本格あり青春ありコージーありの『白薔薇殺人事件』を推す!

文=柿沼瑛子

  • 白薔薇殺人事件 (創元推理文庫)
  • 『白薔薇殺人事件 (創元推理文庫)』
    クリスティン・ペリン,上條 ひろみ
    東京創元社
    1,320円(税込)
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  • モルグ館の客人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 『モルグ館の客人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』
    マーティン・エドワーズ,加賀山 卓朗
    早川書房
    1,320円(税込)
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  • 破砕
  • 『破砕』
    ク・ビョンモ,小山内 園子
    岩波書店
    1,870円(税込)
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  • 詐欺師×スパイ×ジェントルマン:パトリシア・ハイスミスとジョン・ル・カレの作品を読み解く
  • 『詐欺師×スパイ×ジェントルマン:パトリシア・ハイスミスとジョン・ル・カレの作品を読み解く』
    鱸 一成
    幻冬舎
    1,760円(税込)
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 ホロヴィッツと並ぶクリスティの後継者といわれるクリスティン・ペリンの『白薔薇殺人事件』(上條ひろみ訳/創元推理文庫)の印象をひとことでいうならてんこもりのパフェのような作品である。主人公アニーは二十五歳のミステリー作家志望の女性だが、どことなくまだ行き場所が定まらないモラトリアム状態、母親は才能ある画家だがかなりの自由人でいまいち不安定。そんなところへ母親の故郷であるキャッスルノール村に住む大叔母フランシスから、母を飛ばしてアニーにご指名がかかる。大叔母はティーンエイジャーの時に占い師から告げられた、いつか殺されるという予言を信じ込んでおり、村でも偏屈な変人として知られていた。ところが到着と同時に当のフランシス大叔母が殺されてしまう。彼女が残した遺書がまたクセモノでアニーは母と自分の生活を護るためにも事件を解決しなければならないはめに......この大叔母の殺人事件と併行して、大叔母の若かりし頃の日記と1966年に同じキャッスルノールで起こった失踪事件が絡んでくるあたりから、どんどんフランシスの印象が変わり始める。今は生彩のない中高年となり果てた彼女を巡る男たちもがぜん生彩を取り戻し、一気に青春小説の様相を帯びてくる。頭より先に体が動いてしまうアニーはちょっと『向かない』シリーズのピップにも似てるところがある。ただしピップのように現代のテクノロジーを駆使するのではなく、あくまで利用するのは屋敷に残された過去の紙の資料のみである。フランシスと夫となるフォードとの出会いは、まるでロマンス小説のようだし、つまりは本格ミステリーであり、青春小説でもあり、ちょっとコージーの気もありつつと、まさにてんこもりのパフェのような作品なのだ。失踪事件とフランシスの殺人事件も同時に解決するのだが、どちらもその動機が哀しく、これ以上書くとネタバレになるのがつくづく残念である。

 あいかわらずケレンたっぷりに楽しませてくれるのがマーティン・エドワーズの『モルグ館の客人』(加賀山卓朗訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)であるが、これ絶対にポーの某作と空目した人いるよね? 何しろいきなりエピローグから始まり、おまけに登場するのが「葬儀急行」である。『処刑台広場の女』でさっそうと登場したレイチェル・サヴァナク。その正体は名探偵なのか、はたまた希代の悪女か?といったピカレスク小説の色合いが濃かった前作に比べると、本作はぐっと本格味が増している。というのも今回はレイチェルに強力なライバルが登場するからである。

 その名はレオノール・ドーベル。一族がことごとく不幸に取り憑かれたモートメイン館の当主と結婚した彼女は、有罪でありながら法の裁きをまぬがれた三人の人物をモートメイン館(通称モルグ・ホール)に招いてパーティを開くので、レイチェルにもそこに加わらないかと持ち掛ける。ここでクリスティの某作を思い出される読者もおられるだろうが、肝心のパーティが始まるのは作品の後半からであり、最後は嵐に閉じ込められた館での真相の解明、それに続く文字通りのカタストロフ、そして真犯人の告白で終わるという豪華さだ。さらには巻末の「手掛かり探し」にいたっては作者の「ほーら、私はこれだけフェアプレイをしましたよ」という高笑いが聞こえてきそうである。それにしてもあいかわらず訳あり美女にふらふらついていっては窮地に陥るジェイコブはほんとに学習しないやつだな。まあ、彼が巻き込まれてくれないと話が進まないのだから仕方ないか......

 ク・ビョンモ『破果』で登場した老女の殺し屋・爪角は、わたしにとってヴィク・ウォーショースキーが初めて登場した時と同じくらい衝撃だった。『破果』を読んだ方は、なぜ爪角がこの道に入ることになったのか、どのようにして師であるリュウと出会うことになったかについてはご存じのこととは思うが、今回の外伝『破砕』(小山内園子訳/岩波書店)は「殺し屋としてただ生きていく」爪角が爆誕する瞬間の物語である。殺し屋としての最終訓練に励む爪角は、まだ十代の少女であり、彼女が知る痛みは『破果』とは違って純粋な肉体的苦痛のみだ。だが、その苦痛が殺し屋としての爪角を作り上げていく。作者はインタビューで、爪角が殺し屋になるために必ずや経験しなければならない瞬間、それは「ただもう誰も信じられず、信じてはならず、どんな状況においても安心してはいけない、ということを『知っていく』過程」だと述べている。そして爪角は初めて自らの意志で人を殺す。ここからあの『破果』の筋張り、傷だらけの年老いた手になるまでの長い長い物語が始まるのである(サバイバルを叩きこまれていく場面はM・W・クレイヴンの『恐怖を失った男』を連想させる)。

 パトリシア・ハイスミスとジョン・ル・カレという、かたや詐欺師かたやスパイといういっけん対照的な主人公を持つ二作家を取り上げたのが鱸一成の『詐欺師×スパイ×ジェントルマン』(幻冬舎メディアコンサルティング)である。本書はそれぞれの主人公トム・リプリーとスマイリーの、どちらも本来の自分とは違う他人に成りすますという共通点から分析している。ほんまもんの「紳士」なのにサラリーマンのようにふるまうスマイリー、それに対して「何者でもない」ことを武器に「なれないとはわかっていても、そう思い込んでいれば、いつかそれは本物になる」とうそぶくトム・リプリー。どちらもある意味自分を偽っているのだが、リプリーの場合はたぶん自分を偽っているという認識すらないような気がする。

(本の雑誌 2024年9月号)

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●書評担当者● 柿沼瑛子

翻訳家。翻訳学校教師。主訳書はアン・ライス、パトリシア・ハイスミスなど。最新訳書はアルジス・バドリス「誰?」ジプシー・ローズ・リー「Gストリング殺人事件」共編書に「耽美小説・ゲイ文学ガイドブック」「女探偵たちの履歴書」などあり。元山歩きインストラクター・靴屋の店員、ロス・マクドナルド&マーガレット・ミラー命。

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