壮大な環を描く三部作完結編『卒業生には向かない真実』

文=柿沼瑛子

  • 卒業生には向かない真実 (創元推理文庫)
  • 『卒業生には向かない真実 (創元推理文庫)』
    ホリー・ジャクソン,服部 京子
    東京創元社
    1,650円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • バイオリン狂騒曲 (集英社文庫)
  • 『バイオリン狂騒曲 (集英社文庫)』
    ブレンダン・スロウカム,東野 さやか
    集英社
    1,595円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • アフター・アガサ・クリスティー 犯罪小説を書き継ぐ女性作家たち
  • 『アフター・アガサ・クリスティー 犯罪小説を書き継ぐ女性作家たち』
    サリー・クライン,服部理佳
    左右社
    3,630円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

 ホリー・ジャクソンの『自由研究には向かない殺人』で颯爽と登場した女子高校生探偵ピップは怖いもの知らずで、正義感あふれるヒロインだった。しかしこのシリーズ最終作『卒業生には向かない真実』(服部京子訳/創元推理文庫)に登場するピップは、前作から引きずる血の幻覚にさいなまれ、ストーカーや無言電話に怯え、違法なクスリに頼り、第一作から読んできた読者は、「これがあのピップ?」と首をひねるに違いない。本作品はこのような重苦しい序盤で始まるのだが、そこは我らがピップ、いつまでも落ち込んでるようなタマではない。自分が受けているのと似たストーカー事例をさかのぼり、やがてDTキラーと呼ばれた一連のストーカー殺人事件にたどりつく。だが、すでに事件は解決済みで犯人は逮捕されていた。だとしたらピップのストーカーはいったい何者なのか? さまざまな人間関係や家族の秘密がさらに掘り起こされると同時に、物語は第一作『自由研究には向かない殺人』に向かって壮大な環を描いて収束していく(ちなみに前二作の内容にかなり触れているので、なるべく一作目から読むように)。ピップが何よりも望んでいるのは、前作で失われたふつうの生活、人々とのふつうのかかわりを取り戻すことである。だがそのために、彼女はその「ふつう」を失うことになる。「正義が及ばない悪というものが存在するとしたら、どうやって罰を与えられるのか」というのはクリスティー以来のミステリーにおける大命題であるが、本作はその「正義」の両義性をまっこうから取り上げている。たとえそのためにどんなに傷つこうと、それでもわたしたちはピップのいうとおり「進みつづけるしかない」のだ。でもね、ピップ、何もかもひとりで背負い込まなくともいいんだよ。

 映画『グリーンブック』のモデルとなったドン・シャーリーをはじめとして、クラシック音楽世界における黒人の比率はきわめて低い。ブレンダン・スロウカム『バイオリン狂騒曲』(東野さやか訳/集英社文庫)の主人公レイもまた、そうした数少ないクラシックの黒人バイオリニストである。チャイコフスキー・コンクールという音楽家として最高の檜舞台に臨もうとしていた彼のバイオリンが盗まれ、身代金として五百万ドルが請求される。そのバイオリンはただのバイオリンではなく、祖母を通じて譲られた高祖父のストラディバリウスだった。黒人と見れば犯罪者と決めつける警官たちや白人の大人たち、音楽をまったく理解せず、金銭的援助を要求するばかりの家族、さらにはストラディバリウスの所有権を主張する元奴隷だった高祖父の主人の一家─さまざまな難関がレイの前にたちふさがる。そんな彼をいつも助けてくれるのが恋人のニコルと彼のメンターであり母親的存在のジャニス先生だ。ふたりの協力を得て、レイは目の前の試練をひとつひとつ乗り越えていく。盗難事件の真相が判明するラストはちょっと苦いが、この事件をきっかけに主人公は高祖父から伝えられたのはバイオリンだけでなく「人としての尊厳」だということを学んでいく。

 タイのダン・ブラウンといわれるPraptの『The Miracle of Teddy Bear』(福冨渉訳/U-NEXT)はタイ発BLにしてミステリーと聞けば誰しも「は?」とならずにはいられないだろう。しかもU-NEXTなどという思わぬ伏兵から出版されるとは!

 母親と二人暮らしの孤独な青年ナットの癒しの対象だった白い巨大なテディベアのタオフーは、ある日突然自分が人間の男になっていることに気づく。酔っぱらって彼とコトに及んでしまったナットは、突然あらわれた美青年を怪しんで警察に連れていこうとするが、母親のマタナーは彼を「星の王子様」と呼んでかわいがる。タオフーは家じゅうの「しゃべる」家具や家電製品から教えられ、自分の生い立ちと家族の秘密がつながっていることを悟る─とここまでのあらすじだけでは何じゃこれと思うかもしれないが、なぜタオフーが人間の姿となってあらわれたのかがしだいに判明していくにつれ、いっけん明るく見える母親の秘密や、ナットの抱える闇、家族の歴史の暗部に読者はどんどん引き込まれていく。時折、誰の視点かわからない文章が挿入されるのだが、それが後にひとつひとつの解決につながっていき、最後の大団円に流れこむ手際が実に見事だ。かくして家族の美しい思い出はひっくりかえされ、最後にあまりにも悲しい真実があばきだされる。そして読者は最後の特別章で泣くのだ! すでにタイでドラマ化されているのだが、もしコミック化するとすれば川原泉、もしくは今の萩尾望都の絵で見たい気がする。

 かつて日本でも3F(作者も主人公も読者も女性)という言葉がはやったが、サリー・クラインの『アフター・アガサ・クリスティー』(服部理佳訳/左右社)は女性がミステリーを書き、読むことに焦点をあてたユニークな評論である。アガサ・クリスティーの「新しさ」については、近年再評価が著しいところであるが、「悪とは何か」「正義とは何か」を追求し続けただけでなく、今から八十年近くも前から女性にふるわれる暴力(あるいは抑圧)について警鐘を鳴らし続けた彼女はまさに女性犯罪小説家のパイオニアだった。そのアガサ・クリスティーのスピリットを受け継ぐ現代の作家たちをインタビューを通じて結びつけているのは面白い試みなのだが、肝心の現代の作家たちの作品がほとんど訳されていないのが残念である。いちゃもんをつけさせてもらうなら、フランセス・ファイフィールドの再評価はうなずけるが、なぜサラ・コードウェルが抜けてるのじゃー!

(本の雑誌 2023年10月号)

« 前のページ | 次のページ »

●書評担当者● 柿沼瑛子

翻訳家。翻訳学校教師。主訳書はアン・ライス、パトリシア・ハイスミスなど。最新訳書はアルジス・バドリス「誰?」ジプシー・ローズ・リー「Gストリング殺人事件」共編書に「耽美小説・ゲイ文学ガイドブック」「女探偵たちの履歴書」などあり。元山歩きインストラクター・靴屋の店員、ロス・マクドナルド&マーガレット・ミラー命。

柿沼瑛子 記事一覧 »