増田俊也の動物パニック小説『猿と人間』がすごいぞ!

文=北上次郎

  • 首ざむらい 世にも快奇な江戸物語
  • 『首ざむらい 世にも快奇な江戸物語』
    由原 かのん
    文藝春秋
    1,980円(税込)
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 衝撃的なデビュー作『シャトゥーン ヒグマの森』から十五年、増田俊也がまた動物パニック小説の傑作を書いた。それが『猿と人間』(宝島社)だ。すごいぞ。

『シャトゥーン ヒグマの森』は、体重三五〇キロ、飢えて凶暴化した手負いの巨大ヒグマに襲われた人間たちの話だったが、どこまでも追いかけてくる巨大ヒグマのしつこさがとにかく際立っていた。倒れないのかよこいつ、と思わず言いたくなるような不死身の熊なのである。

 今回の猿は、ヒグマに比べれば遙かに小さい。ところが今度は集団で襲ってくる。その数、なんと八五〇頭。それが凶暴化して人間を襲うのである。立ち向かうのは、高校生と老婆と女子大生。大丈夫か君たち。

 ちなみに日本全国の日本猿を集めたら総数は三〇万頭。警察官及び自衛隊員がそれぞれ三〇万人で、その数に匹敵している。その数の猿が日本中を跋扈しているから農業被害も甚大である。鹿は三〇〇万頭、猪は一〇〇万頭。野生動物はどんどん増え続けている。そういう数字がどんどん挿入されて、物語の舞台を形成していく。

 いやはや、すごい迫力だ。

 藤野恵美『ギフテッド』(光文社)もいい。こちらは妙に胸に残る長編である。一見、中学受験小説のように思えるが、先月号で紹介された尾崎英子『きみの鐘が鳴る』(ポプラ社)がそちらの方向に一直線に向いた長編であるのに比べ、こちらはちょっと入り組んでいる。

 冒頭から謎の少年の独白が何度も挿入されていることに留意。この少年は誰なのか。それが明らかになるラストで温かなものがこみ上げてくる。

 おやっと思ったのが、吉森大祐『東京彰義伝』(講談社)。明治一五年、新政府は維新において功績のあった者たちに報告書を出すよう求めたが、山岡鉄舟に報告書を出す気配がない。鉄舟を師と仰ぐ香川善治郎にはそれが面白くない。このままでは、江戸開城の交渉事はすべて勝海舟がやったことにされ手柄も一人占めされてしまうからだ。あんな筆舌の徒が、といくら言っても鉄舟は、ひとりの力で江戸が救えたはずがない、多くの人の力があったのだと柳に風。というわけで、香川善治郎の聞き込みが始まっていく。

 最初に登場するのが、公現法親王能久殿下だ。上野寛永寺の貫主である。皇太子殿下が京の都を離れるのはまずいだろうと、位としてはその次の、一品親王が江戸にくだって寛永寺の貫主となり、江戸の町の鎮護の任を負うというきまりがある。初代から数えて一三代目が能久殿下だ。つまり本来の意味で江戸を守ったのはこの能久殿下ではないか、と言うわけである。その宮さまと下町娘が恋に落ちて──というふうに展開していくから、おお、先が読めない。

 今月は他にも、成田名璃子『世はすべて美しい織物』(新潮社)、桂望実『息をつめて』(光文社)、荒木源『PD 検察の犬たち』(小学館)などが印象に残ったが、詳しくは別の機会に譲りたい。少しだけ寄り道をすれば、荒木源『PD 検察の犬たち』の後半に、シンガポールのカジノが出てくる。新聞記者の福山がバカラに興じる場面だ。そこにこうある。

「トランプを使うので難しそうなイメージだったが、頭を使う要素はまったくないゲームだ。ディーラーが一人でバンカー対プレーヤーの勝負をやってみせ、客はどちらが勝つかに賭けるだけだからだ」

 このくだりで沢木耕太郎『波の音が消えるまで』を思い出してしまった。『PD 検察の犬たち』の福山は、「頭を使う要素はまったくないゲームだ」と言ったけれど、偶然に見える結果に必然を探すギャンブラーの、凄まじい勢いで回転する脳の戦いを活写したのが『波の音が消えるまで』だった。阿佐田哲也ファンには絶対のおすすめである。

 面白かったのが、由原かのん『首ざむらい』(文藝春秋)。第九九回のオール讀物新人賞を受賞した表題作を含む短編集だが、二〇一九年に発表された新人賞が三年後にようやく一冊になるとは、短編の賞は大変だ。

「世にも快奇な江戸物語」と副題がつけられ、帯には「新・癒し系時代奇譚」と惹句がついている。ようするに、恐怖系の怪異譚ではなく、ほっこりするような不思議譚だということだ。

 たとえば、河童が登場する「よもぎの心」に、次のようなかめの台詞が出てくる。ちなみに、かめは「三十八の大年増だというのに、未だに子どもじみた物の怪を信じている」。夫の咲兵衛とともに大名家に花作りとして奉公していて、その仕事は──と紹介していくと、どんどん寄り道しそうになるので、あとは我慢。そのかめがこう言うのだ。

「河童は、不幸な死に方をした子どもの生まれ変わりなんですって。だから、人の子に化けるのなんて、お茶の子さいさいですよ」

 そうなんだ。妙に印象に残る箇所である。

 今月のラストは、赤神諒『友よ』(PHP研究所)。長宗我部元親の嫡男として生まれた長宗我部信親の波瀾に満ちた短い生涯を描く戦国青春群像劇だ。

 歴史小説を読んでいるといつも思うのだが、大事な人はみな早死にし、ろくでもない連中ばかりが生き残っている。それでも世界は動いている──のではなく、だからこの世界は歪んでいる。そんな感慨をいつも抱くのだが、今回も例外ではない。

 シンプルな、それでいて力強いタイトルがいい。スペースの都合で内容をほとんど紹介できなかったが、このタイトルを信じて手に取られたい。

(本の雑誌 2023年2月号)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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