ワルから天職への衝撃の一代記『人生上等!』
文=すずきたけし
ある日僕は自宅の栃木までの宇都宮線車内で本を読んでいた。電車が北関東の玄関口である久喜駅に差し掛かったあたりで、いきなり僕の対面の席でサラリーマン風情のおじさんと座っていた学生が足が当たったとかで取っ組み合いの喧嘩を始めた。おじさんが「おまえふざけんなよ」と怒鳴りながら若者を壁に押しつけていると電車が久喜駅に到着。二人が押し合いへし合いダンスのように駅ホームへと降りていった。僕は読んでいた本を開いたまま二人を冷静に眺めていた。そして「足が当たったくらいで喧嘩なんて小せえ」と思った。なぜならそのとき読んでいた本が北尾トロ『人生上等! 未来なら変えられる』(集英社インターナショナル)だったからだ。僕の出身地の隣町である栃木県栃木市で名の知れたワルなヤンキーであった廣瀬伸恵さんは、中学生からヤ〇ザの斡旋で親友と鬼怒川温泉でコンパニオンのバイトをし、地元でレディース「魔罹啞」を立ち上げ地元周辺を制覇。その後も性奴隷とか売人といったワードが「コンビニでバイトしてた」みたいなノリで次から次へと登場するなど、読者の予想のナナメ上をゆく人生を語っていく一代記である。現在は積極的に出所者を雇用し地元栃木市に根ざした真っ当な会社を運営している伸恵さんだが、本書は心を入れ替えて更生へと辿るというありきたりな感動物語とはちょっと違う。十代のころから悪事に抜群の才能を有していた伸恵さんは、自身で目標を設定すると恐ろしいまでの能力を発揮する。その卓越した行動力と仲間をまとめあげる求心力、そして他者を受け入れる器の大きさから、やがて自身の天職に出会うのである。後輩が彼氏の浮気の相談をしてきたときに「殺っちゃうか」と言ってしまうのは洒落になってないが、とくに後半に入ると「過去から復讐される」かのような苦難に涙なしには読めないのである。そして「過去は変えられないが未来なら変えられる」という伸恵さんの言葉から、過ちを犯すとやりなおすチャンスすら得られない不寛容ないまの社会について考えさせられるのである。ちなみに、伸恵さんが二度目の逮捕前の逃亡中に後輩の働いていた小山市のゲーセンで暇潰ししたと書いてあって思い出したが、僕は二〇〇五、六年あたりに小山駅の駅ビル店で書店の店長をやっていたときに刑事が聞き込みに来て女性の身なりの写真だったかを見せられた。まあ、あれが伸恵さんの捜査かどうかは今となってはわからないが、他人事とは思えない衝撃の一冊であった。
次は官僚である。霞いちか『霞が関の人になってみた 知られざる国家公務員の世界』(カンゼン)は、他業種から人事交流という枠組みで霞が関の官僚として働くことになった著者による、ゆるい霞が関入門書である。官僚といえば無表情で心を押し殺して働いているようなイメージが浮かぶがさにあらず。かなり個性豊かな人々と職場であることが本書から覗える。例えば各省庁のカラーの違いを紹介する章では、各省のSNSにスポットをあてる。キャッチーながら炎上覚悟の防衛省、国立公園を持つ強みを活かし美しいインスタグラムとユーチューブチャンネルがある環境省、そして著者イチ押しは大臣のメッセージを九州の方言に置き換えたりとユーチューブチャンネルで無双する農林水産省など、とても面白い。そして官僚といえば国会議員との仕事。法案や業務など国会質疑に必要な説明を国会議員と意見交換する「レク」(レクチャー)は、議員との駆け引きやヨイショなど官僚たちの気苦労が目に見えるようである。そんな複雑な力関係で行われる議員と官僚のレクも本書は『鬼滅の刃』に喩えてくれるので心配ない(笑)。そのほか霞が関で交わされる専門用語や妙に古臭い言葉使い(上司に「仕える」という)など、独特の省庁文化も興味深い。また、政策の作られ方にはボトムアップとトップダウンがあり、とくに政治マターの「マル政」案件が降ってきたときの現場はブラック企業並みの激務となり同情を禁じ得ない。国会期間中の今おススメの一冊である。
行政が深くかかわるのが都市設計と都市デザインである。ローマン・マーズ&カート・コールステッド『街角さりげないもの事典 隠れたデザインの世界を探索する』(小坂恵理訳/光文社)は、気にしたこともなかった都市の景観やシステム、街角の景色にスポットを当て、その来歴や意図・意味を明らかにしていく。携帯電話の中継塔の話では、一九七〇年代のアメリカで携帯電話が商業的に使われ始めると中継塔が次々と現れ、中継塔ごとの通話エリアを描いたイラストがまるで動物の細胞がひしめきあっているように見えたことから、アメリカでは携帯電話のことを「セル(細胞)フォン cell phone」と呼ぶようになったという。また、一九一一年に牛乳運搬トラックが道路に牛乳をこぼしながら走っているのを見たエドワード・N・ハインズが発明したのが現在の道路にあるセンターライン。そしてカナダのバンクーバーでは六十階建てとして売り出されたタワーマンションが実際は五十三階しかなかった。なぜなら縁起の悪い十三階と下一桁が四になるフロアが全て省略されていたからである。なかでも強く心に残るのが「敵意」のあるデザインである。東京でも見られる長時間座れない椅子や、寝ることのできないベンチなど、好ましくない人々を排除するためにさりげなくデザインされた「アンチオブジェ」は、排他的で攻撃的な思想を社会と都市から見出す意味で身につけたい視点である。本書は、マンホールの蓋、信号機、標識、建築など見慣れた街の細部について、実は自分がなにも知らなかったことに気付かせてくれる。
(本の雑誌 2023年5月号)
- ●書評担当者● すずきたけし
フリーライターとかフォトグラファー。ダ・ヴィンチニュース、文春オンラインなどに寄稿。あと動画制作も。「本そばポッドキャスト休憩室」配信中。本・映画・釣り・キャンプ・バイク・温泉・写真・灯台など。元書店員・燈光会会員・ひなびた温泉研究所研究員
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