キャリア45年の女殺し屋爪角の生きざまを見よ!

文=柿沼瑛子

  • 破果
  • 『破果』
    ク・ビョンモ,小山内 園子
    岩波書店
    2,940円(税込)
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  • 忘れられた少女 上 (ハーパーBOOKS)
  • 『忘れられた少女 上 (ハーパーBOOKS)』
    カリン スローター,田辺 千幸
    ハーパーコリンズ・ジャパン
    980円(税込)
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  • 忘れられた少女 下 (ハーパーBOOKS)
  • 『忘れられた少女 下 (ハーパーBOOKS)』
    カリン スローター,田辺 千幸
    ハーパーコリンズ・ジャパン
    980円(税込)
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  • 軋み (小学館文庫 あ 7-1)
  • 『軋み (小学館文庫 あ 7-1)』
    エヴァ・ビョルク・アイイスドッティル,吉田 薫
    小学館
    1,166円(税込)
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  • だからダスティンは死んだ (創元推理文庫)
  • 『だからダスティンは死んだ (創元推理文庫)』
    ピーター・スワンソン,務台 夏子
    東京創元社
    1,210円(税込)
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 ク・ビョンモ『破果』(小山内園子訳/岩波書店)のヒロイン爪角は「ノワール×おばあちゃん?!」という帯の惹句のごとく、キャリア四十五年のベテラン殺し屋である。目立たない老婆であるという外見をいかし、必殺仕掛人のようにもくもくと人を殺していく姿は実に爽快だ。だが、ヒロインと年齢が近い者としては読んでいるのがひたすら「痛い」。人はある程度老いると自分に向けられる悪意や好意に妙に敏感になる(逆のタイプの人間もいるが)。それらをあえて押し殺そうとする時の鈍い痛みのほうが、実は老いによる肉体的苦痛よりもこたえるのだ。

 殺し屋である爪角にとってそれは「綻び」でもあるのだが、そこにつけいってくるのが、やたらとちょっかいを出しては邪魔をする同僚の若者トゥ。エリート殺し屋であるはずの彼は、なぜか彼女のような引退間近のロートルに「執着」する(その理由はいずれ明らかになる)。彼はしきりに彼女を行動や言葉でいたぶるが、その象徴ともいえるのが彼女の「爪」なのである。
 この表紙を見てほしい。真っ赤なネイルを施した手。その手は明らかに老いた女性のもので、筋張り、おまけに傷だらけだ。これこそが爪角の生きざまだ。ラストまで読んでいただくと、この表紙の意味があらためてわかるだろう。どことなく初期の髙村薫を思わせる息苦しさと熱気あふれる独特の文体の中に、時折間欠泉のように噴出する、果物の味覚の描写が、グレーの中でそこだけ極彩色に輝いているようなエロチシズムを感じさせる。まるで爪角の心の中にくすぶる熾火のように。彼女はこれからも殺し屋として「ただ、生きていく」のだ。

 時として肉体も精神もえぐり出すような暴力描写で読者を魅了(?)するカリン・スローターだが、今回の『忘れられた少女』(田辺千幸訳/ハーパーBOOKS)はこれまでよりちょっと風通しがいいような気がする。ヒロイン、アンドレアは母親の反対を押し切り、陸軍士官学校なみのスパルタ教習を経て、保安官補となる。彼女の最初の任務は殺害を予告する脅迫状を受け取った女性判事の警護だった。

 この判事というのがまるでルース・ベイダー・ギンズバーグを思わせる「鉄の女」なのだが、RBGとは違ってこちらはレーガン政権下の共和党のガチガチの保守派である。判事の娘エミリーは三十八年前に殺されていたが、事件は犯人不明のまま迷宮入りしていたのだ。エミリーは当時十八歳で妊娠していた。本人はドラッグで正体を失くしてレイプされたと主張し、父親は不明。その存在は「恥」であり、「忘れられた少女」として封印されてきた。

 エミリーをレイプした可能性のあるメンバーの一人が、自分の生物学的父親かもしれないという疑いを抱きながら、捜査を進めていくうちに、アンドレアはいくつもの情報が不可解な形で遮断されていることを知る。物語はアンドレアの捜査(現在)と被害者であるエミリーの語り(過去)で進んでいくが、しだいに哀れな「忘れられた」少女だったエミリーの姿がいきいきと輝き始める。品行方正、頭脳明晰、将来を期待されながら、たった一度の妊娠ですべてを失ってしまった少女。レーガン政権下で、しかも望まぬ妊娠をしてしまった彼女の絶望感は想像を絶する。しかしやがて、エミリーは自分の頭で考え、父親の正体を突き止めようと決意し、しだいに強くなっていく。たとえその希望は途中で断たれることになったとしても、彼女はもう「忘れられた少女」ではない。ラスト近く、老判事の失った娘に対する慟哭のような告白には胸が打たれる。

 アイスランドを舞台にしたミステリーといえば、一番なじみがあるのはアーナルデュル・インドリダソンだが、このエヴァ・ビョルク・アイイスドッティルの『軋み』(吉田薫訳/小学館文庫)にも彼の作品に共通する、特有のうっすらとした悲しみが流れている。

 住民の誰もが生まれた時から互いを知っているような小さな町が息苦しく、大都会レイキャヴィークに飛び出し、警察官としてアークラネスに舞い戻ってきたエルマ。着任そうそう女性の他殺死体が発見され、エルマは新たな職場で新たな相棒とともに捜査にあたることになる。この被害者もまたアークラネスを飛び出し、故郷を忌み嫌いながらも、三十年後に故郷に戻ってきて殺されたのだ。

 物語は現在のエルマの視点と、三十年前の被害者の視点で交互に進んでいくが、個人的にはこの被害者が故郷を出て殺されるまで、どんな人生をたどってきたのかが猛烈に気になった。ひどい振られ方をした元カレへの思いに揺れながらも、閉鎖的な小さな町の壁に果敢に挑み、捜査官として自立していくヒロインがすがすがしい。おせっかいでヒロインに煙たがられているお母さんも実にいい味を出している。

 女性陣三人にすっかり押されてしまったがピーター・スワンソンの新作『だからダスティンは死んだ』(務台夏子訳/創元推理文庫)も期待を裏切らぬ傑作サスペンスである。スワンソンの作品はメビウスの輪のように、読者をいつのまにか自分が立っているのか、逆さまになっているのかわからなくさせてしまうのだが、その度合いがどんどん複雑かつ繊細になっていく。本作では二組の夫婦を軸に、一方の妻がもう一方の夫にふとしたきっかけで殺人の疑惑を抱き監視を始めるという、まるで『初恋の悪魔』のような出だしで始まるが、物語はどんどん想定外に発展していき......とくわしくここで書けないのが悔しい。

(本の雑誌 2023年4月号)

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●書評担当者● 柿沼瑛子

翻訳家。翻訳学校教師。主訳書はアン・ライス、パトリシア・ハイスミスなど。最新訳書はアルジス・バドリス「誰?」ジプシー・ローズ・リー「Gストリング殺人事件」共編書に「耽美小説・ゲイ文学ガイドブック」「女探偵たちの履歴書」などあり。元山歩きインストラクター・靴屋の店員、ロス・マクドナルド&マーガレット・ミラー命。

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