書いている時点で重版になっているとのことで、ちょっと意外だった。ホームズならともかくクリスティ本人も「うんざり」と公言している、あんな小太りで、気難しい、ちょび髭おっさんのどこにそんな人気が? これはたぶんにTV版「名探偵ポワロ」のデビッド・スーシェの魅力によるところが大きいと思う。スーシェのポワロには原作にはない妙な愛らしさがある。この本を読んでいると(私の頭の中では自動的に熊倉一雄の声で再生される)、ジェレミー・ブレットの命を削るようなホームズとは対照的に、ポワロと最後まで幸福に寄り添った人生だったんだなあと思う(とはいえこちらもポワロになりきるための九十三箇条とか、かなり鬼気迫るものがあるが)。なんといっても一作一作をていねいに脚本から配役にいたるまで説明してくれているのが嬉しい。読んでいるほうもありありと映像が浮かんでくる。スーシェ版ポワロでは正義のためにカトリック教徒としての信仰を裏切らなければならない時に苦悩するポワロの姿がとても印象的だった。また引き裂かれた恋人たちにこっそり手を差しのべる「愛のお節介野郎」としてのおちゃめな側面もあった。そしてポワロといえばなんといってもあの「モナミ」なのだけど最終作「カーテン」でスーシェ=ポワロは「モナミ」よりもっと強い「シェラミ」という呼びかけをするんだよね。これは本の最後になってその意味がわかるのだが、ズバリ泣けるぞ。

 その「名探偵ポワロ」の脚本を書いていたアンソニー・ホロヴィッツの新作が『殺しへのライン』(山田蘭訳/創元推理文庫)。ふつうホームズ=ワトソン型のコンビといえば、だんだん関係性が深まっていくのだけど、こちらはむしろ逆というか、近づいたかなとおもったらまた(主に探偵が)離れていくといった具合で、このふたりの関係の危うさもこのシリーズのひとつのミソだと思う。そしてこの設定をいっそう魅力的なものにしてるのがワトソン役の「わたし」(作者ホロヴィッツ)の俗っぽさ(失礼!)加減である。時として読者ですらイラっとするほどの鈍ちゃんなんだけど、実はちゃんと「観察」はしているんだよね。それに探偵役のホーソーンも一方的につれない、というのではなくやっぱり「わたし」を必要としているのがわかる。それにしてもホロヴィッツは「嫌なやつ」を書くのが本当にうまい。別にマフィアだとかサイコパスだとかじゃなく、社会の「悪意」が凝縮した形でひとりの人物にあらわれているというか。今回の作品ではそれに対してもうひとつの見えない「悪意」が登場するが、このふたつの対比がとても見事だ。このあたりもとてもクリスティ的である。同じ作者のアティカス・ピュント・シリーズもそうだけど、この人の作品って結構しゃれや言葉遊びが手掛かりになっていることが多く、訳者さんは大変だろうなとつくづく思う。

 新人ニタ・プローズの『メイドの秘密とホテルの死体』(村山美雪訳/二見文庫)仕事に誇りをもつ若い女性が機転をきかせて大活躍するお仕事小説かと思いきや、意外にダーク。ていうかこのヒロインちょっとヤバくない? 無垢といえば聞こえはいいけれど、ああ、よけいなこといわなくてもいいのに。なんでそんなところで義理を守っちゃうのとか、読んでてハラハラしてくる。ヒロインのモーリーが職場のホテルのロビーに足を踏み入れて夢想(あるいは妄想)にふけるシーンや、天涯孤独で家賃も払えないほど困窮しているあたり、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でビョークが演じていたセルマを思い出す。そんなモーリーがVIPルームで大富豪の死体を発見するが、この性格が災いしてどんどん悪い方へ進んでいってしまう。うおお、これではセルマまっしぐらではないかと、思いきや、彼女をずっと見てくれていた「誰か」が救いの手を差しのべる。ここからの逆転劇はひたすら爽快。もうひとつの準主役ともいうべきなのが、今は亡きヒロインのおばあちゃん。ヒロインがピンチに陥ると、いつも必要としている言葉を与えてくれる。もうこれが凄くよくて、おばあちゃん箴言集をまとめて机の前に貼っておきたいくらいなのだ。

 ジャナ・デリオン『どこまでも食いついて』(島村浩子訳/創元推理文庫)ファンはもろ手をあげて喜ぶが、知らない人は全然知らないであろう通称ワニ町シリーズの第五弾! このシリーズは毎回表紙に作品のどの場面が登場するのか楽しみなのだが、なるほど今回はここで来ましたか。ここで簡単に紹介しておくと、腕っこきのCIA工作員であるヒロイン・フォーチュンは、敵側から懸賞金を懸けられる身となり、上司のはからいでアメリカ深南部の超保守的な湿地地帯の町に潜伏することになる。いっけんごく普通に見えるが、実は普通とはほど遠いシンフル・レディース・ソサエティの婆ちゃんズに引きずりまわされつつ、これまで天涯孤独だったフォーチュンが、初めての友情や恋を得て、だんだん人間らしくなっていくのがこのシリーズの読みどころである。最大の魅力は「ドタバタ、アクション、恋、犯罪、そして料理」のバランスが素晴らしいことで、どの要素もが、他を邪魔していない稀有なバランスの上に成り立っている。

 前回は保安官助手カーターといいところまでいったフォーチュンだったが、今回の冒頭ではなんとそのカーターが狙撃されて意識不明に。これまでミステリー要素が弱いといわれてきたが、今回は犯人の意外性という点でこのシリーズピカ一ではないかと思う。

(本の雑誌 2023年1月号)

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●書評担当者● 柿沼瑛子

翻訳家。翻訳学校教師。主訳書はアン・ライス、パトリシア・ハイスミスなど。最新訳書はアルジス・バドリス「誰?」ジプシー・ローズ・リー「Gストリング殺人事件」共編書に「耽美小説・ゲイ文学ガイドブック」「女探偵たちの履歴書」などあり。元山歩きインストラクター・靴屋の店員、ロス・マクドナルド&マーガレット・ミラー命。

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