「悪」と対決する若造主人公を応援する!

文=柿沼瑛子

  • 罪の壁 (新潮文庫 ク 43-1)
  • 『罪の壁 (新潮文庫 ク 43-1)』
    ウィンストン・グレアム,三角 和代
    新潮社
    880円(税込)
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  • 真珠湾の冬 (ハヤカワ・ミステリ)
  • 『真珠湾の冬 (ハヤカワ・ミステリ)』
    ジェイムズ・ケストレル,山中 朝晶
    早川書房
    2,200円(税込)
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  • グッゲンハイムの謎
  • 『グッゲンハイムの謎』
    ロビン・スティーヴンス,シヴォーン・ダウド,越前 敏弥
    東京創元社
    2,090円(税込)
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  • ミン・スーが犯した幾千もの罪 (集英社文庫)
  • 『ミン・スーが犯した幾千もの罪 (集英社文庫)』
    トム・リン,鈴木 美朋
    集英社
    1,210円(税込)
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 ウィンストン・グレアムの『罪の壁』(三角和代訳/新潮文庫)は一九五五年のCWA第一回最優秀長編賞作品である。主人公フィリップは考古学者の兄がアムステルダムで投身自殺したという連絡を受け、急遽アメリカから故郷のイギリスに舞い戻る。どことなくファーザー・コンプレックスの気もある主人公は、兄を死に追いやったと思われる謎の女性レオニーと、死の直前まで行動を共にしていたという同僚バッキンガムの行方を追い、アムステルダムへ飛ぶ。兄の残された手記を解読していくうちに、しだいに謎の男バッキンガムと兄の接点があぶりだされていく...とまあ、いかにもイギリス・ミステリらしい陰鬱な出だしなのだが、主人公が兄の恋人の行方を追って光あふれる南イタリアに飛ぶところからがらりと雰囲気が変わる。そこでフィリップを待ち受けていたのは、レオニーを庇護する有閑マダムと彼女を囲む人々がおりなすドルチェ・ヴィータを絵に描いたような世界だった。そこでフィリップは当然ながら(?)兄を死に追いやったレオニーに心惹かれてしまうのである。

 イギリス・ミステリの特徴はなんといっても「罪」よりも「悪」「モラル」に重きを置いていることにある。これはクリスティーの昔から変わらない。ここに登場するのは人を操り、相手をむしばんでいく「悪」である。三十歳にしてはいまいち子供っぽいところのある主人公は、さまざまな人々と出会い、亡くなった兄が何と戦っていたのかを知り、最後にその「悪」と対決することになる。決して明るい作品ではないのだが、救いは何かと迷走しがちな主人公が「いい大人」たちに囲まれていることだ。その最たるものが兄であったことが最後にわかるのだが、それは読んでのお楽しみということで。

 二〇二二年度MWA(エドガー賞)受賞作品であるジェイムズ・ケストレル『真珠湾の冬』(山中朝晶訳/ハヤカワ・ミステリ)は、先のウィンストン・グレアムとは実に六十年近くの隔たりがあるのだが、一番異なるのはそのスピード感だ。何しろ主人公の運命がめまぐるしく変わる。舞台は1941年太平洋戦争直前のホノルル真珠湾、元陸軍大尉の刑事マグレディは、白人男性と日本人女性の猟奇的な殺人事件の犯人を追って、太平洋の島々へ、さらには香港にわたり、そこで日本軍にとらわれ、終戦を日本で迎えることになる。太平洋戦争勃発の経緯を知っているわれわれとしては「ああ、何でそんな時にそこへ行くかな」と歯噛みしながら読むはめになる。まさに「あの時こうなっていれば」「あの時こうなっていなければ」の連続だ。のっけからかなり陰惨な殺人現場が登場するが、そこでリタイアするのはもったいない。なぜ、そういう殺され方をされなければならなかったかという理由が最後にはちゃんとわかるのだ。主人公の過去に対するケリのつけ方にもうなずける。ウィンストン・グレアムと比べると、ある意味ここでは「悪」がはっきりしている。そこがアメリカ的といえるかもしれない。そして2作とも共通しているのは「ロマンス」で終わること、というとちょっと意外かな?

 シヴォーン・ダウドの新作『グッゲンハイムの謎』(越前敏弥訳/東京創元社)は、前作『ロンドン・アイの謎』刊行直後に亡くなったダウドの遺志をついで、YA作家のロビン・スティーヴンスが原案をもとに完成させた作品である。主人公テッドはママや姉のカットとともに、夏休みを利用してNYに渡り、グッゲンハイム美術館の主任学芸員をしているおばさんといとこのサリムに会いにいく。休館日に特別に入れてもらえることになったが、なんとそこで名画の盗難事件が起こり、おばさんに嫌疑がかかってしまう。「ほかの人とはちがう」主人公テッドを取り巻く環境がきれいごとすぎるという批判もあるが、両親やカットやサリムにとってはこれが「ふつう」であり、そのための葛藤やマイナス感情はあえて書かないのが人権活動家だったダウドの面目躍如たるところだろう。テッドにとっては今見えているもの、自分が経験するものがすべてなのだ。そんなテッドには申しわけないけれど、個人的にわたしの一番お気に入りはそういう「ふつうではない」弟を持つ、奔放でちょっと意地悪だけど傷つきやすいカット姉ちゃんなのだ。名画盗難事件もさることながら、もうひとつ軸となるのはテッドと姉カット、そしてサリムの関係だ。サリムとカットが恋仲(?)になったことでひとりだけのけ者にされたような疎外感を味わうテッドだが、ひとつひとつ順を追って自分がひとりではないことを納得し、ニューヨークという新しい世界を受け入れ始める姿はとてもすがすがしい。

 トム・リンの『ミン・スーが犯した幾千もの罪』(鈴木美朋訳/集英社文庫)は妻を奪われ、不当な罪を着せられて追放された中国系の殺し屋ミン・スーの復讐譚、と一言でくくってしまうには早すぎる。たしかに最初のうちはマカロニ・ウェスタンのようにどんどん人が殺されていくのだが、復讐の旅の途中で、「預言者」とフェリーニの世界に出てくるような奇術ショーの一行と出会ってからがらりと光景が一変する。砂漠の上に突然山田章博のイラストのごとき幻想世界が出現するといえばわかっていただけるだろうか。幻想と回想、そして現実のなかで繰り返される過酷な生と死、しまいには主人公でさえ本当に生きているのか、死んでいるのかわからなくなってくる。まさしくミン・スーは「境界を越えた者」なのだ。大陸横断鉄道の地図を追いながら、いつのまにかわたしたちは手に汗握り、罪も悪も正義も関係ない、ミン・スーの不思議な旅に参加しているのである。

(本の雑誌 2023年3月号)

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●書評担当者● 柿沼瑛子

翻訳家。翻訳学校教師。主訳書はアン・ライス、パトリシア・ハイスミスなど。最新訳書はアルジス・バドリス「誰?」ジプシー・ローズ・リー「Gストリング殺人事件」共編書に「耽美小説・ゲイ文学ガイドブック」「女探偵たちの履歴書」などあり。元山歩きインストラクター・靴屋の店員、ロス・マクドナルド&マーガレット・ミラー命。

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