好奇心を奮わすクラカワーのルポルタージュ集

文=すずきたけし

  • 奇妙なものとぞっとするもの──小説・映画・音楽、文化論集 (ele-king books)
  • 『奇妙なものとぞっとするもの──小説・映画・音楽、文化論集 (ele-king books)』
    マーク フィッシャー,五井 健太郎
    Pヴァイン
    2,750円(税込)
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  • WILDERNESS AND RISK 荒ぶる自然と人間をめぐる10のエピソード
  • 『WILDERNESS AND RISK 荒ぶる自然と人間をめぐる10のエピソード』
    ジョン・クラカワー,井上 大剛
    山と渓谷社
    1,760円(税込)
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  • ザ・ヒストリー・オブ・ルアーフィッシング~ルアー&リール 進化の軌跡
  • 『ザ・ヒストリー・オブ・ルアーフィッシング~ルアー&リール 進化の軌跡』
    錦織則政
    つり人社
    3,850円(税込)
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 マーク・フィッシャー『奇妙なものとぞっとするもの 小説・映画・音楽、文化論集』(五井健太郎訳/Pヴァイン)は、二〇一七年に自死した哲学者であり批評家である著者による最後の著作。「奇妙なもの」「ぞっとするもの」とはなにか?について小説や映画など数ある作品から分析している本書は、ラヴクラフトからH・G・ウェルズ、フィリップ・K・ディックなどの怪奇・SF小説からスタンリー・キューブリックやタルコフスキー、デヴィッド・リンチ、そしてクリストファー・ノーランなどの映画まで引用し、タイトルにある「奇妙なもの」と「ぞっとするもの」の感情についてひもといていく。こうした小説や映画から受け取るシンプルだが根源的な感情は得てして陳腐な感想と思いがちだが、それらの感情がじわりと読者や観客の心を締め付けるのには理由がある。「奇妙なもの」は、"慣れ親しんだもののなかにおける異様さ"にあり、それらはフィリップ・K・ディックの一連の作品に見られる日常と非日常の二重構造に見出される。また「ぞっとするもの」は"そこに何かが存在しているかも"といった行為主体性(エージェンシー)の問いであり、宇宙はそれにはうってつけだとする。キューブリックの『2001年宇宙の旅』やタルコフスキーの『惑星ソラリス』や『ストーカー』(原作であるストルガツキー兄弟の小説も含め)など、ホラー映画ではない映画作品を例に「ぞっとするもの」を考察していく様は知的好奇心を刺激されて面白い。

 好奇心といえば、『荒野へ』(集英社文庫)や『空へ』(ヤマケイ文庫)のジョン・クラカワーの『WILDERNESS AND RISK 荒ぶる自然と人間をめぐる10のエピソード』(井上大剛訳/山と溪谷社)もまた、好奇心を奮わせてくれる。アウトドアを中心にノンフィクションを手掛けるクラカワーによるルポルタージュを集めた本書は、エべレストのツアー登山におけるリスクの大半を背負ったシェルパの「エベレストにおける死と怒り」、埼玉県の盈進学園東野高等学校の建築家として知られ、"型"の文脈による建築理論を提唱したクリストファー・アレグザンダーと既存の建築理論との対立を描いた「穢れのない、光に満ちた場所」など、どれも興味深いエピソードが並ぶ。なかでも白眉はビッグウェーブ・サーファーの死とサーファーの文化を追った「マーク・フー、最後の波」。ビッグウェーブで死んだサーファーのマーク・フーを中心に大波専門のサーフィンが高所登山と同じようにいかに危険でチャレンジなことなのかを知らしめる。サーフィンにおいて波が大きくなるのに比例して、その行為には高潔さが与えられ、波の高さが一〇メートルから一二メートルくらいになると「本物」が始まるという。しかし誇りあるビッグウェーブ・サーファーはその高さを控えめに測り一〇メートルを五メートルの波と呼ぶなど、独特の文化が面白い。本エピソードは『荒野へ』を想起させるような当事者の孤高と矜持をセンチメンタルに彩る傑作である。

 挑戦と失敗と言えば釣りである。錦織則政『ザ・ヒストリー・オブ・ルアーフィッシング ルアー&リール 進化の軌跡』(つり人社)は、ルアーフィッシングにおいて一般的となったルアーとリールの発祥と人類の(一部の釣り人たちによる)叡智を記した大著である。著者の錦織氏は前著『ザ・ヒストリー・オブ・トラウトフライズ 鱒毛鉤の思想史』(シーアンドエフデザイン)で驚かせてくれたが、本書もまたその圧倒される情報量にリールどころか舌をまく。ルアー(疑似餌)の原型は一五世紀の英国で小魚に針を仕掛けて猛魚パイクを釣ったのが始まりとされ、のちにマスを対象にその仕掛けを川の中で曳いて釣るスピニング釣りとなった。しかし一九世紀になるとこのスピニング釣りがあまりに釣れすぎてマス釣り文化のヒエラルキーとしては最底辺に位置づけられてしまうのだから面白い。新しい釣法ではあるものの、それまでのフライフィッシングがマス釣りの王道であった英国において、釣りの難度を上げて楽しむものとして発展したフライ勢とルアー勢の確執はこの後現代まで続くのだから釣り人とは面倒くさい。ちなみにルアーで使用する現在のスピニングリールを発明したイリングワース本人はフライフィッシャーであった。またすべてがイミテーションのルアーは布を縫いあげて作られ、小魚の代用として用いられたという。その後は靴ベラのようなスプーンと呼ばれるルアーが登場。現在でもマスを狙う際には用いられるスプーンだが、一九世紀に食器を川で洗っている際に誤ってスプーンを落としてしまったところ、パイクが飛び出し喰いついたという説がある。米国起源説など諸説あり起源は定まっていないが面白いエピソードである。また、釣り糸を収納し巻き上げるリールの進化も見逃せない。釣果に直接関係ないものの、魚のいそうなポイントにルアーを繰り込む際のキャスティングにおいて、リールの性能は重要であった。とくにリールの歴史はバックラッシュと呼ばれる釣り糸の暴発との戦いの歴史と言ってもよいという。一方、アメリカにおいてはバスフィッシングが重要な釣りとして位置づけられ、バスを対象としたルアーとリールの進化と発展も見逃せない。このようにルアーとリールの時代の幕が開いて現代のような形になるまでのあいだ、人類(の一部の釣り人)はエサを模したルアーで魚が釣れることを初めから知っていたわけではなく、魚に訊ねたわけでもない。長い年月をかけて魚の反応を伺いながら地道に試行錯誤していった、釣り人の情熱の結果がルアーとリールなのである。

(本の雑誌 2023年3月号)

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●書評担当者● すずきたけし

フリーライターとかフォトグラファー。ダ・ヴィンチニュース、文春オンラインなどに寄稿。あと動画制作も。「本そばポッドキャスト休憩室」配信中。本・映画・釣り・キャンプ・バイク・温泉・写真・灯台など。元書店員・燈光会会員・ひなびた温泉研究所研究員

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